ステルスメガネ

 ふぅ、すっきりした。

 深夜にトイレで起きた後、俺は真暗な廊下を歩いていた。暗いとは言っても十何年と住んでいる家だ。場所の配置や曲がる場所などは何となくわかっている。

目が見えないながらも、俺はあっという間に布団の元へたどり着いた。

 しかし、俺はある大失態を犯していたのだ。それに気づいたのは布団のある場所へ足を踏み出そうとした刹那。


 あれ、眼鏡、どこだ。


 俺は眼鏡を付けずに床を出てしまったのだ。そして思い出す。起き上がる瞬間にカチャンと言った眼鏡のことを・・・・・・。

 つまり、普段置いてある定位置にあいつは居ないということだ。どこに眼鏡があるか分からない。というより、あらゆる場所に眼鏡が居る気がしてくるのだ。眼鏡は一個なのに、ここにも、そこにも、あそこにも眼鏡があるように見えてしまう。

 途端に足が竦む。あと一歩が踏み出せない。

 どこだ、どこに足を置けば無事に布団にたどり着ける。

 くそ、そこにあるはずの布団イマジナリーフトンは目の前なのに。早く掛布団にくるまって温まりたいと言うのに。

 無理だ、俺に眼鏡を踏むというリスクを背負うのは。あれは彼女に買ってもらった思い出の眼鏡なんだぞ。彼女の顔が脳裏に浮かぶ。あいつ、眼鏡を踏んだと言ったら烈火のごとく怒るだろうなぁ。

 ああもう、覚悟を決めるしかない。ええっと、布団がそこで眼鏡置きがここだったから・・・・・・。ここだ、ここに足を置けば絶対大丈夫だ。眼鏡の幻影なんかに惑わされるな、自分で信じた道を往け!

くぅ・・・・・・、歩けない。一メートルもないほど近いのに、遥か遠くに感じる。これほどまでに眼鏡が大きく感じられる機会など、そう無いのではないか。

可能性の世界では眼鏡はいつどこに現れてもおかしくないのだ。いや待てよ、眼鏡は枕元に置いてあったはずだ。それは灯りを消す前に確認済み。と、いうことは足元に眼鏡がない可能性は極めて高いのではないか? 一度そう考えると俄然そう思えてしまう。

だが待てよ俺。自分の中の客観視する俺が問いかけてくる。眼鏡がカチャンとなった時に思いの外跳ねた、と考えることはできないか? 眼鏡のやつは俺の裏をかいてほくそ笑んでいる可能性は、ありうるんじゃないか? と。

ありがとう、もう一人の俺。危うく眼鏡あいつの罠に引っかかってしまうところだった。なら枕元に最短距離で向かうか? いや、でも、依然として枕元は危険性が高い。うーむ。

寝られたはずの時間が刻一刻と減っていく。こめかみを冷や汗がたらーっと滑る。今何時だ。起きてスマホを確認した時は確か二時半とかだった気がする。トイレの時間を加味すると、二時五十分とかか。・・・・・・そうだっ! スマホのライトをつければいいんだ。そうすれば眼鏡がなくぼやけるとはいえ、眼鏡の位置くらいは視認できるはずだ。

ぱんぱん、ない、ポケットの中にスマホがない。そうだ、そいつも枕元だ・・・・・・。寝起きの俺の馬鹿!

唯一の頼みの綱も失った。もうおしまいだ。諦めて行くしかない。覚悟を決めるんだ。俺は右足を前に出した。


「いってぇ!!」

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