字幕と吹き替え
チケットカウンターの女は驚きながらも俺達にチケットを手渡した。俺には字幕版を、俺の彼女には吹替版を。
俺と彼女はそれを無言で受け取り、無言でカウンターを離れた。
彼女が「ねえ」と俺に言った。俺は「なに」とわざと不機嫌そうに言った。それを聞いた彼女はぶっきらぼうな調子で「映画のことだけど」と言ってこう続けた。
「本当にいいの? 『字幕』なんかにお金使って」
俺はため息をついて答えた。
「ああいいさ。それよりお前の方が哀れだね。『吹替』なんて」
「なんですって!? もういいわ。この映画館を出た瞬間、私たちは終わりよ」
彼女は激昂しまくし立て、スクリーン5に早足で入っていった。
俺は彼女の背中になにか言うでもなくスクリーン6に入った。
「最後のデートがこれだなんて、最悪だな」
俺の独り言は誰の耳にも届かなかった。
俺はドカッと椅子に座った。隣にいたやつが驚いてこっちを見たがそんなのかまやしねえ。ふん、なんだ映画の見方くらいでムキになりやがって。大人しく字幕版を選べばそれで済んだのに。『映画館を出た瞬間、私たちは終わり』だって? 冗談じゃない。まだあいつと行きたいところややりたいことが山ほどあるんだ。別れるなんてありえない。俺が吹替選んでいたら……。いやそんなこと断じてしない。俺は首を振ってそんな弱気な考えを追い出した。
サイレンがなり、スクリーンに予告編が映し出された。
そっか、別れるのか。本当に最悪のデートだぜ。笑えるよ。フフッと笑うと隣のやつが俺を見た。アクション映画の予告の時に笑う頭のおかしなやつだと思われたらしい。俺は慌てて口をおさえた。
本編が始まった。こんな時に限って俺たちが選んだのがラブストーリーの映画だなんて、とんだミスチョイスだ。しかも主人公は初々しいカップル。嫌でも今までの俺達に重ねてしまう。ああ、わかるよ。最初は手を繋ぐのすら恥ずかしかったよな。初めてのキスはなんだか大人になったような気がしたよな。映画のカップルがどんどん俺と彼女にリンクしていく。
クライマックス、主人公が別れる直前のシーン。こんな辛いもんなのか。心が痛え。くっそ、なんだかスクリーンが滲んできやがった。字幕の文字も読めやしねえ。
こんなふうになるんだったら吹替版で観とくべきだったぜ。
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