第23話 桃花の宴(2)
彩妍が席に座ったことで、本格的に宴が始まった。
彩妍は敷布から腰を上げると周囲を見渡し、酒が満ちた杯を高く掲げ、「楽にしてくれ」と朗らかに声を発する。
「よく集まってくれた。此度の茶会は我が友である鳴美人の入内を祝うために開催する。聞けば、歓迎の儀は執り行っていないようだったのでな」
歓迎の儀、という言葉に明らかに乾皇后と高淑儀の顔色が悪くなる。忘れていたのではなく、故意に
「今宵は無礼講だ。ぜひ楽しんでくれ」
彩妍が敷布に腰を下ろすと幕の近くに控えていた宦官へ視線を投げた。
その視線を受け、沈黙を守っていた宦官が一歩前に踏み出すと
先ほどの、余韻が広がるゆったりとした曲調でなく、悲しさを孕む
(懐かしい。振り付けははじめて見ます)
下級官吏の娘だった母は
気も体も強く逞しい女性だった母は二胡を弾く際は、
(懐かしい。私もよく踊っていました)
彼女達のように伝記に沿ったものではなく、その場でくるくる回るだけの即興の振り付けだが、両親は手を叩いて褒めてくれた。それが嬉しかったのはよく覚えている。
(桃源哀歌は天帝に恋人を殺された天女の悲劇を歌ったもの。本来は彼女達のように哀しみのなか、舞うのが正しいのでしょう)
一定の音程を奏でていた曲が急に緩やかに遅くなる。
しばしの静寂が空間を満たすと予告なく琴音が弾けた。その音に合わせて宮妓はいっせいに立ち上がり、体を捻らせ踊り始めた。刺繍が施された
(もう一度、お母様の音に合わせてお兄様と踊りたかった)
天上の調べに、天女の舞。甘く充満する桃の香。ここから見える絶景はまるで天界だ。
高揚する気持ちと過去の憂いに挟まれながら、雪玲は宮女が酒を満たした杯をあおいだ。度数が高い酒は喉が焼ける感覚をもたらした。
身体が火照り、ふわふわとした夢心地になった頃、彩妍の側仕えである文瑾が静かに近寄ってきた。
「鳴美人様。彩妍様がお呼びです。こちらへどうぞ」
振り向くと上座で彩妍が手を振っていた。それに軽く手を振り返して立ち上がると文瑾の後を追う。
「顔が赤い。酒が強かったか?」
雪玲が登場するなり、彩妍の第一声が顔色の指摘だった。
「少々。あまり飲まないので慣れていなくて」
「これはどうだい? 飲んでみなさい」
差し出された杯を受け取り、一口含む。口内に爽やかな酸味が広がった。微かだが酒の味もする。
「おいしいです。なんの果物ですか?」
「異国から取り寄せた
「檸檬って酸っぱいだけの果物だと思っていました」
「そのままだと酸っぱいままだから、砂糖水に檸檬を付けて、酒と混ぜたんだ。この国の酒は強すぎて、私は飲めないから」
もう一口、二口と飲み続けるとあっという間に杯は空になる。宮女が空になった杯に果物酒を注ごうとするが、それを彩妍が止めた。
「飲むのが早すぎる。もう少し、ゆっくり飲まないと倒れてしまうぞ」
「美味しくて、つい」
「気に入ってもらえたのならなによりだ」
「とても、楽しいです。『桃源哀歌』の振り付けを見るのは初めてで、つい見とれてしまいました」
「ああ、あの曲か。あれは私が好きなんだ。宴には相応しくないと言われるが、思い出深くてね。楽士からの提案を断って、この曲を弾いてもらったんだ」
悲劇の曲は祝いの場には似つかわしくない。けれど、どうしてもこの曲を聞いて欲しかったのだと彩妍は言う。
「春燕なら気に入ってくれると思っていた」
「よく母が弾いてくれたので、それに合わせて踊っていたのです」
「へえ、それは見てみたいな。今度、舞ってくれないか?」
「彩妍に見せれるものではありません。ただ、くるくるしていただけですから、彼女達のように綺麗なものではないのです」
舞いとは到底、呼べるものではないのに彩妍は「見たいな」と呟き、杯をあおる。
「きっと綺麗だ」
「……彩妍も踊ってくれるならいいですよ」
「私も舞いは苦手だしな……」
心底、嫌そうな声だ。雪玲の舞いを見たいが、自分は舞いたくないらしい。
唸っている彩妍を横目に見つつ、雪玲は宮女に果実酒を注いでもらった。その杯に口をつける前に、目の前に現れた麗人を見て動きを止める。
「彩妍様、乾皇后様と高淑儀様がご挨拶に来られました」
申し訳なさそうに言葉をかけると、文瑾は恭しく頭を下げた。その背後には満面の笑みを浮かべた乾皇后と高淑儀が控えていた。
「長公主様にご挨拶いたします」
「楽にしてくれ」
二人は姿勢を正すと周囲を見渡し、ほうっと感銘の息を吐く。
「長公主様御身ずから開催された茶会に招待していただけたこと、光栄に思います」
「禁苑など初めてで、とても感動しておりますわ」
「なんて美しい景観でしょうか。香楽殿でも桃の花を植えてはいますが、
嬉々として喋り続ける二人には、雪玲の姿は見えていないらしい。
頑なにこちらを見ず、彩妍に話かけている。無視されているが彩妍が側にいるので朝礼の時より気は楽だ。
「瑞国は多くの命を奪ったからね。その
彩妍がこっそり耳打ちして教えてくれた。
二人には聞こえなかったようで、むっと唇を尖らせて不服の表情を浮かべる。
「禁苑を使うように言ったのは兄上さ」
「まあっ! 瑞王様が?」
「いつ起こしになられるのですか?」
明らかに二人は色めきたつ。
「来ないよ」
彩妍の言葉にすぐさま肩を落とした。
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