第20話 絡繰箱の中身


「鳴美人様にご実家から贈り物が届いております」


 その声に、雪玲は弾むように椅子から立ち上がった。

 はやる気持ちを抑えつつ入り口に向かうと、三人の侍女が宦官から木箱を受け取っていた。その木箱の表面に刻まれた雲と鳥の意匠いしょうは義弟である紫雲が作ったものという印だ。


「ありがとうございます。私の寝室へ、運んでください」

「承知いたしました。贈り物は四つございます」

「では、私も運びます。重いでしょう」


 紫雲の絡繰箱は木組み細工で作られている。一見するとお洒落な木箱にしか見えないが雪玲のを隠すために二重底になっており、二重底を開けるには正しい手順で木組みを解かなければならない。木箱は子供が丸まれば入れるほどの大きさで、一目で重量があると分かる。

 現に侍女達は受け取った木箱の重さに耐えかねているようでふらふらとした足取りで房室に運び入れていた。

 特に小柄な鈴鈴りんりんでは重いだろう、と雪玲が駆け寄り木箱を受け取ろうとするが「いいえ」と首を振られてしまった。


「鳴美人様はごゆっくりおくつろぎくださいませ」

「しかし、私の荷物ですので運び入れるぐらいはします」


 それでも鈴鈴はひかない。雪玲に渡すことなく、珠音と峰花ほうかの後を懸命に付いていく。

 それならば、と宦官から最後の木箱を受け取ろうとするが戻ってきた珠音に取り上げられてしまった。


「鳴美人様は、ごゆっくりしてください」


 優しげだが芯のある声で、彼女が怒っていることを察した雪玲は慌てて寝室へと引っ込んだ。

 寝室では峰花と鈴鈴がどこか楽しそうに木箱を見つめていた。


「やっぱり、鳴家って商人なだけあるわねぇ。入れ物でもこんなに豪華なんだもの」

「中も重いし、何が入っているのかしら」


 鈴鈴が好奇心に満ちた顔で木箱をつつく。


「食べ物だったりして」

「宝石じゃない? それか壺とか?」


 食い意地がはった鈴鈴と違い、現金な峰花はうっとりと木箱を眺めていた。


「一緒に開けてみます?」


 背後から声をかけると二人は面白いぐらい飛び跳ねて、急いで姿勢を正した。


「申し訳ございません! 勝手なことを……!」

「いえ、中が気になるようなら一緒に開けてみましょう。気に入ったものがあれば差し上げます」


 二人は揃って首を振った。


「鳴美人様、私達は一介の侍女に過ぎません」


 木箱を床に置いた珠音が「甘やかないでくれ」と口を挟んできた。規律に厳しい彼女は、雪玲が妃らしかならぬ振る舞いをすると諌めてきた。後宮のしきたりに疎いので助かるが、己付きの侍女と仲良くなることは見逃して欲しい。


「では、木箱これを片付けるのを手伝ってくれませんか? 思ったより荷物が多そうで、一人だと大変そうで」

「承知いたしました。どれから開けますか?」

「そうですね……。これからにしましょうか」


 床に膝につき、木箱をあけようとして「しまった」と後悔した。いつもの癖で自分で開けようとしたが、今は妃なのだ。指や爪が傷つかないように、こういう時は侍女が開けるべきだろう。それに床に膝をつく行為も誉められたものではない。裾が汚れてしまう。

 珠音のお叱りが飛ぶことを覚悟するが、いつまで経っても叱責はされない。不思議に思って、顔をあげるとふいに視界が黒く染まった。

 それが黒絹だと気付いたのは数回の瞬きで。


「——それは何が入っているんだい?」


 それが彩妍だと気付いたのは、頭上から降ってきた声で。


「私も同席していいかな?」


 彩妍が横にずれたことで視界が明るくなった。


「いいですけれど、面白いものはありませんよ?」

「それでもいいさ。君達も自由にしなさい」


 彩妍は三人の侍女に語りかけた。

 まず先に頭をあげた珠音が婉然えんぜんたる美貌に、うっとりする笑みを浮かべる。


(あっ、これは怒っていますね)


 短時間の付き合いでも、珠音の感情の機微を察せることができる雪玲はさっと顔を背けた。


「彩妍様、ご機嫌麗しゅうございます」

「久しぶりだね、珠音」

「先日もお会いしましたわ」

「でも、話せなかっただろう? 君は春燕の侍女として来たのだから」

「ええ、そうですわ。で、どうしてこちらに?」

「春燕に会いにきたんだ」


 な、と語りかけられて、雪玲は「嬉しいです」と当たり障りのない返事を返した。

 そして、視線を背けて木箱を開けた。峰花と鈴鈴も怒りに触れたくないのか手伝ってくれた。


「いくら、彩妍様が長公主の立場でも、鳴美人様の宮を訪ねる際は前もって使者をお出しください。それがしきたりです」

「君は相変わらず頑固だな」


 ぴくり、と珠音のこめかみが動く。とびっきりのいい笑顔だが、確実に怒っているのは明らかだ。


「見てください! この色、鳴美人様によくお似合いですわ!」

「襦裙を仕立てるものいいですわねぇ。その色ならこちらの装飾品とよく合いますわ」

「この宝石はなんていう鉱石なのでしょう? 綺麗な桃色ですね」

「珊瑚のようだけれど、桃色は珍しいですねぇ」


 部下である二人は特に珠音の怒りに触れたくないのか鬼気迫る形相で送られてきた反物を広げ、装飾品を掲げ、どれが一番、雪玲に似合うか討論し始める。

 雪玲としても珠音の怒りに触れたくはないので、二人と共に品々を見比べることにした。


「これは紫水晶かしら?」


 峰花が桐箱に仕舞われた銀簪かんざしを手に取った。先端には蓮の花をかたどった紫色の鉱石が花を咲かせ、その花びらから雨粒を思わせる小粒の水晶が連なっている。


「紫水晶の一種で藤雲石とううんせきという、邪気を払う鉱石のようですね」

「まあ、鳴美人様は目利きもできますのね。わたくし、紫水晶とばかり思ってしましたわ」

「父と比べればまだまだですが、教え込まれているので」


 峰花の手から銀簪を取り上げると、それを彼女の髪に指してやる。派手な美貌にはもっと濃い色合いが似合いそうだが、おっとりとした峰花には清廉せいれんな蓮はよく似合っていた。

 峰花が遠慮がちに銀簪を取ろうとするので雪玲は「差し上げます」と首を降った。


「いただけませんわ。こんな、高価なもの……」

「あら、とてもよくお似合いですのに。鈴鈴様にはこの紅石英こうせきえいの銀簪を、珠音様には翡翠の銀簪を。色は違いますが同じ蓮の意匠なのでおそろいにしましょう」

「よろしいのですか?」

「ええ、私は装飾品はあまり好きではないので身に付けませんから」


 贈られてきた品々の中に雪玲の趣味ではないものが何点か混じっている。きっと義父が何かあった際の賄賂わいろとして送ってきたのだろう。

 ならば、よろこんで活用させてもらう。


「私の分はないのかな?」


 次に反物を手に取った時、彩妍が駆け寄ってきた。その背後ではいい笑顔の珠音の姿。説教が終わったわけではなさそうだ。


「では、これはどうでしょう?」


 少し迷ってから蒼玉の頸飾を掲げた。彩妍は常日頃、黒衣によって全身を隠している。耳飾りや簪では贈っても身に着けることはできないと考えた。


「蒼色は私の色だね」


 意味が分からず、雪玲は首を傾げた。私の色と言われても彩妍は黒色の印象しかない。

 雪玲の考えを悟ったのか彩妍はからから笑う。


「私の目の色ってことさ」


 面沙越しに目を指さした。


「瑞王様は髪も目も黒かったので、彩妍もそうだと思っていました」

「兄上は父親似で、私は母親似なんだ」

「では、彩妍の両目は宝石のように綺麗なのですね」

「見てみるかい?」

「彩妍がいいなら」


 彩妍が面紗を持ち上げようとした時、外からひそひそと囁き合う声が聞こえた。視線をむければ二人の侍女と思わしき女が興味深そうにこちらを見ていたが、自分達の存在が発覚したと分かると早足で去っていった。


「敵状視察、というところか」


 こともなげに彩妍が言った。


「あの衣の色は高淑儀様の侍女でしょう」


 珠音が同意する。

 特に害がなければ問題ないので雪玲は荷解きの続きをしようして、手を止めた。そう言えば、と気になっていたことを口にする。


「私の襦裙はどうして紫色なのでしょう?」


 袖を掴み、広げる。朝焼けを写した色合いはとても美しく目の保養になる。

 けれど、後宮のしきたりにのっとれば美人である雪玲が朝礼や行事で身に着ける衣の色は薄桃色と定められていた。それなのに翔鵬から送られてきたのは紫系統の衣装ばかり。一応、瑞王からの贈り物なので着用しているが入内直後で掟破りはそろそろやめたい。


「紫色は貴妃の色だよ」


 彩妍の言葉に絶句する。


「え、それはいいことなんでしょうか?」


 聞かなくても悪いことだと分かっている。後宮で身分によって着衣の色が異なるのは無用な争いを避けるためだ。それなのに下級妃である自分が、皇后の次に高位な妃と同等の服を着ているなんて、相手に喧嘩を売るようなものでしかない。


「その色を身に付けさせるなんて、兄上は春燕に期待しているんだね」

「期待、なのでしょうか……」


 ただの嫌がらせのような気もする。


「期待さ。兄上は高貴妃が大好きだからね。だから廃妃せず、貴妃の地位を与えたのさ」

「廃妃せず?」

「ああ、茶会の件は聞いているかい?」


 彩妍様! と珠音が叱責を飛ばす。

 それを片手でひらひらと回避しながら彩妍は言葉を続けた。


「茶会を開催したのは当日、皇后だった高貴妃だよ。で、子供を二人失ったことで精神的にまいったようで宮に閉じこもってばかり。皇后がそんな体たらくじゃ駄目だという声があがって、男児を産んだ乾依依が皇后になったんだ」

「それで高貴妃様は皇后ではなくなったのですね」

「ああ。まあ、貴妃の地位を与えることも難色示してる者も多いようだ」


 頸飾を桐箱に仕舞うとため息を吐く。


「兄上は心が死んだ彼女を里に帰すさず、貴妃の座を与え続けているんだ。会うことを拒否されてもね」

「高貴妃様のことが大切なのですね」


 意外だった。唯我独尊だと思っていた男にも人を愛することができるのだと。


(いえ、瑞王様の行動理念は薔薇様という女性です。おそらく、高貴妃様のことなのでしょう)


 翔鵬が自ら雪玲を迎えに来たのは後宮で起こった毒殺事件の解明だ。薔薇のために問題ごとを解決しろ、妙な騒ぎは起こすな、と言っていた。


「あれはもはや依存だな」


 またもや珠音から叱責が飛ぶ。


「言葉が過ぎます!」

「事実を言ったまでさ。それに、ここで生きていくには高貴妃のことを知っていたほうがいい。兄上が春燕に高貴妃の色を与えた意味も含めて」

「ですが——」

「心が死んだ人間は、もう二度と元には戻らない。何をしても、ね」


 彩妍の言葉に、房室は水をひっくり返したように静まり返る。彩妍はぱっと顔をあげると重々しい空気に似つかわしくない、明るい声を出した。


「春燕、母上に会ってきたよ」


 明るい声音に、皇太后の容態は安定したのかと安堵する。雪玲が入内した三日後、皇后が危篤だとお触れはでたが詳細までは教えられなかった。鴆毒が使われた暗殺では、と危惧していたが容態が安定しているなら違ったのだろう。


「皇太后様は大丈夫でしたか?」

「命に別状はないみたいだ。兄上が君に伝えるとは思うんだけど、母上の血液から鴆毒の反応があった」


 ひゅっ、と雪玲の喉が鳴る。


「……鴆毒ですか?」

「ああ、だが、先程も言った通り、命に別状はない。柳太医が言うには、鴆毒はほぼ身体から抜けているようだよ。あと数日すれば完全に無くなると言っていた。なぜか分からないが」

「皇太后様は私や白暘様のように毒に耐性があるのでしょうか?」

「いや、ない、と思うんだけど……」


 毒耐性がまったくない人間が鴆毒に侵されて、董家が作製した解毒薬を服用せず、完治した例はない。


(解毒薬の調合は門外不出です。実地と口伝でしか教わることはないのに)


 鴆毒は董家が誇る唯一無二のほこであり、盾だ。他国に解毒薬の調合法を知られ、武器を失うことを恐れて、書物には遺さないことを徹底している。


(王家にすら、その調合法は教えていないはずなのに)


 もしかしたら、雪玲以外に生き残りがいるのでは、と淡い期待を抱く。それならば鴆毒を用意できたのも、解毒薬を調合できたのも、瑞王への復讐のため毒を盛ったのも納得できる。


「……下手人は、後宮の外も自由に行ききできる人物と考えれますね。それか昔、後宮に勤めていたとか」

「配属は変わっていないはずです」


 珠音が答えた。


「茶会の件があってから増員はすれど、後宮から外に人が出ることはありません。誰が下手人か分かるまでは、誰も外に出すな、と王命が下されております」


 聞けば、帰郷すら許されていない状況だという。かろうじて家族と文のやりとりは許されているが、内情を伝えないように厳しく検査されているようだ。


「では、協力者がいるのは確実ですね。下手人は一人ではありません」

「そう考えるのが妥当だな。内と外にいるからこそ、琴楽殿きんらくでんにいる母上に毒を盛れたのだろう」

「両方、探すのではなく、まずは後宮内にいる下手人を見つけましょうか」

「春燕、君から見て怪しいと思う人物はいるかい?」


 その問いかけに、勘案したのち、首を左右に振った。


「恥ずかしながら、あまり妃嬪の方々と仲良くなれなくて……」


 それどころか敵対心を持たれている。皇后と高淑儀に。


「少しずつ、仲良くなろうと思っているのですが、なかなか上手くいかなくて」

「では、私が人肌脱ごうかな」


 彩妍はどこか自慢げに胸を張り、腕を組む。


「私は、ただ宮に閉じこもっていたわけではないよ」


 紡がれた言葉に、雪玲は不思議そうに両目を瞬かせた。

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