第11話 入宮の準備
棚に並ぶ硝子瓶、ひとつひとつを手に取ると雪玲は悩ましげに柳眉をひそめた。本当はこの室に置いてある全ての品物を持って、後宮へ入りたいのだが翔鵬から「持っていくのはこの中に入るだけにしろ」と木箱を二つ手渡されたため、それは叶わない。
とりあえず、必要最低限に持っていくものを早急に決めなければ。
(
義父に頼み込んで取り寄せてもらった異国の鉱物、崖をよじ登り手に入れた薬草。考えれば考えるほど、全て持って行きたくなる。
(鴆羽や内臓も持って行きたいけれど、正体がバレる可能性が高いですかね)
鴆の狩猟を禁止されているのに、その一部を所有しているとあれば別の意味で捕まるかもしれない。
(薬作りには必要なのですが、隠し持っていっても入宮の時に検査で見つかりそうです)
ううん、と唸り思考すること数十秒。困った雪玲は背後を振り返った。
少し離れた場所では香蘭が雪玲の衣装をたたみ、それを受け取った紫雲が木箱にしまい込んでいる。どちらも仏頂面で、話しかけにくい雰囲気を漂わせていた。
「後でこれらを後宮に送ってもらえませんか? 紫雲の絡繰箱ならば怪しまれずに持ち込めると思うので」
二人は答えず、黙々と作業を続けている。この距離で聞こえていないはずもなく、意図的に無視されたことに雪玲は眉間に皺を寄せた。
「あの」
「……」
「紫雲、聞こえてますか?」
「……」
「香蘭?」
「……」
一人ひとり声をかけるが完璧な無視を決め込まれる。二人が不機嫌なのは自分が元凶であることを大いに理解してる雪玲は慎重に言葉を探した。
「もう、いいかげん拗ねるのはやめてください」
失言だった、と後悔する間も無く、二人は弾むように振り返り、きっと目尻を吊り上げた。
「拗ねてない!」
「拗ねていませんわ!」
やっと言葉を返したと思ったら刺々しい口調で返された。感情の振り幅が大きい香蘭はともかく、冷静な紫雲までも声を荒げるので雪玲は両目を瞬かせる。
「拗ねてるじゃないですか」
「違う。納得いかないだけ」
「紫雲様の言うとおりですわ。なぜこのような無茶をなさるのです!?」
「だって、このお話に乗ったほうが手っ取り早いですもの」
その意味を分かっている紫雲は下唇を噛み、雪玲の気持ちを誰よりも理解する香蘭は俯いた。
「……木槿も連れて行くの?」
ややあって紫雲がぽつりと呟いた。先程の威勢はどこにいったのやら、萎れた花のように元気がない。
「ええ、放っておくわけにはいかないので」
それに香蘭が待ったをかけた。
「それは危険ですわ。いくら木槿がそうみえなくても、彼らは董家が所有していた書物を押収しています。それを見れば木槿がなんなのか
「木槿は体型や羽色から鴆には見えませんし、
「確かに木槿は鸚鵡と言われればそう見えるけど、もし正体がバレた時、危険なのは姉さんだ。俺が責任持って世話するから置いていきなよ」
「置いていきませんよ。あの子は私の家族ですもの」
小瓶を掲げて、中身を覗きながら雪玲は両目を細めて笑う。
「私はもう行くと決めましたし、絶対にこの家に不利になることはしないと約束します」
「俺達は自分や家よりも姉さんが心配なんだ。冷静なようで無茶苦茶だし」
「ひどいですね。私はいつだって冷静ですよ」
「事実だよ。姉さんは昔からおおらかそうで我が強いでしょ。自分がこうって決めたら一直線なのは俺達はよく知っているよ」
「失礼な! 私だって周囲のことを考えて行動してます」
「はいはい、そうだね」
「返事が適当すぎます」
「適当にもなるよ。俺達はまだ納得してないんだから。できれば今すぐにでも心変わりして欲しいよ。けど、止めても無駄なのは経験済み」
肩をすくめて紫雲は笑う。
「だから、頑張ってきてよ。この家のことは気にしないで、ずっと溜め込んできたものをぶちまけてくればいい」
「ごめんなさい。あなた達にいらぬ心配ばかりかけさせて……」
「いいよ。姉さんが楽しく笑ってくれれば、それだけで」
その瞬間、紫雲の顔が強張った。みるみる表情が解れたと思ったら深く息を吐き、顔を覆う。しばらくすると「違う……」とかぼそい声の呟きが雪玲の耳に届いた。
その言葉の意味が理解できず雪玲が問いかけるが紫雲は首を左右に振る。
「大丈夫、気にしないで」
やや赤らんだ顔で告げると箱詰め作業を再開させた。
「では、ここに置いてあるのは後日、後宮に送ってください」
「了解。他に必要な物があったらここに置いといて。後宮に入ってから必要なものがあれば
「必要なものですか。特にないです」
「いや、衣装とか装飾品とか色々あるでしょ。食べ物でもいいから」
「ないですね。薬の材料だけでいいです」
「姉さんは本当に物欲がないよね。薬以外は」
姉弟が
***
「……鳥?」
翔鵬は雪玲の腕にある鳥籠をみて怪訝そうな顔をした。
「木槿です」
鳥ではない。きちんと名前があると伝えると怪訝そうな顔はどんどん不快なものへと変わる。
「鳥など捨て置け」
「私の愛鳥ですもの」
だから捨てるものかと暗に伝えると翔鵬は舌を打つ。
本当にこれが大人で、瑞王だとは思えない態度に雪玲は内心で毒を吐いた。
(この
影武者と言われた方が信憑性は高い。
「道中、それが死んでも責任はとらん」
そう言い残すと翔鵬は軒車へ乗り込んだ。
一人残された雪玲はきょろきょろと周囲を見渡し、自分が乗る軒車を探す。
(まさか馬に乗ってこいということですか?)
どんなに探しても軒車は見当たらない。あるのは彼らが乗ってきた軒車がひとつ。
だが、これは翔鵬が乗っている。瑞王と同席など、許されるはずもない。
鳴家所有の軒車を、無理なら馬を連れてこようと雪玲は
「おい、何をしている?」
「えっと、今、輿か軒車を用意してくるのでお待ちいただけますか?」
「時間がない。乗れ」
乗れ、とは翔鵬の軒車にだろうか。
(断ればもっと機嫌を損ねてしまいますね)
この短時間で翔鵬の人となりを理解した雪玲はにっこりと笑う。
「では、失礼いたします」
「本当にな。瑞王であるこの俺と同席できること、ありがたく思え」
全然ありがたいことではないのだが、それをおくびにもださず雪玲は笑顔のまま頷いた。
「はい。
滑るように軒車に入り、空いた席に腰を下ろす。
「——ち下さいッ!」
この声の主を、雪玲はよく知っていた。瑞王の前ということを忘れて、窓から身を乗り出すと声がする方向を見る。
香蘭が泣きそうな顔で軒車の後を追い、走っているのが見えて雪玲はさっと顔を青くさせた。
「香蘭、危ないから走らないで!」
それでも香蘭は足を止めない。つまずきそうになりながら、雪玲の名を呼んだ。
「お体に気を付けて、必ずお戻りください!!」
「……必ず、絶対に戻ります!!」
その姿が見えなくなるまで雪玲は見つめ続けた。
(忘れていました)
自分がこれから行うことは、一歩間違えれば大切な彼女を危険に晒すということを。言葉では理解していても、雪玲は考えなかった。
(もし失敗すれば、香蘭や紫雲も殺されてしまう)
家族のように、目の前で下卑た笑みを浮かべるこの男に。雪玲は心に渦巻く様々な感情に飲み込まれないよう固く拳を握った。
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