第1話 雪玲の野望


 硝子がらす窓で隔てた外界ではおどろおどろしい音をたてながら白濁した風が吹き荒れていた。


「ひどい雪。あの子達は無事でしょうか……」


 外を眺めていた雪玲は吐息混じりに呟くと窓に張り付く無数の水滴を袖で拭い、食い入るように外を見つめた。猛吹雪の中に彼らの姿がないか探していると奥で火鉢を掻き回していた乳母である香蘭こうらんが慌てふためいた様子で雪玲の元に駆け寄ってくる。先程、呟いた言葉に反応したのかその表情は酷く怯えて蒼白だ。


「お嬢様。まさかと思いますがまだに関心を持っているのですか?」


 囁くように叱咤しったされ、香蘭の言いたいことを悟った雪玲は悲しげに眉を寄せる。


「やめてください、香蘭。そんなひどい言い方をしないでください」

「ひどくはありません」

「十分、ひどい言い方です。あの子達は私にとって家族同然の存在なのですよ。家族の無事を祈ってはいけないことですか?」

「お嬢様が気を揉む必要はございませんわ。それに、家族だなんて思ってはいけません。あれのせいで全てが壊されたのですから」

「壊されたっていうけど、あの子達のおかげで私達は瑞国でも有数の名家になったのを忘れたんですか?」


 香蘭は首を左右に振った。


「忘れてなどございませんわ。あれらのおかげではありますが、その名家としての地位を失ったのも、またあれらのせいでございます」


 忌々しく吐き捨てられた言葉に雪玲はまたため息をこぼした。これ以上、香蘭に反論してもまた顔を歪めてを口にすることは容易に想像ができたため、窓の外へと視線を戻す。

 曇り硝子に反射して、ぼやけているが香蘭が腰に手を当てて項垂れたのが見えた。


ちんなんて、早く絶滅すればいいのです」


 予想通り、香蘭はあの言葉を口にした。口に出すのもおぞましいという風に。

 怒りを抑えるため、雪玲は唇を強く噛み締めた。

 香蘭の言う鴆とは瑞国南西にだけ生息する鳥である。大きさはよく肥えた雄鶏ほどで、その羽はこの地では珍しい緑色。つぶらな瞳と鋭いくちばし山査子さんざしの実のように深い真紅色。まるで南国の鳥を連想されるかのように美しい姿を持つ彼らだが、常人では触れるどころか近付くことすら難しい鳥だった。

 彼らは猛毒をその身に持っていた。その毒は彼らが止り木に選んだ枝はすぐ枯れ果て、糞が付着した岩は溶け出し、近くにある水はすべて汚染され生き物が寄り付かなくなるほど強力だ。


(香蘭の気持ちも分かるけれど、それでも私は鴆が大切なのよ)


 猛毒を持つ鴆は瑞国では勝利をもたらす鳥とあがめられているがその反面、死の使いとして忌み嫌われている。そんな彼らを好きな人間はとても少なく、大半が香蘭と同じ拒絶を見せた。

 けれど、雪玲はそんな鴆が一等、好きだった。雪玲の体内なかに流れる董家の血がそう思わせるのかもしれない。


(あの子達は大切な家族だから)


 雪玲の生家——董家は瑞国が建国された時代から続く由緒正しい名家であり、世界で唯一、鴆を扱える一族でもあった。

 董家が鴆を使役できるのは鴆毒の活用法を見抜いた先祖が代々、鴆毒に体を慣らしてきたおかげでもある。赤子が飲む乳に針の先を浸した程度の鴆の血を混ぜ、成長とともに血の量を増やし、大人になれば血よりも遥かに毒性が強い内臓を食していき、十五を超える頃には毒に侵された者は血も涙も全てが猛毒と化した。

 人間でありながら猛毒におかされた身体を持つ董家は戦争では前線へ駆り立たされたり、瑞国に害をなす者を暗殺する任を与えられたりと瑞王の駒として従事してきた。また、鴆毒は特定の鉱石や植物と混ぜ合わせれば毒性が消えて薬にもなることから薬師としても重宝された。


 そうして二百九十年、絵に描いたような繁栄をしてきた。

 雪玲の父である当主——董沈が反逆罪で捕まり処刑されるまでは。


(お父様が瑞王を殺したなんてあり得ない)


 今から八年前、董沈が先代瑞王を暗殺し反旗をひるがえした『毒羽どくばねの乱』が起きた時、雪玲は遠方に住む父の友人宅へ預けられていた。

 雪玲は董家随一の毒使いと名高い父の血を引いているが生まれつき身体が弱く、微量の毒血でさえ高熱を出し三日三晩うなされるほどの病弱体質の持ち主で、幼い頃は走り回るよりも寝込んでいる時間が長く、療養の意も込めて自然豊かなこのむらに預けられたのだ。そのおかげで毒羽の乱に巻き込まれることなく雪玲は十六の歳を迎えることができた。

 董家狩りを行う瑞王の目を掻い潜り、細々と生き延びてきたこともあり、香蘭の気持ちも痛いほどよく分かる。心優しい乳母は平穏な人生を雪玲に歩んで欲しいと願っていることは知っている。


(お父様のおかげで私だけ助かった。けれど)


 多くの親族が無惨むざんに殺された。生きたいと願い、助けを求めても誰も手を差し伸べてはくれなかった。

 そして、董家がいなくなったことで扱えなくなった鴆も多く殺された。

 大好きな彼らを奪われて、自分だけ悠々と生きる未来など雪玲は必要としていない。


(もう少しの辛抱しんぼうよ)


 春になれば秀女選抜が三年ぶりに開催される。そこで残ることができれば雪玲は妃の一員に——自分から全てを奪った男の妻となり直接対話することができる。


(私は美しい。きっとお妃様に選ばれるはず)


 後宮に入り、父の呪詛を完遂するつもりではない。

 ただ、真実が知りたいだけだ。誰よりも他者を思いやり、国を愛してきた父が瑞王を殺すわけがない。出来損ないの雪玲じぶんを愛してくれた父があんな遺言を遺すわけない。きっと何か理由があるはず。

 雪玲の心の内を悟ったのか香蘭が強張った声で名を呼んだ。


「お嬢様。お願いですから敵討ちなど考えないでくださいませ。香蘭はお嬢様の幸せを切に願っております」

「分かっています。敵討ちなんて私は考えていません」


 雪玲はたおやかに微笑んでみせた。己の心を隠すように、香蘭を安心させるように。


「お嬢様、お願いでございます」

「香蘭は本当に心配症ですね。あなたやお義父とう様、鳴家のみなさんに迷惑なんてかけませんよ」

「わたくしは冗談でこのようなことを言っているのではありません!」


 香蘭は不安そうに眉尻を下げた。


「旦那様や奥様方は草葉の陰からきっとお嬢様の幸せを願っておいでです」


 両手を硬く握りしめた香蘭は雪玲の目をじっと見つめた。

 心の内を見透かされそうになり、雪玲は急いで視線をそらす。火鉢にべられた木炭が割れて、火花が散ったのが見えた。


「……香蘭。火鉢の火が消えそうになっていますよ」


 火鉢を指差せば香蘭は「あっ!」と声を荒げた。紅裙こうくんをひるがえし駆け寄ると長箸で掴んだ木炭を火鉢に放り入れる。


「香蘭、私はもう寝ることにします。あなたもゆっくりおやすみなさい」


 雪玲が声をかけると、香蘭は慌てて立ち上がり居住まいを正した。


「おやすみなさいませ。良い夢を」


 それに微笑みで返事を返すと雪玲は続き間となっている臥室しんしつへと向かった。




 ***




 へやに足を踏み入れると、軽やかなさえずりが雪玲を出迎えた。

 その囀りが誰のものか知っている雪玲はすぐさま臥台しんだいの横に置かれた鳥籠へと向かう。


木槿むくげ、まだ起きていたのですね」


 鳥籠には真紅の嘴と純白の羽を持つ美しい鳥がいた。

 名は木槿。鳩のように小柄だが、正真正銘の鴆である。

 木槿は生まれた時から体が小さく未熟なため、従来の鴆のように毒蛇や毒虫を食して毒を溜めることが難しかった。そのため、自然界では到底生き残ることはできないと考えた雪玲が鳴家の者達と香蘭に頼み込んで「室内でのみ飼育し、絶対に外には出さない」という約束の元、特例として飼育していた。


「外はすごい雪ですが、あなたは寒くありませんでしたか?」


 雪玲の問いかけに応えるように木槿は翼をはためかせた。


「本当はあなたの家族もここに住まわせてあげたいのですけれど……」


 木槿と違い、他の鴆達が持つ毒性は非常に強い。董家の出自である雪玲ですら長時間共にいれば体調を崩すのだから、鳴家の者達や香蘭は無事ではいられないだろう。


「つらいでしょうが、しばらく耐えてください。必ず、いつか董家を復興させてあなた達を守りますから」


 できることなら今すぐに他の鴆達も守ってあげたい。鴆はその猛毒から自然界では頂点に君臨するが冬場は毒蛇等が採れないため、毒が普段より弱くなる。触れることはできなくとも、普段より近付くことができるため、弓矢をもちいて【鴆狩り】を行う者もいた。

 董家が飼育及び管理していた鴆は千羽をゆうに越えていたが鴆狩りのせいで三百羽、二百羽と減っていき、今では八十羽ほどしか生存していない。

 三年ほど前に瑞王が鴆狩りを禁止したが、鴆の危険性を危惧きぐした者達の密猟みつりょうは後をたたず、数は減る一方。このままでは近い未来、香蘭の望み通り彼らは絶滅してしまうだろう。


(そのためにはまず、お父様の無実を証明しなければ……。私が董雪玲としてこの子達を守るためにも)


 これ以上、理不尽に愛しい者を奪われる前に。


「木槿。私は頑張りますね」


 絶対に秀女選抜に合格して見せる、と雪玲が決意を新たにすればその意気込みが木槿にも伝わったのか彼は「がんばれ!」と言いたげに羽を震わせた。

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