ケルちゃんの一日

作:ミルキー



 ふわぁぁー。よく寝たな~。真っ暗な世界で僕は目を覚ました。いつものように、タナトスに連れ来られた死人の列が目の前に広がっている。

「なんか……以前より増えてない? 死人の数……」

 そうつぶやいた僕に、姉のベロが鼻で笑って答えた。

「ケルったら当たり前じゃない。現世で医療技術や科学技術が進歩したから、生物の寿命が延びて、人間の数が増えているのよ」

「えー、面倒だな~。人間が増えると、ハデス様の仕事が増えて、僕らと遊ぶ時間が減っちゃうじゃないか~」

「文句を言ってないで、仕事をしておけ。俺は、もう寝るからな」

 そう言って、兄のスーは僕が文句を言っている間に寝てしまった。「文句じゃないよ! えっと……そう、ようぼうだよ。ようぼー!」

 僕がそう反論しても、スーは起きてこなかった。相変わらず、目を閉じるとすぐ寝ちゃうんだから。

 スーに文句を言うこともできず、むすっとした気分のまま仕事に戻る。暇だな~。そう思いながら、カロンの船に乗るために並んでいる死人の列を眺めていた。彼らは、カロンの船に乗ってアケロン川を渡っていく。昔はもっと少ない人数で船に乗せていたが、今は乗れるだけ乗せているから、ここからでもぎゅうぎゅう詰めになっている船の中が確認できる。うわぁ、あれカロンも死人も大変だなぁ。

「ああああああああ! 俺はまだ死にたくない!」

 そう叫んだ死人の男が列から逃げ出した。馬鹿だな~。どこにも逃げ場なんてないのにね。

 男が地上へと続く階段に一歩足を乗せた瞬間、僕たちは男を食った。ゴリッ、ベキベキベキ、まずい~。この男、ろくな生活を送ってこなかったんだな~。まあ、もう地獄にも天国にも行けないけどね。だって、永遠に僕らの腹の中にいなきゃいけなくなったから。

「薬臭い男ね。薬じゃなくて、もっといいものを食べればよかったのに」

「ほんとにね~。まずいよ~。はちみつたっぷりのパンケーキが食べたいよ~」

 僕らは、そういいながら元の場所に戻った。死人たちは僕らが容赦なく、男を食ったから、おびえた目でこちらを見ていた。これでしばらくは、おとなしくしてくれるね!

 しばらく仕事を続けていると、スーが起きて、ベロと交替した。

「そういえば、ケル逃げ出した死人を食ったそうだな」

「うん、まずかったよ~。それにすごくよわっちかった」

「まあ、もうヘラクレスほどじゃなくても英雄は、とんと見なくなったからな」

「あ~、あのすごく強い元人間の神様だよね。あの人は強かったな~。地上に出たのなんて、あれ一回だけだったしね」

 本当に強かったな~。噛み後ひとつつけられないほど強靭で鉄みたいな肌に、僕らを軽々と持ち上げる腕力、稀代の英雄って言われるだけあったよ~。もう二度と戦いたくないな~。地上に出るのは、物珍しかったけど、陽の光がきつすぎて、あんまり景色とか覚えてないんだよな~。そんなことを思っていると、ヘカテ様がやってきた。

「ケルベロス、ハデス様がお呼びだ。来なさい」

 ヘカテ様はそう言って、あっという間に宮殿へと戻ってしまった。

「ヘカテ様もお忙しそうだな」

「うん、ハデス様の仕事全般の補助だもんね。大変だよ~」

 僕たちは、急いでベロを起こし、宮殿へと向かった。途中で、船からレケ川へと飛び降りて、すべての記憶をなくしてしまった死人を目撃したり、ステュクス川でイーリス様が水を汲んでいたり、下級悪魔同士の抗争なんかを横目に見ながら、真っ暗ででこぼこの岩だらけの道を走り続ける。漆黒の大理石で作られたハデス様の宮殿と、大量の死人の列ができている灰色の大理石でできた裁判所に到着する。

 漆黒の宮殿にはペルセポネ様がいないため木々や花々が、枯れている。

「ペルセポネ様がいたら、蝶々とかもいる花畑に変わるのになぁ~」

「ケルは蝶々を追いかけるのが好きだものね」

「いいかげん、蝶を追いかけるのはやめたらどうだ。子供っぽいぞ」

「いいじゃないか~。好きなんだよ、なんか、こうひらひら動くのが~」

 三匹でしゃべりながら、枯れた庭を通り抜けて玄関で待つ。しばらくすると、ハデス様が出てきた。

「ケルベロス、急に来てもらってすまないな」

「いえ、ハデス様大丈夫です。ご用はなんですか?」

 ハデス様にスーが答える。

「実は生者が紛れていてな。その者を地上まで運んでほしいのだ。地上からはヘルメスが生者を元の体に戻してくれる」

「ハデス様、川を渡ってしまった生者は戻れないのがルールでは?」

「その者は、生前に善行を重ね、なおかつここに来たのも、人を助けて自分が生死の境に迷い込み、寿命もまだあるということから、生き返らすことに決まったのだ」

「そんな善人、珍しいですね~」

「そうだな、昔も今も本当の善人というのは珍しいからな。では、生者は裁判所のほうにいるからよろしく頼む」

「かしこまりました。地上までその生者を連れていきます」

 ハデス様と別れて、裁判所に行くと、ミノス王に連れられた生者が現れた。裁判官の一人に連れられているなんて、よほどの善人なんだな~。

「ケルベロス、この者をお願いします」 

「わかりました。地上まで連れていきます」

 そう言ってベロが生者の首根っこを噛んで、背中に乗せた。そのまま、地上への階段まで走り抜ける。その間、生者は川を渡ったせいなのかぼんやりとしていて何の反応も示さなかった。アケロン川や、レラ川を渡り、地上の階段を駆け上がる。階段の半分ほどから少しずつ明るくなってくる。地上に行く、少し前でヘルメス様が現れた。

「あとは、僕が連れていくよ」

「ありがとうございます。ヘルメス様、僕たちはこれで、失礼します」

 ヘルメス様に生者を渡し、僕らは階段を駆け下りた。

「やっぱり、地上はまぶしいね~」

「そうだな。直接見ていないとはいえ、近くであんなにまぶしいから、あまり行きたくないな」

 珍しくスーも肯定するほど、地上はまぶしかった。まぁ、こんなことって、そうそうないからな~。この時の生者とはもう二度と会わないだろう。

 ある日、いつものように死人の監視や、ハデス様の用事を受けていた時だった、死人の列に並んでいない人間を見つけた。こんなに立て続けて迷い込んでくるなんて珍しいな~、とりあえず追い返すか~。即座にその人間に駆け寄る。クンクン、なんかいい匂いがこの人間から漂ってくる。

「ひぃ! あっ、あれは、三つ首のケルベロス! 確か、これを上げれば……えぃ!」

 その人間が投げつけてきたのは、パンケーキだぁ! わあい! ハグハグ、うーん、はちみつたっぷりでおいしい~~! スーもベロも僕もはちみつたっぷりのパンケーキを食べた。

「旨い!」

「はちみつとバターたっぷりでおいしいわ!」

 あ~、おいしかった~。おやすみなさい~。Zzzzz……

「起きなさい! ケルベロス!」

 えっ、なに~?

「侵入者です! エリュシオンにいた死人を連れていかれました。この間の生者です!」

 僕らはヘカテ様にたたき起こされた。どうやら、侵入者に入られたらしい……僕たちがパンケーキで眠らされている間に……

「私はエリュシオンの管理に戻ります。一刻も早く死人を捕まえてくるように」

 そう言って、ヘカテ様はエリュシオンに向かっていった。

「なんてことだ! こんな失態をやってしまうなんて!」

「最悪だわ…… オルフェウスや、プシュケ様だけにとどめていたのに、3回目の失態だわ……」

「早く、その侵入者を捕まえよう!」

 僕らは周囲の匂いを嗅ぐ、川の匂いや、死人の匂い、果てはタルタロスにいる罪人たちの匂いがわかる。クンクンと匂いを嗅いでいると、いた! 慌てて、その侵入者の場所に向かう。その侵入者は、もう地上への出入り口の近くにいた。なんで、あの入り口塞がってないの!

 僕らはその入り口に回り込んだ。

「よくも、俺たちをコケにしてくれたな!」

「食い殺してやるわ……」

「ハデス様に叱られる! お前らのせいだ~!」

 僕らは侵入者に怒りをぶつける。本当に叱られるんだぞ! どうしてくれるの~! 侵入者は再度、僕らに投げつける。無駄だ! 僕らには何も効かない! 投げられたのは……パンケーキ! おいしし~! ハっ! しっしまった~~~!

「逃げられた……」

「なんてこと……」

「そっ、そんな~!」

 僕らは、またもパンケーキに夢中になっている間に侵入者に逃げられてしまった。そのまま、トボトボとハデス様の宮殿に向かう。尻尾が下がっているのがわかる。最悪の失態だ……

「逃げられたか……。まぁ、侵入者のほうは、裁判の時に罪を追加するから大丈夫だ。それに、連れていかれた死人は……かなり前に裁判をしたから、おそらくもう体は存在しないと思うしな」

「そうなんですか~。じゃあ、連れて行っても無駄だったんじゃ~」

「ああ、おそらく体がないから生き返る事なんて不可能だ」

「それでも、侵入者を許してしまいました」

「申し訳ありません」

「すいませんでした……」

 僕らは、ハデス様から10年間のおやつ抜きを言い渡された。僕らのおやつ……でも、これくらいで済んでよかったよ。前のプシュケ様の時は、100年間のおやつ抜きだったから……あれはきつかった……

「あの人間たちは、どうなるんだろ~?」

「さあ? でも死人を蘇らせようとしたのよ。ろくなことがおきないでしょうね」

「そうだな。死人の蘇りは、神にのみ許された特権だしな」

「フーン……そっか」

 あーあ、もうこんなことはこりごりだよ~。

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