第19話

 つい数ヶ月までしょぼくれてゆっくりと歩いていた病院の廊下を僕は今走っている。

 椎名との再会がここでとは、皮肉というより辛辣だ。

 ハッキリ言って、結城先生の仕業だったら良かったのにとさえ思う。そうすれば、全ての罪を押し付けて、今一度、記憶を忘却できるというのに。

 椎名へ好意を僕が渡した万年筆は、まるで悪魔のシナリオのようなものを描き続けている。その書き手は黒い革手袋をつけた謎の人物。

 今回の一件について、結城先生のアリバイは何よりも僕が証明することとなったのだった。


 さすがに病室までは違うまでも、紙幣よろしく番号の差に過ぎないのであって、機能と見た目は瓜二つ。まるで予知夢か幽体離脱か前世の因果か、とにかくそういったオカルティズムを彷彿とさせるような不思議な心境だ。

「椎名……」

 眠っているのに声をかけるなんてドラマの中だけだと思ってた。でもあまりの急展開に僕の人生経験から然るべき行動が選択されるはずもなく、結局僕も脚本の駒なのだろうな。

「まだ詳しいことは分からないらしいわ」

 教育者の顔をした大人の女性がそう告げる。『結城宮子』ではなく『結城先生』としての姿の方が見慣れているはずなのに。

「でも、特に怪我をしていた訳でもないらしいの。今までどうしていたんでしょうね」

「そうですね、僕はてっきり」

「私が………椎名さんを監禁していたとか?」

 図星だ。もしかするとさっき口走ってたのかもしれない。自分の記憶の不甲斐なさにはもはや落胆の域を超えているので今更どうという事はない。

「京ちゃんはよく変わったことを考えるよね。私みたいな女を好きになってくれてた時点でかなり変わってるけど。でもやっぱり寂しいな、椎名さんにそこまで真剣になれるなんて」

「はぁ」

「私ずっと思ってたの、記憶があるのと無いのと、どっちが幸せなんだろうって。最初は寂しかったけれど、君が病むことも無くなったし、イイことだと思うようにしてた。でも椎名さんは違ったみたい。着実に、京ちゃんとの思い出を取り戻そうとしていた。それで意見が対立したせいで、彼女は私を悪役に見立てることにしたのね」

「だから先生は椎名が行方不明になっても、真剣に探してくれなかったんですか」

「探したよ。だって君も連れていかれたら困るものね。私はを怠らないの」

「今となっては、どうして僕が先生に心を許したのか、よく分かりませんけどね」


 失言だった。

 だが往々にしてそう気づいた時には遅いのだ。口は禍の元であり、沈黙は金なのに。

 先ほどの表現を用いるならば、そこに居たのは『結城宮子』でも『結城先生』でもなく、だった。

 ここが病院なのもあって、乱心状態の精神病患者にも見えなくはないが、実態はそこにはなく、ただこちらを凝視していた。

「あそっか!まだ!」

「え」


 何畳なのかはよく分からないけど、そう広くない病室の端――僕は奥の窓際に、先生はドア付近――から先生が走ってきた。手に何かを構えて。

 瞬間、視界を白い何かが横切る。先生がまっすぐこちらに向かっていたはずが、そのフライングヒューマノイドかスカイフィッシュのような未確認物体によって、わずかによろける。

「きょーや!こっち!!」

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