黒い革手袋に撫でられて
綾波 宗水
無力感
第1話 死
秋の風がそっとカーテンを揺らす。そっか、今度からは寝ている風を装うために、しっかりと閉じておけばいいんだ。
「大丈夫、きっと良くなるよ!」
「俺なんかもっとヤバい手術したことあるんだぜ」
口々に僕を励ますが、その目は僕の方にも、また包帯を巻かれた両脚にも向けられてはいない。クラスの奴らは僕を励ましたり、なだめているというより、むしろ自身の心の平静を保とうとしているに過ぎない。そうすることで、今晩、何の変化もなくぐっすり寝れるからだ。
勿論それは両親も同じ。父に至っては母の携帯電話を通じて、『心配はしているけど、仕事で見舞いに行けない』という印象を自他に刷り込んでいた。
仕方なく居る、という意味では医者もそうだ。僕の対応のために、きっと仕事が増えたのだろう。
この場に居たくているという稀有な人物、それは担任の
美人な二十代後半の先生。ロングの黒髪はいつもしっかりと手入れされていて、スーツもシワ一つない。まさに仕事のデキる女、みたいなひと。
そんな先生が、『私が付いてるからね』とささやくことの真意とは。
******
クラスメイトが全員帰宅と称して、一緒に寄り道をし、母も結城先生と医者と少し話してから、ついに病室は僕だけになった。明後日からは相室になるらしいので、良くも悪くも一人っきりの病室はあと数時間の間だけ。
たいして柔らかくもないベッドをわずかに軋ませていると、ふいにドアが開いた。
「結城先生、まだいらっしゃったんですね」
「ええ、勿論」
普段から生徒思いの先生として高校内では有名な人だけど、何の手当も出ないのに、こうして陽が落ちてもにこやかに接して、隣に居てくれる。流石に面食らうとともに、教師のピンキリというものを彷彿とさせもした。
「先生はあなたの『先生』だもの。
「そんな」
「あの時、私が早く帰ってテスト勉強しなさい、とか言わなければ、さ」
「やめてください!」
「双葉君!?」
「先生は、関係ないですよ」
事故は事故だ。過失はあっても因果は追求されない。不注意だったのは僕であって、先生は僕の『先生』として言うべきことを言い、その上、しなくてもいい責務を果たそうとさえしている。
「そうだよね、償えないよね」
先生は誰よりも大人だ。だからこそ、僕の前で軽はずみに治るなどとは言わない。
背後から車に撥ねられた僕は、こうして現実世界に生き続けてはいるものの、両脚に多大なダメージを与えることに。結果、切断とまではいかずとも、もはや使い物にはなりそうにない。リハビリという何よりも努力的な行いに対してすらも運が語られていた。運が良ければリハビリも効果が見られるでしょう。
せめて僕が運動部の主将であったなら。そしたら軽薄な同情も、冷めきった己の心境も見つめずに済んだ。
僕には本当に何もない。
「そっか、僕には何も取り得がないからか」
「双葉君、どうしたの」
「先生は大人だから分かったんですね。ハンデの多い僕にはより今後、苦労することになるってことが」
どうせここは病院だ。いっそのこと、毒素は全て出し切ってしまえ。そのあとは点滴でも心療内科でも何でもござれだ。
「せ、せんせ、え!?」
先生は僕に劇薬を投与した。
もうすぐ冬が来そうな病棟の一角。足を負傷した若い生徒の右腕は、まっすぐ先生の左胸に押し当てられていた。シャツの向こうにはやや硬いブラジャーがあるが、その更に奥の物体の存在感もしっかりと手中に収められていた。
「あったかいでしょ」
『私が付いてるからね』と言ってくれた時と同じ、誰も知らない先生の微笑みがそこにはあった。
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