第15話
夜中の話をしよう。
三匹はお父ちゃん、お母ちゃんと一緒に寝る。並んだ二つの布団に大きな毛布が掛け渡されていて、三匹はその上に寝る(冬期)。当初、誰がどこに寝るかは日替りだったが、共同生活が始まって数年が過ぎた今では、ほぼ固定したと言える。ツムジはお父ちゃんとお母ちゃんの間だが、領域としてはお父ちゃんの布団の上で寝る。カティアはお父ちゃんの足の横。ワラシは大体お母ちゃんの足の周辺だ。ワラシはお父ちゃんやお母ちゃんの顔の近くには来なくなった。ツムジが睨みをきかせている。二親の上半身の範囲にいるのはツムジだけだ。他の二匹の位置は下半身にある。
さて、安らかに朝までぐっすり眠れたらいいのだが、そうはいかない。原因は三匹それぞれにある。先ずはツムジから。
前述のようにツムジはトイレシートに排泄ができない。だから屋外に出さなければならないのだが、雨が降っていて散歩に行けず、庭に出すこともできないまま就寝することがある。そんな真夜中にツムジが目覚め、ゴソゴソやりだす。爪を舐め、腹を掻く。カッ、カッ、カッ、と乾いた音がする。そこまでならまだいい。やがて布団から下りて畳を歩く。これは危ない。そしてそれが来る。カリカリ。カリカリ。襖を爪で掻く音だ。これを二親は恐れていた。ツムジが襖を開けてくれと要求している。外に出たい。つまり排泄の要求だ。何ということだ。懸念はしていたが、やっぱりか、と二親は思う。こうなると、どちらかが寝床から出て、ツムジを外に出さなければならない。どんなに眠くても、どんなに寒くても。お母ちゃんの安らかな寝息が聞こえている時はお父ちゃんが起きるしかない。目覚めた者の罰だ。しかしすぐには諦めがつかない。ツムジは何度も「カリカリ」を続ける。そして、ウーと唸る。仕方がない、起きてやるか! お父ちゃんは諦めて、暗闇の中で起き上がる。時に午前二時あたり。ツムジを抱いて階段を下り、暗い中を手探りで勝手口まで進む。土間の灯りを点け、勝手口の錠を外して外に出る。防犯燈が自動的に点る。その明かりの中、庭をあちこち嗅ぎまわるツムジの後を、片手に広告紙を持ってついて歩く。ツムジはすぐ排泄するとは限らない。十分余りもウロウロすることもある。そのあげくに何も排泄せずに終ることも稀にある。寒い時は体が冷え切る。雨が降っている時は傘を差して、ツムジにも差しかけて、ついて歩く。広告紙が雨に濡れ、それで糞を取ると、温もりが伝わり、直に糞を握っている感触がする。排泄が終ればツムジを風呂場に入れ、足や腹の汚れを洗う。そしてタオルで拭いて、ようやく終了。目は完全に覚めてしまう。最悪なのは、やれやれと寝床に横になった後、ツムジが再び「カリカリ」を始めることだ。もう嫌だ! とお父ちゃんは胸の裡で叫ぶ。勝手にしろ! と寝返りを打つ。ツムジは「カリカリ」を続ける。そして、ウーと唸る。お母ちゃんは目を覚まさないんだろうか、とお父ちゃんは思う。すると幸いなことに、「どうしたかね」とお母ちゃんがツムジに声をかけた。お父ちゃんは救われた思いだ。今度はお母ちゃんが連れて行く番だ。
忘れてはいけない。ツムジはトイレ以外でも「カリカリ」をする。真夜中に目覚めて、盛んに爪を舐め、体を掻く。長い間そうしているのに誰も構ってくれない。布団から下りて、お父ちゃん、お母ちゃんの寝顔を窺った後、ツムジは襖に近づき、カリカリとやる。そして二親を振り返る。この場合、二親のどちらかが起きて襖を開けてやっても、ツムジは部屋を出ない。親の方も夕方の散歩は行ったのにどうして、と思っている。ツムジを抱いて毛布の上に戻し、「寝んね、寝んね」と言いながら頭や背中を撫でてやると、おとなしく寝入ってしまう。ツムジは単に構ってほしかったのだ。これは、「カリカリ」をやると二親のどちらかが必ず起きてくると知って、ツムジが始めた行動だ。
ツムジは時にお父ちゃんの枕に乗ってくる。お父ちゃんの枕は大きいので、ツムジがお父ちゃんの顔の隣で横になるスペースはある。それは「カリカリ」をして構ってもらったけれど、まだ眠れない時だ。お父ちゃん、お母ちゃんはもう相手にしてくれない。放っておかれたツムジは枕に上がり、お父ちゃんの顔の横で丸くなる。すると、ウソのように寝入ってしまう。ツムジはお父ちゃんの枕が大好きだ。しかし、お父ちゃんはそのために枕の端に頭を置かなければならなくなる。大きな枕だと言っても、ツムジがまともに横になると、スペースの三分の二以上を奪われるのだから。頭が横にずれると体の軸が歪む。寝返りも不自由になる。寝苦しいお父ちゃんは起き上がり、寝入ったツムジを枕から毛布の上に移すことになる。だから近頃は、ツムジが「カリカリ」をすると、お父ちゃんは手っ取り早く寝具の端を上げ、ツムジを脇に入れる。そして「寝んね、寝んね」と言いながら体を撫でてやると、ツムジはスヤスヤと寝入ってしまう。こんな経験から、ツムジが夜中に体を掻き始める根本的な理由は心理的なものだとお父ちゃんは考えている。安心すれば眠るのだ。しかしお母ちゃんはあくまで原因は皮膚疾患にあると主張する。
ワラシも夜中に「カリカリ」をする。そして襖を開けてもらえないとやはり唸る。しかし理由はツムジのトイレのように明確ではない。排泄の場合も確かにある。その時は部屋から出してやると、トイレシートに排泄し、一件落着。さして手間はかからない。困るのは、例えば襖を開けてやっても動こうとしない時だ。どういうつもりなのだと二親は思う。出ないのか、それなら閉めるぞ、と襖を閉めて、しばらくすると再び「カリカリ」を始める。ワラシの場合、布団の中に入れて宥めてもあまり効果がない。部屋から出ても隣の部屋をうろうろするばかりということもある。理由はよく分からないが、結局、落着いて眠れないということから起きてくる行動なのだ。引き金はツムジであることが多い。ツムジが真夜中にトイレその他の理由でゴソゴソする。それでワラシの安眠が破られてしまう。だから、ツムジが一件落着して、さぁ、寝ようとしていると、今度はワラシがゴソゴソし始めるというダブルパンチを二親は蒙ることも多い。ワラシが自由に出入りできるよう、襖を開けたままにしておければいいが、夏は蚊の侵入を防ぐため、冬は寝室の保温のため、襖を開けておくことはできない。
お父ちゃんが散歩の折のワラシのわがままに腹を立てた日の前の晩のことだ。ワラシが夜中に「カリカリ」を始めた。運悪く目覚めたお父ちゃんは寝床のなかで舌打ちした。襖を開けて、ワラシが出たら、後は放っておいて襖を閉めようと思った。冷え込みの厳しい夜だった。すると、お母ちゃんが起き上がった。そしてワラシを外に出して襖を閉めた。お母ちゃんはそのまま階下に下りて便所に行った。戻ってきたお母ちゃんはワラシのいる隣室に入った。ワラシはよりもよって一番寒いアルミサッシのガラス戸の側で震えていた。
お母ちゃんは「寝んねしなさい」とワラシに声をかけ、抱きかかえて寝室に戻し、寝床に入った。ところがしばらくすると、ワラシがまた「カリカリ」を始めた。お父ちゃんはガックリきて、起き上がり、「お前、今度出たら放ったらかすぞ」とワラシに言った。するとお母ちゃんが、「放っときなさい。放っといたら諦めるから」と助言した。お父ちゃんはそれでまた横になった。しかしワラシは諦めない。三十分ほど、「カリカリ」と、ワン、ウーという小さな吠え声・唸り声が継続した。お父ちゃんが限界だなと思いだした時、お母ちゃんが起き上がり、ワラシと一緒に寝室を出た。そしてお母ちゃんはそのまま一晩をワラシと共に隣室で過ごした。ホットカーッペットの上とは言え、毛布を一枚かけただけではお母ちゃんは寒くてよく眠れなかった。翌日の晩、クッションに寝ろというお父ちゃんの勧めを無視したワラシは、珍しくお母ちゃんの顔を丹念に舐めた。おそらくは添い寝してくれたことへの感謝の気持をしっかり込めて。
カティアに「カリカリ」はない。夜中に手を取らない子だ。ただ鋭く高い声で吠える。階下か部屋の外で少しでも物音がすると、けたたましい声を出す。同じ部屋に寝ていて、この声に目が覚めない者はいないだろう。音に敏感なこの子は、人には聞こえない音にも反応する。ある晩、カティアが夜中に突然吠えた。お父ちゃんとお母ちゃんはびっくりして目を覚ました。何事があったのかと耳を澄ますと、階下のバアバの呻き声がかすかに聞こえた。下におりて部屋を覗くと、バアバが寝床から半身を起こして苦しがっている。二人は急いで救急病院に連れて行った。長年の胆石が膵炎を併発していた。手術が行われ、バアバは快癒した。カティアのお手柄だった。
そんな事もあったが、カティアの吠え声は有難くないことが殆どだ。昼間でもその声を聞くとドキッとするが、夜中は安眠を破られる。カティアが夜中に吠える場合、外部の物音だけではない条件も作用している。例えばツムジがゴソゴソして、カティアが落着いて眠れない状態になっていることだ。これはワラシの場合と同様。或いは二親のどちらかが欠けていること。夜間に外出していて帰宅が遅くなったり、夫婦喧嘩をしたりなどで、どちらかが寝室にいない状態で就寝しているという状況では、ツムジとカティアは落着かない。ワラシは年の功か、そんなことには我関せずと寝ているが、子供二匹は神経質になっている。特にカティアは不在の人の帰還への期待が強いのか、過敏になっている。ジイジやバアバが便所に行く音がしても、カンと乾いた、けたたましい吠え声を上げる。それでようやくウツラウツラしていたお父ちゃんの眠りが破られる。「大丈夫、大丈夫」と宥めて、また目を閉じるが、しばらくすると、再び落雷のような吠え声が轟く。もうだめだ。またいつそれが落ちるかという不安に囚われたお父ちゃんはもう眠れない。
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