西方見聞録 ~無自覚暴風少女が巻き起こす世界動乱記~

前浜いずみ

第一章 ヤーセミン、旅に出る

1-1.史上最低の招待状

主人公の言動や性格、細部の設定などをかなり変更しています(2022年7月30日改稿)。

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「っざけんじゃねえよ、こんちくしょう!!」


 書簡に目を通すなり激高したわたしは、叫び声を上げつつ、礼拝所にある応接室の床にその書簡をたたきつけた。


「妾(めかけ)だあ? 囲い込みだあ?? それが名誉だあ??? 花も恥じらうか弱い乙女を捕まえて何を言ってやんだ! 恥を知れ!! 地獄で神の裁きを受けてみやがれこの野郎!!!」


 後から考えると、花も枯れさす邪悪な夜叉(やしゃ)だったような気もするけれど、激怒するのは当然だと思う。


 そして、この書簡が、わたしの人生を大きく変えることになるとは、さすがに思ってもいなかった。


◇◇◇


 そもそものきっかけは、ずっと遠くにある大都市の大学で募集していた論文に応募したことだ。


 それから幾月かたった後、礼拝所にある学校の校長に呼び出されると。


「コンスタン大学のネジャット教授から招待状、ですか!?」


「うん。ヤーセミン君、君が提出した論文、教授の目に止まったようでね」


 ここ、ハイリク村は、人口六百人ほどの、それほど大きいとはいえない村。四方へと道路が延びていて、交通の要衝といえなくもないけど、主要な街道が通っているわけでもなく、名の通った産業があるわけでもなく、軍事上重要というわけでもない。


 一帯の地味に恵まれていて、周辺の山林の産物が多くて、きれいな湖と川に棲(す)む魚介に富んでいて、人を食わせていける余力がある。ただ、それだけ。言葉を飾らずにいえば、どこにでもある田舎村だ。


 ただ、普通の田舎村と大きく違うところが、一つある。それは、多様な種類の人間が、多様な種類の生き方をしていて、それが当然と受け止められていること。


 ハイリク村を支配する領主は、だいたい二十年周期で入れ替わる。これは、領主が代替わりするというのではなく、ある領主の勢力がだいたい二十年程度で落ち込み、別の領主の勢力が増してきて取って代わり、この村の支配者が変動する。そういうものだ。


 村の長老によれば、少なくとも過去百年以上にもわたって戦争は起きておらず、それなのに領主様が変わる、これは世界でも珍しいのじゃ、と。その通りだと思う。その結果、それぞれの領主の家臣なんかが子分を連れて屋敷を持ったりするため、その領主の宗教やら言語やら文化やら、そういうものが、この村にもたらさられる。そんなことを繰り返した結果、この村では、宗教も、言語も、文字も、複数のものが、当然のように併用されている。暦なんかもそうだから、約束を取り付ける場合なんか、どの暦での日付かをきちんと言っておくのが習慣になっている。


 そしてまた、人の行き来も活発だから起きるから、起源だの民族だのといっても、あまり意味がなかったりする。ここにいるヤーセミンという名の十六歳の娘だって、父方の祖父が真一教一統派のペリシー人、父方の祖母が真正教伝統派のスルヴィ人、母方の祖父が真正教古典派のルッシュ人、母方の祖母がダーマ教西伝派のカラーム人だ。おかげで複数言語を割と自然に操れるけど、一番得意なのは、親や祖父母が母語にしていなかったウクリーン語だったりする。さて、ヤーセミンちゃんは何人なのでしょうか。


 ついでにいうと、わたしが小さい頃、真一教礼拝所で初等教育の指導をしてくれた人は真一教正統派のブハリー人、真正教教会で遊び相手になってくれた聖職者は真正教合性派のアリーム人で、わたしの発想はこの人たちの影響が大きいと思う。でも、家に帰ると、親や祖父母のお祈りに付き合っているから、一般信徒レベルならいろんな信仰表明ができるようになってる。はい、ヤーセミンちゃんはどんな教えをもとに信仰しているのでしょうか。


 まあ、帰属意識のようなものはさておき。わたしは、そんな田舎村で生まれ育った村娘。体力は人並み、器量も人並み、体形……は、まだ大きくなるよ、成長期なんだよ、と主張すると、そうだね、期待を持つのって大事だよね、って、首と腹の中間あたりに生暖かい視線を注がれるんだよ、なんでだよ! いや、そうじゃない。


 身体能力面では人並みだけど、割と器用にそつなく物事をこなすことができて、読み書きが得意だったこともあって、親戚一同から、学校へ行くことを勧められた。


 この村には、教育機関と呼べるのは、二カ所ある。このうちの一つが、村の真ん中やや東側に真一教の礼拝所の中の一室。村の中でそれなりに物知りとされている人が、子供たちを対象に、いろいろなことを伝えるというもの。都市になると、大きい礼拝所に実績のある学者が常駐して、多くの学生が教えを乞いに訪れて議論を交わすらしいけれど、そういう光景は見られない。教える人の本職はまちまちだけど、薄く広く知識を身に付けることができる。


 そしてもう一つが、真生教教会の中で、これも子供にいろいろと教えるもの。こちらは、空き部屋に椅子を並べただけというシンプルなもので、神父が直接子供たちに教えるもの。職業柄、どうしても宗教的なことが中心になるので、教学や信仰について知りたい向きにはいい。でも、教える相手は子供たちだから、つまらないと思うだろうし、最低限の読み書きだけ教わればいいという形になってしまうのも否定はできない。


 わたしは子供の頃、この二つの教育機関――便宜的に、学校と呼んでおこうか――の両方をハシゴして勉強していた。もともと学習意欲が旺盛だったのだろうか、割と早いうちから“勉強”する段階はクリアして、礼拝所や教会にあったいろいろな書物を読み始める。そうすると、自分の知らない言語やら古典やらに触れることになって、さらに勉強が必要になる。


 気が付くと、本の虫が出来上がってしまった。そして気が付いたら、どちらの学校でも、それぞれ子供たちに教える立場になってしまってた。学問的な見識など何も備えていないから自分では学生のつもりだけど、村の中では、先生と呼ばれるようになっちゃった。まあ、それはどうでもいいんだけど。


 そんなハイリク村の礼拝所にも、時折、学者や、巡礼者や、吟遊詩人やといった人が立ち寄ることがある。あちこちで教えを授けたり、儀式の手伝いをしたり、歌ったり踊ったりして投げ銭を受けたり、いろいろだけど。


 そんな旅人がもたらした情報の中にあったのが、世界の中心といっても過言では無い巨大都市コンスタンにあるコンスタン大学が主催する、地方の若者を対象とした論文募集の告知。三等以下はせいぜい賞状授与程度なんだけど、二等は大学の雑誌に名前を掲載、一等は大学の客員研究員の称号を付与。さらに、特等になると。ポストを用意した上で大学に招聘(しょうへい)、研究を全面的に支援するという、とんでもなく太っ腹なものだった。


 賞状授与だけでも、十分に箔が付く。大都会のすごく偉い教授のサインが入った賞状を掲げていれば、教師としてメシを食っていくのも難しくないだろう。


 そんなノリで応募した結果が、これ。大学教授直筆の招待状で、研究の手助けとなれば、特等を取れたということになる。我ながら、すげえ。いや、研究者になろうとか、考えたこともなかったけど。頭の中で、いろいろなことが膨らんでいく。


「ぜひ大学に来て、研究の手助けをしてほしい……と、いうこと、らしいんだが……」


 ただ、校長の反応が、どうにもおかしい。名誉なことだと喜ぶか、若造がいい気になりやがってと思うか、だいたいそんな反応のはずなのに、頭から大量のハテナマークを飛ばしている。


 権威ある学術研究機関が発した文書だから、書面が格式張っていて、読みづらいのだろうか。いや、あくまでも通知文なんだし、読みづらくはあっても、意味がわかりにくいというはずはないだろう。


「? 何か問題でも?」


「いやな、その、この書簡が……な。まあ、見てみなさい」


「はあ」


 上質な紙で作られたきれいな封筒に、立派な封蝋(ふうろう)が施されている。うん、本物と見てよさそうだ。


 それで、肝心の中身を手にすると、確かに、いろいろと妙ではある。


 まず、紙の質が、封筒に比べて妙に悪い。ところどころ、ペーパーナイフを使わずに、雑にちぎったらしい痕跡まで見られる。単なる連絡文書なら、田舎村への通信にはこの程度でいいかもしれないけれど、コンスタン大学といえば、アリーミー朝スルターンのお膝元にある名門大学。正式な文書に、こんな紙は使わないと思うんだけど。


「えっと……『ヤーセミン嬢、必ずや我が下へ置くべし、仮定雑なれど推論鋭くまれな論士たり、されど……当面は我が助手の職……多いに期待……』……殴り書きで読みにくいな……『……女子学生を集め……物足りない……妾として囲い込むのも名誉と感謝されよう……』って、はあああ?」


 め、妾? か、か、囲い込む? 名誉?? 感謝???


 権威ある機関から出されたというその手紙が、急に汚らしい物に思えてくる。ブチ切れるのも当然だろう。


 この通知を見たのが、授業の後でよかったよ。


「そういう反応になるのも、無理はないな。……まあ、アミール様やスルターン様からの命令というわけではないから、従う必要などないけどな」


「当ったり前ですよっ! 大学に居る学者ヤローって、こんなことを平然と、しかも、手紙で書いてきやがるものなんですか?」


「いや……学者としては立派でも、行動が奇怪な人間って、いっぱい居るっていうからなあ……」


 なんのフォローにもなってないって。


 ああもう。せっかく、世界有数の大都会に出て、このアタマひとつでメシを食っていけるかもしれない、後世に名を残せるかもしれないという、そんな夢を抱いたのに、泡のように消えたよ。そして、学問の世界というものに対して持っていた憧れみたいなものが、あっという間に溶けてなくなったよ。


「それじゃ、これに対しては、返事を出さずに黙殺ということで、いいかな」


「それでお願いします……」


 何だろう。生まれて初めてといえる慶事が、次の瞬間に潰えるとは。気分が上がったり下がったり、穀物の価格だったらどんだけ人が死ぬだろうな、などと、くっだらないことを考えながら応接室を後にして。


 いや、それだけじゃないか。


「“教授から直々にご指名”なんてうわさになったら、こんな村でも、教師で身を立ててくこと自体、厳しいかあ」


 さて、どうしたもんでしょうか。

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