番外編 シズネとユウキ~その後~

 青く輝く壮大な海を前にシズネとユウキはたたずんでいた。

 海に来たというのみ現実離れの様子に、ベンチシートに荷物と合わせて腰を掛けてそのまま動かない。

「なんだか現実味がないね」

「そうだね。私達が海に来れるなんて夢みたい」

 ことの発端としては、吸血鬼疑惑の騒動から逃げるように無事に引っ越しが完了して、二人にはひろすぎる民家での生活にも慣れてきて、訪れた二度目の真夏に、ユウキが海に行ったことないということが判明したことが発端だった。厳密には幼い頃に行ったかもしれないが、分別がつくような頃からはユウキの家庭環境も相まって、ろくに海などには行けておらず、自分の体質を考慮すれば一生行けるような場所ではないと悲観していた。

 ユウキの体質を考えれば、人が多く、長時間出歩く必要のある海など、血を飲まずに耐えられるかという問題もあって、そう簡単に行けるような場所ではない。しかし、今のシズネとユウキならば問題ないだろうと急いて踏み切ったのだ。

「ここでぼーっとしててももったいないし行こ。大丈夫? ユウキ、ちゃんと泳げる?」

 シズネは立ち上がって、振り向きながらいたずらな表情を浮かべた。

「いやいや、ろくに海には来たことはなかっただけで、泳げないということはないから。学生時代は体育で水泳なんかやらされてた訳だし」

 ユウキは半ば呆れながら反論をした。そして、ゆっくりと伸びをしながらシズネと並んで海の方へ歩き出した。

 シズネは改めて横のユウキのちらりと見た。共に生活をしていてユウキの体は見慣れているものの、ユウキの水着姿というのは新鮮だった。毎日家で仕事をしているため、筋肉質な体という訳ではないが、若い男性らしく引き締まって体を動かす度に筋が浮かび上がる。色黒い人が集まる海で、色白いユウキの爽やかな存在はとても目を引くと思う。早くそんな視線から逃れたくて、シズネはユウキの手を引いて早歩きで海へと向かう。

 浜辺で水遊び程度から始めようかと思っていたが、そのまま足がつかないところまで進んで浮き輪に体を預ける。

 振り返ってユウキの姿を確認すると、いつの間にか背後にいたはずのユウキの姿が見えなかった。えっと思った瞬間、浮き輪の後ろ側が突然沈み、後ろから突然声をかけられた。

「俺だって人並にしっかり泳げるからな」

 ユウキはわざわざシズネの視線から潜って隠れて、背後から浮上して驚かしてきたようだった。シズネの言葉を意識したのか、水泳能力を示したらしい。

「びっくりしたよ、もう」

「アハハ、ごめんごめん」

 ユウキはシズネの浮き輪で体勢を保ちながら、いたずらっ子のように笑っていた。


 かなりの間、海の上で戯れ、遅めの昼食でもと、浜辺に戻ろうとして、「シズネ」と引き留められた。隣のユウキを見ると、ユウキは首元を指差していた。

 シズネの首元にはユウキが血を飲むために傷跡がいくつかある。さすがに首元に傷がついていると不審がられる可能性があるため、普段ならばタートルネックやYシャツで隠すが水着ではそうはいかない。そのため、シズネは必死に水で溶けにくいファンデーションを調べだし、遠目に気付かれないようにしていたのだ。

 しかし、さすがにこれだけ海の中で戯れていれば、落ちてきているらしい。シズネは昼食よりも先に化粧室を目指した。

 シズネが化粧室から戻ると既にユウキが昼食を買い終えベンチシートの上で準備をしていた。その中にはシズネが頼んだイカ焼きもある。

「おまたせ。買ってきてくれてありがとう」

「どういたしまして。さぁ、冷めないうちに食べようか」

 この炎天下の中、冷めないうちにというのもおかしい気がするが、やはり出来立て程美味しいものはない。シズネはさっそくイカ焼きを手に取り、串に刺さったイカ焼きにかぶりついた。

「うん、おいしい。動き回った後だから、余計に染みる」

 シズネは「どうぞ」と言いながら、ユウキに手渡した。ユウキは焼きそばを一口食べた後、受け取ったイカ焼きにかぶりついた。

「あぁ、たまに食べるこういうのはは上手いな」

「でしょ。焼きそばももらうね」

 ユウキは口の中が塞がっているため、大きくうなずいて肯定の意を示した。他に買ってきた昼食を二人で分けながら食べていった。

 ちょうど腹八分目まで腹が膨れた二人はしばらくベンチシートに横たわりぼんやりと時間を過ごした。お昼を食べ始めた時間も遅かったため、お昼の盛り上がりが完全になくなったところで、ユウキは寝転がった体を起き上がらせた。

「ん? もう行く?」

「そろそろまたプカプカするのもいいかなって。それにあっちの方も飲みたくなっちゃった」

 ユウキは再び首元を指し示した。

「じゃあ、行こっか」

 シズネも体を起き上がらせて、浮き輪を携えて海へと向かった。

 浜辺から少し距離を置いたところで二人は波に身を任せた。もちろん浜辺から距離を置いたところで全く遮るものがない中で、いつも通り〝食事〟をすると目についてしまう。

「いただきます」

 ユウキはシズネの肩を掴みながらそう言うと、軽く口づけを交わし、シズネの下唇の食べるかのように喰らいつき、そのまま優しく犬歯を立てた。そして傷口から漏れる血液を啜る。

 元々ユウキは吸血族として本能的に首元に喰らいついてきた。しかし、既にシズネは協力者になっている今では、血を飲むことが目的であれば首元にこだわる意味はない。それに、真夏らしくここには目のやり場に困るようなカップルも多数いる。今やシズネとユウキも触れ合うことに抵抗もなくなってきたため、このような形であれば、自然に血を飲むことができた。

 そういう意味ではわざわざ海の中で血を飲む必要はないが、そこは少しでも視線から逃れられるようにという計らいだろう。

 ある程度血を飲み終えたユウキは最後に舌で傷を圧迫する。鉄の味がしなくなると、今度はそのまま深い口づけを絡ませる。

 しばらくそうして波の音が完全に聞こえなくなると、ユウキは顔を離した。

「ごちそうさま」

 ユウキは顔を赤くしながらも、丁寧にいつもの言葉を口にした。

 シズネは力が抜けて浮き輪にもたれ、そのままぐってりとした。

「ごめん、やりすぎた……」

「ううん、平気。だけど、両方はさすがに身が、というより心臓がもたなかった」

 ユウキは力の抜けたシズネが溺れてしまわないよう、さりげなくシズネと浮き輪を支えた。しばらく波に身を預けていたシズネだが、呼吸が落ち着いてくると、シズネは浜辺の方に泳ぎだし、振り返りながら声をかけた。

「もう少しビーチボールで遊んでから旅館に戻ろうよ」

 このまま何もせず海を終えてしまうのはもったいなかった。そのため、シズネは散々ビーチボールで遊びつくしたというのに、もう少し遊ぼうと声をかけた。

「そうだね、それじゃあいくよ」

 ユウキはずっと近くに携えていたビーチボールをトスして宙に投げ上げた。


 へとへとになって私服に着替えた二人は、チェックインを終えようやく旅館の客間にたどり着いた。

「はあ、やっとゆっくりできる」

 二人が泊まる旅館は近くの高級リゾートとは違って、質素だが、だからこそ風情があるこぢんまりとした旅館だった。さらに部屋は簡単な和室で、ポットと湯飲み、市販の和菓子が用意されて、二人がくつろぐには十分だった。その割に、値段も安く、予約日も近かったというのに部屋を確保できてラッキーだった。

「うぅ、今すぐにでも布団にダイブしたいけど、風呂に入らないとね」

 さすがに各部屋に露天風呂がついているということはないので、宿泊者用の温泉に入る必要があった。ユウキは四つん這いになりながら、荷物をあさった。シズネも倣って、重い腰をようやく起こすと、自分の荷物からお風呂に必要なものと、用意されていた浴衣をまとめた。

「準備もできたことだし、さっぱりして来ようか。落ち着いてから夕飯としよう」

 シズネとユウキは大浴場前で別れた。

 シズネは第一に化粧室で首元の傷跡を改めて隠した。温泉ではマナー違反かもしれないが背に腹は代えられない。ファンデーションに気付かれても多少素行の悪い客だと思って目をつぶってもらうしかない。

 海水でキシキシになった髪と体を洗ってから浸かる温泉は格別だった。海で奪われた体力と体温が徐々に戻ってくる感覚だった。思わず効能を見て安心する。

 しばらくしてお風呂を上がって身支度を整え終え、共有スペースに向かうと、ちょうどユウキもひと風呂終えて、ソファに座ろうとしているところだった。

「あれ? もうお風呂上がったんだ。早いね」

「うん、まあね」

 ユウキはシズネが予想外にお風呂を早く終えたことに驚いたようだった。

「それじゃあ、部屋に戻ろうか」

 客間に戻った頃には、夕飯まであともう少しで、しばらく空腹に耐えながら各々時間を潰す。シズネは夕飯を待たずして、布団で横になってリラックスして時間を過ごしていた。

 そうこうしているうちに、部屋のインターホンが押されて、すぐにユウキが反応した、その後は和服の女性がてきぱきと夕飯を机に並べてあっという間に夕飯の支度が出来上がった。最後にお代わり用のご飯を用意して客間を後にした。

「さっそくだけど、食べようか。いただきます」

 空腹のシズネとユウキは情緒も会話もそっちのけで、準備された食事にかぶりついた。

「あぁ、やっぱここは海鮮が美味しいなぁ」

「そうだねぇ」

 疲れ切った二人は机の角を挟んで黙々と食事を勧めた。

 お互いひとしきり腹に入れ、先に食べ終えるであろうユウキが、残り数品となったところで、シズネは切り出した。

「実はね、話があるの」

 ユウキは驚いた顔で顔を上げた。

「赤ちゃんができた」

 ユウキは予想外のことすぎて、分かりやすく動揺して箸を落としてしまった。

「え? 俺との子供? え? いつ? あ、身体は大丈夫?」

 ユウキは混乱しすぎてわかり切ったことまで、確認する程だった。

「もちろん、父親……パパはユウキだよ。わかったのは最近。これからつわりとかあるかもだけど、今は大丈夫」

 シズネは丁寧にユウキの質問に答えていった。

 ユウキは落とした箸を拾って机の上に戻した。そして、未だ現実味を帯びないシズネの言葉を受け入れようと天井を仰いだ。

「そっか。俺、父親か」

 ユウキはボソッと呟いた。

「だから、この旅行を半ば無理やり急いで計画したんだね、今を逃したら体調がどうなるかわからなかったから」

「うん」

 ユウキが落ち着いて少しずつ現実を受け入れ始めているのが分かった。

「オキツさんに聞いたんだけど、吸血族とヒトの子の出産と言っても、どちらにせよ最初はヒトの子だから、一般の産婦人科で問題ないらしいよ。もちろん長い目で見て育てるときに吸血族かどうかによって気にしないといけない点は変わってくるみたいだけど。あとは、俺も血を飲む回数増やして一回の量を減らさないとな」

 シズネは思わず噴き出した。

「ごめん。だって、ユウキもオキツさんに私と同じことを確認してたんだなって思ったら、思わず……」

「え、シズネも?」

「うん、引っ越す前にね」

 今まで住んでいた土地ならば吸血族絡みで困ったことらあれば、オキツに相談をすればよかった。しかし、そこから、大きく離れは今の自然豊かな土地に住むとなれば、吸血族がらみで困ってもオキツに電話するか自分達で何とかするしかない。そのため、シズネはあらかじめ将来を視野に入れて、いくつか確認しておいたのだった。

「俺たちお互いわざわざバラバラに質問してたんだね。どおりで俺が質問したとき、一瞬驚いたようなニヤついた表情だったのか」

 ユウキは気を紛らわせるかのように、残りのおかずを口に詰め込んでいった。話が一段落したところでシズネも倣って食事を再開した。

「シズネの子供か。これから大変かもしれないけど、想像すると楽しみだな。大事なシズネの子供だなんて、俺、絶対に甘やかすな」

「私も。でも親としてしっかりしないとね」

「さすがだな。もう母親らしい」

「まあね、先に知った身としてはもう覚悟は決まってたから」

「今のピアノ教室はどうするの?」

 前の職場を辞めたシズネは一時何をすべきか思い悩んでいたが、音楽好きなことを活かしてピアノ教室を始めていた。始めはどうなるかと思ったが、意外と性に合っていたらしく、そこそこ評判もいいらしい。

「できるだけ続けたいと思ってる。だけど、私の体調のこともあるから、親御さんに伝えておかないといけないな」

「ピアノのことはどうにもできないけど、それ以外ならサポートするから、必要なことがあれば言ってね」

「うん、ありがとう」

 シズネがほとんど食べ終えると、ユウキは湯飲みに粉末と、沸かしてあるポットからお湯を入れてお茶を作り、互いの席に置いた。

「ありがとう」

 シズネは受け取ったお茶を冷ましながら、ゆっくりと口に含んだ。

「しかし、困ったなぁ」

「ん? 何か困ったことある?」

「シズネは俺だけのものって思ってたから、子供とシズネの取り合いになっちゃうな」

「あはは、それは困ったね。それじゃあ、私は二人分受け止められるようにならないと」

「よし。俺も存分にシズネを独り占めして、二人分大事にできるようにするよ」

 その後はあっという間だった。

 食器を下げてもらった後、何をするでもなくユウキはシズネを抱きしめながら、シズネのお腹に宿るもう一つの命をこれでもかというくらい感じていた。途中、血を飲むことはあったが、それ以外の時間はシズネを独占できるこの時間を逃すまいと、必死にシズネを抱きしめ、シズネの存在を感じていた。


 翌日、帰りの電車もあるため二人は早々に旅館を後にして、道すがらの神社を目指した。電車で移動しなければいけない程遠いが、そこはかなり人気のパワースポットがあるという。元々神社に立ち寄る予定だったが、シズネの話もあって二人とも気合いが入る。

「うわぁ、大きくて壮観だね」

 シズネは目的の神社の有名パワースポットである御神木の力強さに圧倒された。

「たしかに、これならいろいろなパワーがもらえそうだね」

 シズネとユウキは御神木の前で手を合わせた。もちろんシズネが無事に出産するためのパワーが目的だ。

 境内の本殿で参拝の後、安産と健康のお守りをそれぞれ購入した。これで、必要な運気とパワーは揃っただろう。

「せっかくだからこれもお揃いで買おうよ」

もう深く結ばれているというのに、ユウキは縁結びのお守りを買おうとしていた。シズネも悪い気はしなくて、色もおそろいのお守りを購入した。これで何があっても縁が切れることはないに違いない。

 電車の出発までの時間、二人は境内の散策や古民家カフェで残りの時間を堪能した。

 十分に旅行を楽しんだ二人は、重い荷物と共に、帰りの電車に乗り込んだ。わざわざ指定席を予約したが、電車にはほとんど乗客はおらず、シズネとユウキで独占していると言っても過言ではなかった。二人が乗り込むとすぐに電車は出発した。

「ふう。疲れたけど、楽しかったね」

 一息ついたところで、ユウキは息を吐き出した。

「そうだね。なんだか夢みたいにあっという間だった」

「うん。まるで、ディズニーから帰るときみたいだ」

「ふふふ。夢の国だもんね。まさにそんな感じだ」

 お互い疲れているのかそのまま会話が途切れてしまう。そんな中で睡魔が襲ってきてしまう。隣のユウキもだんだんとうつらうつらとし始めていた。シズネもだんだんと瞼が重くなる中で、これからのことを願った。

 本当に夢のような二日間だった。これから戻っていく現実も希望に満ちている。これほどの幸せがあるだろうか。こんな幸せがずっと続いてほしい。たとえこれが夢だと言われても、高望みはしないので、ユウキとの幸せな日々は続いてほしい。

 だんだんと身体の力が抜けていく感覚がしてくる。空調が効きすぎているのか、ほのかに寒い。意識がもうろうとしていく中で、一抹の不安がよぎりユウキから離れたくなくて、最期にユウキと手を繋ぐ。そして、そのまま夢の中に落ちていった。

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長い冬が明けたとき @Egg_Zukk

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