第41話 エピローグ

 こうして、人間の意思を持つ魔物という、世界を揺るがす存在は消えた。

 残ったのは、両手で抱えられる、オレンジ色の毛皮がかわいい茶トラの猫だ。

 国王や王妃は息子である第一王子の変化に驚いたものの、現実を受け止め、「生きていてよかった」と呟いた。

 聖女としての力を見せ、国王からの謝罪を受けた私は、聖女としての地位を得て、この国に認めらえた存在として生きていけるらしい。

 第一王子の事件についても、被害は王宮の窓と壁の一部。あとは第一王子が猫になってしまったこと。

 大事件が起こったにしては、被害も最小で済んだため、私の株は最高潮だ。

 私が力を使ったのを目撃した貴族や騎士、侍従たちが話を広めたらしく、『魔物になってしまった王子を癒す聖女』という物語が流行りに流行っていると聞いた。

 ……実際には悲鳴を上げる第一王子に手をかざしたんだけどね。全然、感動的な物語になりようがないけどね。

 国王は私に問うた。欲しいものはあるか? と。

 聖女として、国をあげて私の望みを叶えてくれるらしい。

 というわけで、私は――


「今日もいい天気!」

「ソウダナ!」

「ソウダネ!」

「セヤナ」


 ――第七騎士団へと戻り、スローライフを再開しています!

 右肩には白いドラゴン、足元には白いポメラニアンと水色のペンギン。

 なんでも叶えてくれると言っていたが、私はここでゆっくりさせてもらえれば、本当に幸せだ。かわいい魔物たちもいれば、もはや楽園と言える。


「おなかが空いたわ!」

「そうだねぇ。食べに行こうか」


 ソファの上でピョンと飛んだのは女子高生の黒い狐。

 そう。なぜか私の部屋にいる。ずっといる。


「にしても、王宮に戻らなくていいの?」

「一緒にいるって言ったでしょ!」

「うーん……。あれは一緒に説明をするよってだけで……」

「なに! 不満なの!?」


 不満というか……。


「ちゃんと話もして神の使いだってわかってもらったから、この国を追われることもないし、王宮で信仰を集めるのもいいと思うんだけど……」


 そう。第一王子といた王宮では立場がはっきりせず大変だっただろうが、今なら大丈夫なはずだ。

 ここにいるより、狐の夢が叶う気がするけどなぁ。


「もう、いいの! ……私はここにいたいの」


 元気だった声が途端にしょんぼりとする。

 大きな耳もぺたっと折れて――


「王宮だと……一人だし……」


 ――ああ、もうっ!


「かわいい……かわいいね……っ」


 私はソファに座る黒い狐をぎゅうっと抱きしめていた。

 いようじゃないか。一緒に。


「朝からなにをしているんだ? 本当に品がないな」


 そんな私にフンッと鼻で笑った声が届く。

 声の主は――


「君もなんでいるんだろうね……」

「そんなことは私が聞きたい! なんで私がこんな目に合わねばならないんだ!!」

「王宮へお帰り……」

「こんな姿で王宮にいれるか! 恥さらしだ!」

「森へお帰り……」

「第一王子だぞ! 森でなんか暮らせるか!」


 何百回も繰り返したやりとり。でも、結局、第一王子の行く場所はない。


「行く場所がないのはわかるんだよ……。でも、それが私の部屋になる理由は……?」

「ここは無駄に魔物だらけだろう? 私がいてもおかしくない。それに、私は気づいた」

「なにに?」


 茶トラの猫はふふんと胸を張る。

 第一王子だったときと比べ、この仕草がかわいいから困る。オレンジ色の毛皮が光を弾き、思わず手を伸ばしたくなるから困る。

 そのかわいさにやられないように、ぐっと奥歯を噛むと、茶トラの猫は琥珀色の目をきゅっと細めた。


「ここは、それなりに楽しい」

「……かわいい」


 いけない。かわいい。

 第一王子のときはこの傲慢さに辟易していたのに、猫だとかわいい。猫がかわいくてこわい。

 自分の心変わりに震える。

 すると、コンコンと扉をノックされた。

 現れたのは――


「ザイラードさん」

「ああ、気分はどうだ?」


 いつものように朝食へ迎えに来てくれたザイラードさんは、王宮で見たときとは違い、騎士団の服を着ている。

 私も、ドレスも化粧も落とし、また地味に戻った。

 こうしてみると、王宮でのことが白昼夢みたいにも感じられる。

 あんなにいろいろ考えて、責任を果たして、やることをやるのはしばらくはやりたいくない。

 正装のザイラードさんはすごくかっこよかったが、こうして普段のザイラードさんを見ると、やっぱりこのままがいいなぁと思った。

 すると、自然に言葉が出て――


「私……あのとき、ザイラードさんが魔物にならなくてよかったなって思ったんです」

「あのとき……? ああ、王宮でのことか?」

「はい」

「……ザイラードさんとは人間として接していたいというか」


 なにも考えずに出た言葉だったので、自分でもなにを言っているかよくわからない。

 なんていうか……。どう言えばいいんだろう。

 魔物たちはとてもかわいい。

 私を好きでいてくれるのがわかるし、信頼も感じる。とても強いし、契約で結ばれているから安心だ。


「人間同士だと……いろいろとあるじゃないですか。その……相手の気持ちや考えがわからなかったり、不安になったり。……嫌なことを言ったり、喧嘩したり、すれ違ったりすると思うんです。文句を言いたくなったり。……でも、伝わらないなって諦めたり」


 楽しいことだけならいい。でも、そうじゃないこともたくさんある。

 元の世界にいた私はそういうことにも疲れていた。

 仕事でへとへとになり、上司に嫌味を言われ、先輩に笑われ、同僚にも相談できない。ただ……一人で心にしまい込んでいた。

 だって――疲れるから。


「そういう人間とのやりとりに疲れていたので……。魔物たちと一緒にいると楽しくて、本当に癒されるんです」


 レジェドもシルフェもまっすぐで。その目を見れば「大好きだよ」って言ってくれているのがわかる。そんな二人がとてもかわいいし、それはクドウも一緒だ。

 クドウは言葉も上手だから、会話のやりとりも多いが。根底にはそういう気持ちがお互いにあるのがわかる。

 そして――


「私は……その……」


 私は一瞬悩んで……。こんなこと言うのはやめようって……いつもなら諦める。

 わかってもらえなくていいし、わかってもらうために話をするほうが疲れるのだ。

 でも……。


「ザイラードさんとなら、疲れてもいいというか……」


 諦めたくないというか……。


「伝わってます……?」


 さっきから自分で言ってて、全然意味が分からない。

 なに言ってるんだろう、自分。「あなたと一緒なら疲れてもいい」って言われて、うれしい人いる? いないよね……。


「あー……忘れてください。すみません」


 突然、今までの自分の話が恥ずかしくなって、言葉を切る。

 すると、そっと手を取られて――


「忘れない」

「え?」


 低い声に促されるように顔を上げる。

 すると、そこにはうっとりととろけているエメレルドグリーンの瞳があった。


「えっと……?」


 取られた手が、ザイラードさんの胸へ当てられる。

 よくわからなくて首を傾げれば、ザイラードさんはふっと笑った。


「俺の胸の音。聞こえないか?」

「胸の音……」


 そう言われて、てのひらに集中してみれば、トクトクトクという鼓動を感じた。その音が……思ったよりも速くて強い。

 これは――


「気づけば、あなたといるとき、胸が高鳴るようになった」


 ――ザイラードさんの心音が伝わる。

 気づけば、私の胸も速く、強くなり始めて……。


「俺もだ。俺もずっと疲れていた」


 呟かれた声は低い。


「兄である第一王子と俺。どちらが王に相応しいか。いつも比べられ、批評され……。そういう生まれなのだからしかたがない。そう思っていたが、俺はそんな世界に疲れていた」


 伝えられたのはザイラードさんの過去。


「兄は王として問題ないと思った。もちろん俺が王位に就きたいと願えば、競うことは可能だっただろう。けれど、俺は王として生きることや、王宮での華やかな暮らしよりも、国境の騎士団で暮らしていくことを選んだ」


 話を聞いて、私はなるほど、と頷いた。

 疲れ切ってこの世界に来た私。そんな私の意思を尊重し、スローライフを叶えてくれようとしたザイラードさん。

 それはきっと――


「最初にあなたと出会ったとき。王宮よりもここでゆっくり暮らしたいと話したあなたを見て、俺は『同じだ』と感じたんだ」


 ――ザイラードさんの選択と、私の選択が一緒だったから。


「俺の周りには上を目指す女性が多くてな。王宮で華やかな暮らしをしたいものが多い。もちろん、あなたのような女性もいたのだろうが、巡り合うことはなかった」

「ザイラードさんは王弟殿下です。そこはやはり、しっかりとした女性が多くいて当然ですよね。私みたいなやる気がない人では困りますし」


 ザイラードさんの言葉に、うんうんと頷く。

 適材適所。大事。国のためにも。


「一緒にキイチゴを摘むことを楽しんでくれ、釣りの話をすれば喜んでくれる。木陰のテーブルとイスしかない休憩所にもあなたはわくわくとしてくれた。そういうあなたを見ていると、心が弾むんだ」

「な、なるほど……」


 話としてはわかる。

 私も一緒に楽しんでくれるザイラードさんがいると、一人よりも楽しかった。

 だからわかるんだけども、ちょっと、……そう、気づけば距離が近い。

 ザイラードさんの胸に当てた手はそのまま引き寄せられ、気づけば私は抱きしめられるような形になっている……!


「俺はめんどうなことが嫌いだ。だからどれだけ離宮の侍女たちに言われても、女性とどうこうする気なんかなかった。……そういう女性関係で疲れるぐらいなら、なにもしないほうが楽だからな」


 ザイラードさんのとろけらエメラルドグリーンの瞳が私を射抜く。

 甘い色のそれから目が離せなくて――


「だから――あなたの言葉の意味が分かる」

「あ、……そうです?」


 私は私の言葉がちょっとわからなかったけれども……。

 どうやらザイラードさんには伝わったらしい。


「あなたは……俺となら、疲れてもいいと言ってくれた」

「はい」


 そう。思ったのだ。

 ザイラードさんにはわかってもらえるように話をしたい。諦めたくない、と。一人で心に閉じ込めるのではなく、やりとりをしていきたい、と。


「それは――俺と恋愛してもいい、と」


 耳元で囁かれる低い声に、じんと腰のあたりが痺れた。


「そういうことだろう?」

「うぇっ!?」


 思ってもみなかった言葉に、びっくりして声が漏れる。

 そ、そうなんだろうか? そうなるのかな……!?

 魔物だと楽だけど、ザイラードさんには人間でいてほしい。そして、……疲れてもいいから一緒にいたいという、この気持ちは――?


「……名前を呼びたい」

「な、まえ。ですか?」

「ああ。あなたの名前が呼びたい」


 耳元でそう乞われれば、否という言葉はまったく浮かばない。

 混乱のまま、なんとかこの場をしのぐために、こくこくと何度も頷けば、くくっと笑う声が聞こえた。

 そして――


「トール。好きだ」

「~~っ!?」


 んっぐぅ。


「好きだ、トール」



 んっぐ……んっ。

 胸がぎゅうぎゅうぎゅうって潰れる。

 無理かもしれない。なんだこれ。無理。


「あのっ、ちょっとこれ、は、その、ちょっと、そう、疲れたので……退室を……」


 しんどさがすごいので……。ちょっとこれにて……。

 ザイラードさんから逃れようと、体を引く。

 すると、さっきよりも強い力でぐっと引き寄せられた。

 気づけば、目の前にザイラードさんのきらきらと輝くエメラルドグリーンの瞳があって――


「疲れてもいいんだろ?」


 ――ザイラードさんが悪い顔で笑う。


「た、たしかに」


 そう言った。私が、ついさっき、自分から。

 頷くと、ザイラードさんはそっと私の頬に手を寄せる。

 そして、体を引き寄せる強い力とは反対に、やさしく温かいその手。

 思わずそこに手を重ねれば――


「好きだ」


 ――唇に優しい感触が残った。

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