魔物をペット化する能力が目覚めたので、騎士団でスローライフします
しっぽタヌキ
1部
第1話
仕事の帰り道。目の前に広がる景色にパチパチと目を瞬いた。
「え? なにこれ……」
どう考えてもおかしい。さきほどまで仕事に疲れて、ぼんやりと夜道を歩いていたはずなのに……。
なんせ今日はめんどくさい一日だった。
なぜだかわからないが上司の機嫌が悪く、いつもならサラッと終わるはずの仕事にねちねちと嫌味を言われ続けたのだ。
まあ、しばしば起こる自分自身では回避しようもないこと。
反抗したい心や逃げ出したい心を抑え込んで、粛々と仕事をこなし、やっと家へとたどり着くところだった。
星空を見上げて、どこか遠くへ行きたいなぁ、なんて考えていたけど、まさかこんなことになるとは。
さきほどまで真っ暗だった空は明るく、まだお昼ぐらいに思える。
アスファルトの道は草が生い茂り、鉄筋コンクリートの建物は青々とした葉を風にそよがせる大きな木へと変わっていた。
しかもその木は一本じゃない。
あっちも木。こっちも木。一つ飛ばしてあっちも木。……ちなみに一つ飛ばしたのももちろん木。
そう。仕事に疲れて遠い目をしていた元会社員は、気づけば森へと迷い込んでいたのだ。
「……どこ、ここ?」
****
その日、魔の森を部下たちと偵察していた騎士団長のザイラードは普段とは違う気配を感じていた。
いつもなら一歩踏み入るだけで感じる、魔物たちの気配がない。
魔物と言っても、森の奥深く行かなければ小型の鳥やウサギ程度だが、それらの姿を一切見ないのだ。
なにかがおかしい。
後ろをついてくる部下たちへと目配せすれば、心得ている、というようにうなずいた。
そうして、鎧を着た騎士たちが隙なく辺りを警戒しながら、森を進んでいく。
いつもなら見回り程度の任務が今日は何かが起こる、そんな予兆を感じながら――
「――っレジェンドドラゴンだ!!」
ピリピリした気配の中、目のいい騎士が一点を指差し、叫んだ。
その声に他の騎士も一斉にそちらを見る。
ザイラードもその声に反応し、右手奥へと視線を向ければ、こんな森の入り口付近にはいるはずのないレジェンドドラゴンがいた。
「くそっ……」
「そんな、まさかっ……」
騎士たちに緊張が走る。
こちらはいつもの見回りのつもりであり、装備も人員も心構えもなにもできていない。
そんな中で、魔物の中でも最強クラスであり、ほぼ物語の世界でしか登場しない敵と戦えるわけがなかった。
白銀の鱗を持つ巨体。青い目が煌々と光っている。
幸い、レジェンドドラゴンは騎士たちに気づいていない、であれば逃げることが可能かもしれない。
「……よく聞け」
ザイラードは声を潜めて、部下たちに声を掛けた。
「俺はここに残る。お前たちは騎士団の砦へ戻れ」
「しかしっ――」
「この中で一番強いのは誰だ?」
「……団長です」
「そうだ。俺がここを受け持つ。お前らは砦へ戻り、皆に伝えるんだ。副団長に言えば王国軍へと連絡が取れる。このままレジェンドドラゴンが森の奥へ飛び去ればそれでよし」
一抹の希望。
もしかしたらレジェンドドラゴンがここに現れたのは単なる気まぐれであり、すぐに姿を消す可能性もあるのだ。
しかし――
「もし、このまま我が国の領土へと牙を向けた場合、被害はここだけでは済まない。初手で王国が軍を整えられなければ……滅亡もありうる」
過去にもあったことだ。
栄えていた王国が、最強クラスの魔物に襲われ、国ごと滅亡した。天災のようなもので、そこに国政は関係はない。戦争などという人間同士の生ぬるい戦いではないのだ。
勝っても利はない。そして――負ければ滅亡だ。
「――行け」
その言葉に騎士たちは音を立てぬよう、細心の注意を払いながら離れていく。
ザイラードとともに残ろうとするものもいたが、足手まといだと追い返した。
ザイラードは強い騎士だ。しかし、レジェンドドラゴンの前で他者を守るような立ち回りができるとは思えなかったのだ。
レジェンドドラゴンに気づかれぬよう気配を殺し、そっと近づく。
なにかあれば即、ザイラードの剣の間合いになる位置まで来ると、ザイラードはそのまま茂みに身を隠した。
まだ、レジェンドドラゴンの動向はわからない。このまま飛び去る可能性もあるからだ。
が、その希望は、レジェンドドラゴンの呟きで儚く消えた。
「人間コロスカ」
レジェンドドラゴンは低く響く声でそう鳴いた。
高位の魔物は人語を理解できるという。レジェンドドラゴンは最強クラスの魔物であり、当然のように言語を使用できた。
「爪、ヒッカカッタ」
レジェンドドラゴンはそう言うと、ひょいと地面のなにかをひっくり返した。
それは魔物用の罠で、魔物を狩猟するものが置いていったのだろう。そして、運悪くそれがレジェンドドラゴンの爪にかかってしまったようだった。
レジェンドドラゴンにとって、爪がひっかかったことなど、取るに足らないこと。が、レジェンドドラゴンはそんな些末なことで、人間を滅ぼすことに決めたようだった。
「ドチラニシヨウ?」
レジェンドドラゴンは右左と首を動かした。
魔の森はちょうどザイラードの国と隣国との国境に面している。
魔物用の罠を置いたのはどちらの国の者かはわからないが、今、その存続がドラゴンによって決められようとしていた。
「ン?」
そのとき、ザイラードの潜んでいた茂みの奥からピチチッと鳥が羽ばたき、飛んだ。
レジェンドドラゴンはそれを目で追って――
「ヨシッ。ミギ」
――右。
それはザイラードの国だ。
「はぁっ!」
その瞬間。ザイラードはレジェンドドラゴンの首元に向かって、剣を一閃させた。
猶予はない。最初の一撃でできるだけ深く抉る。
ザイラードにはそれ以外に勝算はなかった。
が――
「ッナンダ?」
レジェンドドラゴンの首まであとわずか。
剣は届くことなく、レジェンドドラゴンが大きく身を引いた。
「くそっ」
ザイラードは失敗がわかったが、すぐに追撃をかけた。
けれど、それはすべてレジェンドドラゴンの爪によって阻まれる。お互いに攻撃と防御を繰り返し、ザイラードには爪の傷が。レジェンドドラゴンにも幾筋かの剣が入り、堅い鱗を貫通していた。
「オマエ、人間ニシテハ、ツヨイ」
「言葉がわかるなら、魔の森へ帰ってくれ」
「ナイ。キメタコト、カエナイ」
レジェンドドラゴンはそう言うと、深く息を吸った。
「ブレスが来るっ……」
ザイラードは背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
これまでのように爪であれば、剣で防ぐことができる。だが、ドラゴンのブレスは高温の衝撃波だ。何度かは避けることはできるだろうが、それだけ。
ドラゴンブレスを続けられては、人間であるザイラードに勝機はない。
そして、それは初めからわかっていたことではあった。だから、初手で決めるつもりだったのだ。それを避けられた時点で、ザイラードに勝利がもたらされることはなく――
「ここまで、か……」
目の前には息を吸い終わったドラゴン。
次の瞬間にはザイラードの姿は跡形もなく消えるであろう。せめて、逃がした騎士たちが伝令を果たしてくれればいいが……。
ザイラードの凪いだ目。それを見てレジェンドドラゴンはニィと笑ったようだった。
そして――
「うわぁ、これドラゴン!?」
――突然、聞こえてきた声に、そのままゴクンとブレスを呑み込んだ。
「は?」
あまりのことにザイラードは呆けた声を出した。
「ン? ナンダ?」
ブレスを呑み込んだレジェンドドラゴン本人も事態がわかっていないらしい。
そして、次の瞬間。ドラゴンの姿が輝き――
「チイサクナッタ」
――ぐんぐんと小さくなっていった。
「あれ? ドラゴンがただのトカゲになっちゃいましたね」
明るく透き通るような声。
不思議そうなその声の主を探せば、ザイラードの後ろにその人物はいた。
「……女性?」
黒い髪に黒い目。珍しい服装の女性がそこにいた。
そして、さきほどまで大きな体をしていたレジェンドドラゴンがその女性の胸元に飛び込み――
「トカゲジャナイ! レジェンドドラゴンダ! ツヨイ!」
「あ、そうなんだ? ごめん」
「イイ。ユルス。スキ」
「あ、どうも」
ほのぼのとした(?)会話をしている。
よくわからないが。全然わからないが。
「……レジェンドドラゴンが小型化し、女性に懐いた、のか?」
起こったままを述べれば、そういうことだ。
こんなことがあり得るなんて思えないが、ザイラードは自身の目でたしかに目撃した。これが現実だ。
この女性は救国の聖女なのだろうか……?
ザイラードはそんなものは夢物語だと、信じていなかった。けれど、今、ここで起こったのだ。
ザイラードは女性の後ろから光が差したのを感じた。
思わず、その場に跪く。女性の神々しさに自然と体が動いたのだ。
すると、女性はザイラードへと駆け寄ってきた。
そして、ザイラードをじっと見つめて――
「すみません、出会って早々で申し訳ないんですか、助けてもらえませんか?」
え?
「……いや、助けられたのは俺だが」
そして、この国なんだが……。
ザイラードは困惑した。
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