第6話 一通のメールと夢の熾火 その1

 十八とおやは若い頃にも、バイトでいくつかの工場に勤めたことはあったが、どの工場も始業前にはラジオ体操をしてから朝礼というのがお決まりだった。

 朝礼では部署の総括リーダーなどが業務連絡などを終えると、最後に全員で「ご安全に」と唱和してから、各自の持ち場に散っていく。

 工場は俗に言う流通系の企業で、十八は工場の中で仕分けされた商品を、規格に合わせて様々なダンボールや小箱・小袋に詰める梱包部門と呼ばれる部署に所属していた。

 社員と言っても契約社員なので、特別な技術も能力もいらない仕事だった。

 単調な仕事を黙々とこなし、時々同じ現場の人と雑談を交わす。

 平凡だが平和な日常業務だった。

 そうこうするうち、昼休みになる。

 食堂で自前の弁当を食べながら、スマホのチェックをする。

 すると、朝に送った華蓮かれんのラインから、返信が来ていた。

”十八くん、いろいろありがとう。とりあえず帰ったら寝ます”

 その一件のみだったので、今頃は恐らく爆睡中なのだろう。

 小さく苦笑しながら、ついでにメールもチェックする。

 ほとんどが広告や宣伝メールだったが、その中に少し懐かしい名前を見つけた。

大岳おおたけからメールが来てる……」

 大岳拓也たくやは、十八が大学を卒業後に、三年ほど所属していた小劇団の同期だ。

 若い頃は役者を目指していた十八は、その小劇団で経験を積みながら、時折開かれるオーディションなどに参加し、メジャーデビューの夢を追っていた。

 しかし、役者の世界も甘いものではなく、なかなか結果を出せない日が続いた。

 そんな時、舞台の事故でケガをして、通っていた病院で働いていた華蓮と出会い、結婚したのだ。

 結婚後は劇団を退団し、役者の道もスッパリあきらめた……つもりだったのだが、年に一度か二度の割合で、一番仲の良かった大岳から、こうしたメールが届く。そして、要件は毎回決まって……

「やっぱり、客演の誘いかァ……」

 客演と言うと聞こえはいいが、友情出演、もっと有体に言えば、ギャラのいらない役者として来て欲しいのだ。

 多少の差はあれ、小劇団、私設劇団は、どこも商売として考えると、とても割に合わない苦しい稼業である。

 それでも、世に名も知られぬ劇団が多数存在するのは、ただただ「お芝居が、舞台が、役者が好きだッ」という人々の情熱で支えられていた。

 十八の居た劇団も例外ではなく、経費の節減、ムダ使いの禁止は、あいさつと同じくらい徹底して教え込まれたものだ。

 余談になるが、以前テレビで玉ねぎ型のヘアースタイルがトレードマークの超大御所女優さんが、若手だった頃のエピソードを語られていた。ある日劇団仲間二人と食事に行った時、どうしてもエビチリが食べたかったが、高くてとても食べられなかったそうだ。そこで三人で一皿頼み、エビの数を数えて「一人六匹だよッ六匹だからッ」と分け合って食べ、いつか売れっ子の役者になったら、エビの数を気にしないでお腹いっぱい食べられるようになろう!と言い合っていたそうだ。

 この話は六十年以上も前の事だが、現在でもあまり変わらず劇団業界は世知辛い。そのため退団した今でも、使えるものは猫の手だろうと、元劇団員だろうと使ってくるのである。

 ただ、前回大岳に呼ばれた時に、皮肉を込めてそんな話をしたら、節減だけど誰でもいいわけじゃないぞ、と言ってくれた。まあその時は、素直に賛辞だと受けておいた。

 とはいえ、すでに退団した身なので、ゴリ押しをされることはないが、スッパリあきらめたつもりの十八も、こんな時にはふと、心の中に熾火のようなものがあるのを実感してしまう。

 一度でも舞台を踏む心地良さを知ってしまうと、こうして誘ってもらえることが、今でも純粋にうれしいのだ。

 ただ、やはり妻子や家庭を持つ身なので、二つ返事は出来なかった。家族と相談の上で返事をする、とだけ返信する。

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