第70話 勇者の父一行、潜る
天候操作魔法を解いて丸一日。海は想像以上に荒れていて、ミオンも魔力コントロールに集中するのが精一杯。正直あれからほとんど進んでいなかった。
だがミオンの長所である応用力と、命の危機という特殊な状況により、たった一日でこの地獄のような環境にも適応出来ていた。
「やれば出来るじゃないですか」
「やらなきゃ死にますからね……」
たった一日でげっそりしている。
死という言葉がずっと脳裏にちらつくのだ。精神的な疲労も半端ではなかった。
幸いにも、今は天気もよく海も穏やかだ。と言っても、海の天候は変わりやすく、油断は出来ない。
ミオンの集中力はかつてないほど研ぎ澄まされていた。
そのまま歩くこと数時間。
不意にクロアが立ち止まって、周囲を見渡した。
「この辺だったか?」
「ええ、そうですね。ちゃんと気配もあります」
クロアとウィエルが何かを話している。
気配に敏感なミオンだが、気配らしい気配は何も感じない。自分とクロアとウィエル以外の姿も見えないし、一体何を話しているんだろう。
「さて、ミオンちゃん。魔力の膜で体を包んでください」
「え? は、はい……?」
言われた通りに魔力で体の表面に膜を作る。
こうすることで服も濡れず、水を弾くのだが……。
「え、まさか」
「ええ、そのまさかです」
「ここが中間地点だ。これから食料や物資の確保のために、海底へ潜る」
なんとなく察しはついていたから、今更驚きはしない。
だが、こんな海のど真ん中で海底に潜るとなると、その深さは計りしれない。絶対浅くないだろうし、そもそもそんなに息が持つかもわからない。
それに、絶対海の魔獣や魔物もいるだろう。下手に潜ったら食われかねない。
クロアとウィエルがいるからそんな心配も杞憂だとは思うが、気持ち的には割り切れない部分もある。
不安と不安と不安で胃がキリキリしてきた。胃薬が欲しいレベル。
「大丈夫だ。魔獣や魔物は俺とウィエルが相手をする。海の敵は慣れが必要だからな」
「海の中でも呼吸が出来るよう、私が魔法を掛けますから安心してください」
「え」
至れり尽くせりすぎて逆に怪しい。
ミオンは人間不信になっていた。まあ今までの鬼の所業を考えれば、人間不信にならない方がどうかしているが。
「……何か裏があるのでは?」
「おお、察しがいいな」
「ミオンちゃんが成長してくれて、私は嬉しいです」
「全然嬉しくないんですが」
予想通りだった。
だが魔獣や魔物と戦わず、呼吸に関しても心配はないとなると、後はどんな無茶ぶりをさせられるのだろうか。
「ま、なんてことはない。自力で潜ってもらう。それだけだ」
「……え? 本当にそれだけ……ですか?」
「ああ。それだけだ」
ミオンは海で泳いだことはないが、湖ではよく仲間と泳いでいた。素潜りもよくやっていたし、どちらかと言えば得意な方である。
潜るだけなら全然いけそうだ。
「わかりました。私、頑張ります!」
「その意気です」
「それじゃあ潜るか。
「はい!」
…………。
「え?」
「あのウィエル様ッ、魔力の膜がミシミシ言ってるんですが」
潜り始めて既に三百メートルを突破。
魔力の膜で水で濡れることはない。が、さっきから魔力の膜が立てている音で集中出来ない。今まで感じたことない感覚だ。
「それは水圧ですね。潜れば潜るだけ水圧が高くなっていきます。魔力コントロールが少しでもおざなりになると、水圧でぺっちゃんこですから気を付けてくださいね」
「ぺっちゃんことか可愛く惨いこと言わないでください!」
慌てて魔力コントロールに集中する。
だが潜れば潜るだけ体全体に掛かる圧が強くなり、魔力の膜も今にも弾けそうになる。
正に死が隣り合わせの状況だ。
「でもクロア様は普通に潜ってますよね。ウィエル様が魔力の膜を張ってるんですか?」
「いえ。旦那には水中で呼吸が出来る魔法を掛けてるだけですよ」
「この圧の中、普通に潜ってるように見えるんですが」
「まあ、旦那ですから」
「確かに」
だがミオンは人のことを心配している余裕はない。
十メートル、二十メートルと圧が強くなっていくのがわかる。しかもウィエルの出している明かりがなければ、何も見えないほど暗い。
しかもそれだけじゃなく、暗闇の向こうには魔獣の気配が無数に感じられる。
精神的に削られて、魔力コントロールも少し精密さを欠いてしまう。
「まあまあ。ミオンちゃん、今は魔力コントロールに集中する時です。じゃないと本当に死んじゃいますよ」
「ひぇ」
爽やか笑顔が怖い。逆に怖い。
ミオンは言われた通り、死なないために魔力コントロールに集中して潜り続けるのだった。
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