ちょっと変な男の子の話
まの
ちょっと変な男の子の話
N君は変わった子でした。人と目を合わせるのが苦手で、たまに会話が成り立たないところがあります。夏休みに公園の大掃除の際、カエルを見つけ騒いでいた母親達の間を縫って登場し、「持って帰って解剖する」と言ったことで、母親達の間で噂になっていました。彼のお母さんはニコニコしたままカエルを捕まえて帰ったそうです。
「変わった家じゃ。あの子、そのうち人間も解剖するっちゃない?近寄らん方がよか」母は本気でこう言いました。私は子供ながら母の言い草にうんざりしつつ、彼のそのエピソードにハートを撃ち抜かれました。その好奇心、迷いのなさ、私もそうなりたい!
…これが7歳の時の話です。彼の一家はそれからすぐ引っ越して行きました。口さがない田舎の世間にうんざりしたのかは定かではありません。
時は流れ、私達は地域でただ一つの進学校の美術部で再会しました。私は最初、彼があのN君とは気づかず、母の指摘で思い出しました。彼も彼で人の顔を見ないものですから、私から伝えるまで思い出せなかったようです。カエルのエピソードを伝えると、照れながら簡単な解剖図を描いて寄越してくれました。
「本当に解剖したっちゃね!」
「ぐらしい(可哀想)やろ」
「うーん、ちょっとぐらしかごたいね(可哀想な気がする)」
「そうじゃねぇよ、切ったらねっかい(全部)覚えちゃらんと、ぐらしいやろ」
捕まえたから切る。切ったからには覚えておく。それがN君なりの哲学のようでした。そらで描けるほど克明に見たんだなぁと思うと、それは弔いのように思われ、なんだか疎かにはできない気がして、私はその紙を手帳に大事に挟みました。
N君は理系特進クラス、私は普通クラスに在籍していました。N君は全国模試でも上位の成績を誇る男に成長していました。対して私は成績のばらつきが酷く、特に数学に関しては酷いありさまでした。
ある日、私は数学の再テストのため、部活を休みました。先生は目を輝かせてこう言いました。
「今日はできるようになるまで、なんとか頑張りましょう。あなたは真面目だし、やればできると思ってます」
私は身を固くしました。先生、私、おっしゃる通り真面目なんです。公文式もそろばんも学研も進研ゼミも塾もやった。やることやったんです。でもできないの。さんすうがわからないの。
やはり先生の思惑叶わず時は進み、やがて日が沈み、虚しい放課後が終わりました。諦め以外に何も得るものがないまま、とぼとぼと教室を出ました。先生、その憐みと若干の苛立ちを含んだ苦笑い、知ってる。最後はみんなその顔するんだよなぁ。
こういう時、誰かと会って悲しさを紛らわしたくなります。ふらふらと立ち寄った部室には、幸いまだ灯りがついていました。
「どげんした、遅かったね」
部室には部長とN君が残っていました。
「もーだめっす。再々々々々テストでサジ投げられた」
「そんなのある??」
N君は嫌味ではなく、純粋に質問しています。それがかえって憎たらしい。
「あんたの知らん世界やわ」
「プリント見して?…あ、引き算から間違っとる」
「もうだめ、わからん!」
「投げんな、一歩ずつやれば出来っとやから」
「あんたには簡単じゃろうがね、うちにはもうわからんの!」
「どこがわからんとや」
「どこがわからんとかわからんとじゃ!」
「あんたらは仲よかねぇ」
部長先輩が笑いました。
N君が少し言葉に詰まりました。どうやら私、お邪魔してしまったようです。でもN君、残念だったな。先輩は女性経験のない君の手におえる女ではない。君は知らんだろうが、彼女は百戦錬磨の女神なのだ。女子だけにその武勇伝を語り、反応を楽しんでいるのだよ。心の中でそう言って、少し固唾を下げました。
N君は頭がいい。そして私はN君が嫌いではないから、難しいところがあったらとりあえずN君に聞きます。でも、N君の話はよくわからない。すぐ私を置いてけぼりにします。だいたい、人の顔を見ないもんだから、相手の感情や理解度がわからないのかもしれません。良い先生ではない。
ある日の放課後、女子トイレで特進クラスの子達の会話を聞きました。
「またN君トップや、ぶっちぎりやね」
「勝てんわ。天才よな。けどよ、Nに教わっても、言っちょる意味全然わからん」
「あいつ目も合わせんし、なに考えちょるかわからん。他のやつに聞いた方がましよ」
うん、わかるわかる。あいつすぐ話飛ぶ。みんなが自分と同じ脳みそ持っとると思うちょる。私はその会話に強く共感しました。だけど、同時になんだか「あんたらにN君の何がわかる!」という気持ちになり、N君の顔が無性に見たくなって部室に駆け込んだのでした。
「どげんしたと、まりさん」
「何でもない。N君、またわからんところあっちゃけど教えて」
「よかよ」
…N君の話は、やっぱりよくわからない。すぐ私を置いてけぼりにします。だいたい、人の顔を見ないもんだから、相手の感情や理解度がわからないのかもしれません。良い先生ではない。
でも、出来の悪い私を笑ったり、サジを投げたことは、3年間一度たりともありませんでした。
N君とは卒業後、部長先輩の個展で再会しました。卒業から3年後のことでした。
先輩は学生時代よりずっといい女になっていました。黒髪ロング眼鏡っ娘でおっぱいがいい感じのお姉さんだったのが、刈り上げ金髪で8センチヒール履いた渡辺直美みたいな感じに。正直度肝を抜かれましたが、笑顔はあの頃と変わっていませんでした。我々に駆け寄り熱いハグをしてくれました。超やわらかかった。
日が暮れた帰り道。
「俺、あの人好きやったんやけどな」
でしょうね!でも「やけど」はいただけないよ君。さっきのハグ、超良かったやろうがっ。
「うち、1年の時、先輩とちゅーしたよ」
「まじで?!ちょっと、なんでなんで」
「羨ましいかね!?教えんよ!」
その日は初めて2人で酒を酌み交わし、思い出と近況を語り合いました。
その後N君は、遠い国で学者さんになりました。毎年クリスマスにグリーティングカードが届きます。映画みたいなかっこいい家族写真で笑ってしまう。真ん中には、あの日カエルを欲しがった子とよく似た少年が写っています。
ちょっと変な男の子の話 まの @manomari
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ひなぎく/まの
★4 エッセイ・ノンフィクション 完結済 1話
そろ十日記/Macheteman
★15 エッセイ・ノンフィクション 連載中 77話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます