Ⅰアライブ
ゆーしゃエホーマキ
ChapterⅠ
『Heliacal Rising』1/3
「────ねぇ、そろそろ起きなよ」
そう、誰かの声が聞こえてくる。
聞き覚えのあるような、ないような……不思議な声だ。
正直、私はもう少し寝ていたい。
この暖かい日差しの中で、尚且つ心地のいいふわふわとした感じの眠気のおかげで、今、私は最高に気持ちいいのだから。
「────気持ちもわかるけどさ、もう起きないと大変だよ」
死ぬレベルで大変なら起きよう。
「────死ぬレベルって……もうとっくに死んじゃったのに?」
は……?
「はぁ!?」
私はすぐさま目を覚まし、上体を起こす。
眠気なんてどこへやら、そして声の主もどこへやら……そこには私、たったひとりしかいなかった。
「え……? どこ、ここ……」
光が気になって、私は空を見上げる。
日差しを右手で遮りながら、何故か外で寝ていることの原因を思い出そうとするが、空を舞う大きな何かを見たことで、完全に思考回路が停止した。
……ここは、日本なのか? 少なくとも私はあんなに大きな鳥を見たことがない。
そしてこの右手にはめられた手袋は見たことがないし、ましてや指空きなんて買ったこともない。
ふと視線を下に移せば、これも全く見たことがない靴だ。
「な、なにこれ……何かのコスプレ? 私そういう趣味だったっけ……。ん、あれ……趣味……? そういえば私、何が好きだっけ……」
私は気付いた……いや、これは気付いたと言うべきなのか、記憶がぼやけて、何も思い出せないのだ。
ただわかるのは、今私が存在しているこの場所は、見たことのない場所、知らない場所……そもそも場所なんて小さな括りではないのかもしれない、ということだ。
「い、いや……まさかそんなことは……」
記憶を辿るも、わかるのは欠片程度の思い出だけで、ここに来る前に何をしていたのかハッキリと思い出せない。
学校はどこ、友達の名前は? どこに住んでいて、今まで何をしていた?
「何も思い出せない……?」
しかし、直感的にだがどういう事態に陥っているのか予想は出来た。
ファンタジーな服に、謎の生物、記憶に全くない景色……。
こんなことが本当にあるなんて、誰が信じられるだろうか。
しかし妄想程度に考えたことはある。
こうなったらこんなことをしたいとか……そんなことを考えていた自分を、今は無性に殴りたい。
それが『死』をもってして成されるものだとわかっていたのに、それを期待してしまったことを激しく後悔する。
ため息を
陽光は木の葉で隠され、私をまばらに照らしていた。
寝たはいいものの風で草が揺れて、少し耳がくすぐられるのが
服に付着した土や草を払い、周りに木しかないことを確認すると、焦る気持ちを抑えるように肺いっぱいにその未知なる土地の空気を取り込む。
「私は……転生……したのかな。いやこんな状態で転生とか……もしかして転生失敗とか……」
そんなことを呟きながら、私は唯一ギリギリ残された自分自身のことを思い出す。
私の名前は《
授業は割と真面目に受け、周りから優等生という第一印象を持たれるがただ猫をかぶってるだけですよという、上面を偽って生きていた。
そんなただの女子高校生が、何のためか異世界に転生した。
現状に理解が追いつかず、オーバーヒートした頭を冷まそうと髪をわしゃわしゃと掻き乱す。
「あぁぁぁぁぁ! ここどこなの!? 聞き覚えのない動物の鳴き声が聞こえてくるし! 空気はおいしいけどおなかは満たされないし……」
異世界転生……そんな非現実的な現象が、今自分の身に起こってしまったことに不安と焦りを隠しきれない。
自己紹介が出来るか出来ないか微妙なラインの記憶に、生前のことも物凄く曖昧なことしか思い出せない。
これなら言葉も忘れて幼児退行……いや、本当に赤ちゃんから生まれ変わった方がマシだった。
何せ周りに頼れる人は居らず、ここには見たこともない草木しかないのだから。
「まぁ素っ裸で放り出されてないだけまだ良心的……かな? どことなく恥ずかしい格好だけど。お腹出てるし。というかここまで用意してくれるなら説明くらいしてよ……こういうの神様とかがカクカクシカジカいろいろしてくれるものじゃないの……後々ひょっこり現れでもしたら一蹴り入れてやろ。え? 神罰が下る? あぁ神による罰じゃなくて、私による神への罰だよ」
独り言が多くなってきてしまった。
だが不思議なもので、いろいろ言葉を吐き出すと混乱していた頭は冷静さを取り戻していった。
「私、死んだんだ……」
そんなことを思い、私は再び天を仰ぐ。
そして無情にも、時は流れていくのだった────。
……猛獣たちの鳴き声が暗い森に木霊する。あれから数時間、一定方向に歩いてみるも森から抜け出せず、暗い夜が訪れてしまった。
天に煌めく星々以外、光はなかった。
「んえぇ……ここまでエンカウント無しとかどうなってんの……」
未知の生物と出会うのは勘弁してほしいが、木こりのおじさんとか猛獣ハンターとか、クエスト帰りの冒険者にも会えない。
そもそもこんな物騒な森に、それも真夜中にウロウロしてる馬鹿は居ないだろう。
はい、私ですね。
「あっ、月が……」
そこで、唯一地上を照らしていた光源が雲に隠れてしまう。
あれが月かどうかと言われれば月ではないだろうが、真っ暗闇の森の中を歩く勇気はない。
再び月が現れるまで、傍の木に背を預けて休憩を挟む。
「あ、そうだ。なんか良いもの持ってないのかな。もしかしたらすっごいアイテムが……」
そんな期待に心を躍らせ、自分の身体を調べる。
……が、しかし。服は収納性バツグンでいくつものポケットがあったのだが、全て空っぽ。
ベルトに装着されているポーチにも、何も入っていない。
武器ひとつない。
食料も当然ないし、役立つアイテムもなかった。
服だけ着せられ、この地に降り立っていた。
「詰んでるよね、これ」
かなり絶望的状況であることを再確認し、途端に怖くなってくる。
朧気な記憶の中で一番強く主張してくるのは『死の恐怖』。
一度死んだからこそ、今こうして生きていること自体が怖い。
どうやって死んだのかとかは思い出せないのに、痛みや恐怖だけが強く残っている。
これは死のトラウマ、もしくは死のショックでこうなってしまったのだろうか。
とにかく、遅かれ早かれまたそれを感じることになるのだから、怖くなるのは当然だ。
「……死んでたまるか。絶対、生きてやるから」
原因不明の異世界転生……何故ここに来たのかわからずとも、やることはたった一つ。
生物なら本能的に行うもの、ただ生きる。
それだけだ。
しかし、そう意気込んだことを消し去るかのように、空から謎の物体が落ちてくる。
暗くて何なのかはわからなかったが、酷い臭いだ。
「うっ、なにこれ……何の臭い……?」
思わず顔をしかめて、悪臭を感じないよう鼻をつまむ。
恐る恐る確認すると、謎の物体の正体はすぐに理解出来た。
空からもう一つ、いやもう一匹、何かが降りてきたのだ。
風が荒ぶり木々が揺れ、有翼のものであることはわかった。
ただそれは、大きな鳥なんて可愛げのあるものではなく────。
「コロロロロ…………」
「ひっ……?!」
鋭く、太い牙の間から漏れ出た炎が周囲を照らす。
空からの飛来者は、赤い鱗を持った巨大な怪物。
そう…………ドラゴンだ。
前脚は翼脚となっており、どちらかと言えばワイバーンに近い風貌をしている。
自らが狩った獲物を落とし、今はお食事タイムといったところだろう。
……つまり、落ちてきた物体とは『死体』であり、それを落としたこの場所は、このドラゴンの巣ということだ。
それを理解した私は身体の奥底から吐き気を感じ、その場から離脱しようとする。
暗くてわからなかったとはいえ、ドラゴンの巣で呑気に休んでいたこともそうだが、なにより目の前に死の象徴があることに耐えられなかった。
気持ち悪い……死にたくない……そんな感情が溢れてくる。
「────ッ! グルァァァァァァァ!!!」
「なっ、バレた!?」
小枝でも踏んだか、死肉を貪り食っていたドラゴンはこちらをギロリと睨み、木の葉を揺らすほどの咆哮で威嚇してくる。
爆弾でも爆発したかのような音……頭が割れそうだ。
────刹那、ドラゴンの喉が紅く発光する。
何をやろうとしているのかは、本能的に察知出来た。
ドラゴンの口から炎が漏れて吹き出ると周囲の空気が熱せられ、その大きな口から火球が吐かれる。
単純に真っ直ぐ飛んでくる、人の半身ほどの直径の火の球。
しかしその温度はどれほどなのだろうか。
火球が一瞬だけ通った付近の草から焦げた臭いがするほどの熱量。
これは、普通に考えて直撃すれば丸焦げになるだろう。
「────フッ!」
そんな火球を、地を蹴り、横に飛んでなんとか避ける。
直撃した木は耐火性が高いのか、少し黒ずむも燃えてはいない。
しかし、すぐ横で散った火球の熱は肌で感じ取れた。
「し……死ぬって……」
これがこの世界での常識なのだろう。
弱ければ強き者に食われて終わり。
ドラゴンが貪り食っていた死肉と同じようになる。
────ふと死が蘇る。
前世なんてほとんど覚えていないが、このトラウマのせいで思い出したくもないと思ってしまう。
死なんて、そう何度も体験するものじゃない。
「ここで終わり……ゲームオーバー……なんて、あってたまるか、絶対ッ!」
恐怖で震えてる暇があったら何か行動を起こせ。
その何かで、結果は大きく変化するはずだ。
私は土を拾い上げると、今まさに迫ってくるドラゴンに向けて投げつける。
砂利が上手いこと目に入ったようで、ドラゴンは怯んだ。
「よし! あとは……って、なにこれ? 糸……?」
あとは全力ダッシュで逃げるだけ、と思った矢先、目の前に赤い糸が見えることに気付く。
それは森の奥にずっと続いているようで、別の方向には黒い糸もあった。
だが、さっきまで糸なんて無かったはずだ。
「……えぇい! 黒は暗くて見づらいし、赤!」
一瞬不審に思うも特に深く考えず、その時は赤い糸を目印に走った。
ずっとずっと、ドラゴンの気配が遠くになっても走り続けた。
景色はなかなか変わらず、糸もまだまだ続いている。
永遠と同じ場所をループしているのかと錯覚するくらい、私はずっと走り続けた。
そして────。
「────夜の森くらい一人で歩けずどうする。私がわざわざ苦手な魔法も教えてやったのに、充分対処可能な域に達しただろう」
「そ、それとこれとは別ですよ! こんな真っ暗な森にひとりでいるなんて、怖いじゃないですか!」
「昼も夜も変わらんだろう。同じ森じゃないか」
「暗いってところが大違いなんですよ!」
赤い糸の先から、二人組の声が聞こえてくる。
大人っぽい女性の声と、少女の声だ。
小さいが灯りも見える。
ようやく人に会える。
そう思って、私は二人の前に飛び出して声をかけた。
「────助けてくれませんか!?」
その瞬間、時が止まったかのように沈黙が訪れた。
こんな真夜中に突然現れたと思えば、助けを求められるなんて、当然困惑するだろう。
誰だって一瞬でも考える時間が欲しい。
ローブを着た背の高い女性はフードを被っていてわかりづらいが銀髪で、私を警戒しているようだった。
そして、暗いのを怖がっていた白いワンピースを着た少女は、背に大きな白い翼を生やしていた。
右腕が無いのが少し気になったが、両者の風貌はまさに魔女と天使だった。
「……はぁ、最近は面倒事に巻き込まれやすいな。ルフトラグナ、上から見てこい」
「は、はい!」
ローブの女性は天使────ルフトラグナにそう言うと、空へ飛翔したのを見届けて細く白い棒のようなものを手にする。
「いました! ドラゴンです! 真っ直ぐこちらに向かって来ています!」
「光で誘導して飛ばせろ! 撃ち落とす!」
「お、囮ってことですかぁ!?」
地上にいるローブの女性に向かって、ルフトラグナは困惑しながら聞き返す。
なかなか人使い……いや、天使使い? が荒いようだ。
「さっさとしろ、時間はないぞ」
「う、うぅ……【
涙目になりながらも、空中でホバリングを続けるルフトラグナの周りには白く発光する粒がポツポツと現れ始め、やがて大きな光となる。
「さて────」
すると、ローブの女性は手に持った棒を軽やかに振り始める。
指揮者のようだと思ったのも束の間、楽器も無いのに、鉄琴のような音がドレミの順で聴こえてくる。
「ガァァァァァァァァ!!!」
「ひゃあ!? き、来た! こっちに来てますってヘルツさん!!」
息を荒らげて怒り狂う竜が、ルフトラグナの光に向かって飛ぶ。
このままではあの大口に噛み砕かれてしまう。
しかし、ヘルツと呼ばれたローブの女性の前には不思議な模様がいくつも組み合わさり、幻想的な円を描いていた。
「上出来だ。【
ヘルツが棒を振り払うと、円から渦巻く風が発生し、竜巻の如く空へ昇ると光によって誘導されたドラゴンに命中し、撃墜する。
「はぇぇ……すっご……」
呑気にそんな言葉をつい漏らしてしまうほど、私はその光景に見惚れていた。
「グァ……ガルル……!」
撃墜されたドラゴンはというと、思ったよりも早く起き上がったが唸りながらこちらをひと睨みした後、勝てないと判断したのか巣のあった方向へ逃げて行った。
「た、助かった……あぁぁあ良かったぁぁぁぁ! ありがとうございます! おかげさまで────」
これで一安心。
人にも会えたし、解決の糸口が見え始めてきた……が。
「質問に答えろ。お前、あの竜を私たちにぶつけに来たわけじゃないだろうな?」
「え、へ? はい?! ち、違いますよ! 本当に、偶然あなた達の声が聞こえて! 私も必死だったから……それで助けを ……!」
「……単刀直入に聞こう。あの天使を狙いに来たのか?」
そう聞いてきたヘルツの視線の先には、空から降りてくる天使……ルフトラグナの姿があった。
右腕が無い理由と関係あるのだろうか。
「断じて、決して、絶対に違いますっ! それに狙いに来たとかだったら丸腰なのはおかしいですよね! 私、今何も持ってないですから! なんなら確かめてもらっても構いませ────」
「わ、わかった。わかったからそう迫ってくるな。お前がかなりバカだということは理解した」
「バッ……! ……カですハイ」
暗闇の中で森をさ迷い、警戒もせず竜の巣に足を踏み入れたことが脳裏を
「お二人とも、何を話しているんですか?」
「いやなに、こいつがお礼にウチの掃除をしてくれるって言うんでな」
「ほ、本当ですか!? 助かります! わたし一人じゃ全然片付かなくて……ヘルツさんがちゃんと片付けてくれればこんなことには……」
「私は、仕事は出来る女なんだ」
「仕事
いつの間にか部屋の片付けをさせられる話にされたが、ここは乗っておくべきだろう。
それに助けてもらった身としては断ることも出来ない。
安全確保のためにも、二人に同行した方が良さそうだ。
「精一杯、お掃除させていただきますッ!」
手本のようなお辞儀を見せ、こうして私は突然転生させられた異世界で、丸一日という時の代償を払い初めて異世界人との繋がりを得たのだった。
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