第3話 壊れたココロ その3
市立病院
裏口に通じる通路に声が響く。
「あんたね。こんな夜中に非常識でしょ!患者さんだって迷惑だろうから、さ。帰った帰った!」
「ほら、須藤さん。コーヒー買ったらすぐ病室に戻ってくださいよ?」
夜勤の看護婦が、1階ロビーの自動販売機に入院患者を案内するため、すぐ近くにいたのも、やはり偶然だった。
グチャッ
という鈍い音を、彼女は聞き逃さなかった、ただそれだけ。
「?」
看護婦として、この病院の関係者として、今の異音は確かめておく必要がある。
「須藤さん、ここから離れないでくださいね」
職務熱心な看護婦は、患者にそう言い残して、音がした方へ歩き出した。
角を曲がった先、音がしたあたりにさしかかって−。
数秒後、病院中に、彼女の悲鳴が響き渡ったという。
1時間後のことだ。
裏口付近は警察により封鎖され、鑑識が何人も出入りを繰り返していた。
「こりゃ、ひでぇな」
死因を調べている医者の足下には、警備員の死体が横たわっている。
「−おい、ホトケのアタマは見つかったのか?」
「近辺、くまなく探させているのですが」
「どこの物好きの仕業だ?こいつは」
横たわる死体には、胸から上の部分がなかった。
ただ、警備員の制服を着ていることだけは確かだった。
まるで、生きていた時の自分の職業を主張するかのように−。
「第一発見者は?」
「精神科でケアの最中です」
「ったく、看護婦が医者の世話になってりゃ、もう世話ねぇなぁ……立川先生、こりゃ、ホトケは何に切断されたんですかね?」
「切断、というより、食いちぎられたという方が正しいな」
「人間をひとくちで?まさか!」
「何件か野犬に腕を食いちぎられた死体の切断面を見たことがあるが、数カ所あるんだが、きれいに並んだ、何か硬くて太いものが食い込んだらしい痕なんか、こりゃ、歯っーか、牙のそれだよ。もうそっくりだ」
「そんな−」
「警部」
刑事が反論しようとした時、部下が声をかけてきた。
「隣町のラブホテルで似たような事件が発生しました。それと」
「なんだ?」
「ヤバいっす。近衛が動きました。このヤマ、第三種事件として認定されましたね」
「くそ、あいつら」
部下の報告に、思わず刑事は顔をしかめた。
第三種事件−。
殺人等、人間が犯した個人単位を犯罪者とする犯罪を第一種、大規模テロ等の無差別・大規模な、組織・国家を犯罪者とする事件を第二種、人間以外を犯罪者として認定せざるを得ない事件を第三種と、政府が独自に決定した事件のカテゴリーの一つだ。
第一種は警察、第二種は国家公安委員会、第三種は宮内省近衛府が操作の指揮権を持つ。
つまり、警部達はこの事件が第三種事件として認定された時点で、独自の捜査権限を失ったことになる。
警察官として面白いはずはない。
まして、あんな珍妙な連中なら−。
刑事達は近衛府の取り調べの間中、ずっとロビーでコーヒーを飲みながら待つしか方法がなく、たばこも吸えずにいる様は、まるで自らの忍耐力の限界に挑戦しているようだった。
不意に近衛の封鎖が解除された。
声がする。
「わかりました。では、撤収です」
終わったようだ。
刑事達は一斉に現場に視線を向ける。
背の高い男に送り出されるようにして、一人の背の低いローブ姿の少女が出てきた。
フードを被っていないことに気づいてあわててそれを被ったため、一瞬しか顔がわからなかったが、若い刑事の一人には、その少女に見覚えがあった。
−あの子は確か。
そう。昨日、生徒二人の転落事故の聞き込みで行った明光学園でみかけた覚えがある。
たしか−。
思い出した。
水瀬とかいう子。
大好きな美少女ゲームの某キャラと同じ名字だから忘れるはずがない。
これはどういうこと?
「おい、村田、いくぞ」
上司に声をかけられた刑事−村田理沙(むらた・りさ)は、慌てて上司の後に続いて現場に戻った。
3日後、不眠不休で事件を追っていた理沙は、上司の岩田に呼び出された。
「もう忘れろ」
岩田から開口一番、そう言われた理沙は岩田に食ってかかった。
「どういうことですか、それ!?私じゃ、このヤマは解決できないってことですか!?」 「お前が精力的に事件を調査していることは俺も認める。だが、この事件はすでに俺たちの手を放れているんだ」
「事件は事件です。調べて犯人を逮捕することが我々の職責ではありませんか!」
捜査課の面々が一様に自分たちに注目していることに気づいた岩田は、村田を連れて署の屋上に出た。
「ここだけの話だ。他言はするな」
暮れなずむ世界で、岩田は手すりにもたれかかるようにしてたばこに火をつけた。
「はい」
「病院とラブホテルでの死体の傷痕が一致した。同一の凶器によるものであることは明白だ」
「ならなおさら!」
「聞け」
いぶし銀の魅力満載=村田のような若手にとって迫力満載の岩田にじっとにらまれて村田は押し黙った。
カエルがヘビににらまれたのに近い。
自然と脂汗が背筋を流れた。
「正確には、「歯形」が、だ。」
「歯形?」
「そうだ。そして、犠牲者こそでなかったものの、ラブホテルでの死体が、鑑識中に屍鬼化した。いいたいことはわかるな?」
屍鬼−。簡単に言えば、生きる屍−ゾンビ−のことだ。頭部か心臓を完全に破壊しないと死ねない哀れな存在。
ある種の妖魔に殺された場合、高い確率でこうなるといわれている。
「犯人は人間ではないと?」
「そう考えていろ。それと、お前のいう明光学園の生徒についてだが、捜査は一切禁止、報告書等から覚え書きまで一切を破棄しろ。記憶からもだ。これは上からの絶対命令だ」
「なっ、そんな!なぜです?たかが生徒一人のことに、なぜ上からそんな命令が−」
「いいか村田、俺たちのやってることは刑事ドラマじゃない。逆転大円団が常に期待できないことだ。それが、生きるってことだ。死んだら終わりの一発勝負だ。そのことを忘れるな」
たばこを踏み消すと、岩田はドアに向かって歩き出した。
「……深追いしない方がいいことだって、世の中にはあるんだ。いいな?」
岩田が自分のことを心配してくれていることはわかる。
だが、これは私の事件だ。なのに、なぜ?
私が女だから?
今まで男に負けないように頑張ってきた。だから今の地位があるのに!岩田警部は私を認めてくれてていないのか?
なら。
そうなら、
あまりにひどすぎる。
理沙は、やり場のない無念と悔しさに唇をかみしめながら上司の背中を目で追った。
口の中に血の味が広がった。
●市内 某書店
本屋に立ち寄った美奈子が恵美子と出会ったのは、ほんの偶然からだった。
本棚に並ぶ絵本を眺めていた美奈子が、同じように絵本を眺めていた彼女の肩に触れた。
そういうことだった。
「あ。ごめんなさい。」
「……」
恵美子は表情を変えずにじっと美奈子を見つめてくる。
「え、絵本、好きなんですか?」
「き、きらいじゃない」
「あの、イトコにあげようとおもうんですけど、どんなのがいいと思いますか?」
「……これ」
ざっと見回した中から彼女がとりだしたのは、一冊の絵本。
黒い子猫が微笑む絵がなんだか和む、そんな絵本だった。
「どんなお話なんですか?」
「読めばわかるわよ?」
「あ、それはそうですね?」
まちかどの真っ暗な中で
黒い子猫が鳴いていました。
まわりの猫達は白い猫ばかり。
でも、この子猫だけは真っ黒でした。
ある日、白い子猫がやってきて黒い子猫にいいました。
みんな白いのに、なんであなたは黒いの?
あなた、猫じゃないわ。
黒い子猫はいいました。
でも、ぼくだって猫だよ?
白い子猫はいいました。
ちがうわ。白くなくちゃ猫じやないわ。
そう言われた黒い子猫はみんなから仲間はずれにされました。
誰も一緒に遊んでくれません。
どんなに話しかけてもお返事してくれません。
誰かとお話したい子猫は、みんなに挨拶することから頑張りました。
きっと、返事してもらえると信じて−。
おはようございます。
こんにちわ。
おやすみなさい。
晴れた日も、
雨の日も
風の日も
黒い子猫は頑張りました。
でも、
悲しいことに、誰も返事をしてくれません。
さみしくて悲しくて、黒い子猫は毎日泣いていました。
ある日のこと
あら?子猫ちゃん、どうしたの?
声がします。
見上げると、赤い服を着た女の子がこちらをみつめています。
さみしいの?
うん
じゃ、おいで。二人なら寂しくないよ。
黒い子猫は女の子に拾われました。
女の子はサーカスの踊り子でした。
黒い子猫は、女の子に踊りを教わりました。
タッタカタッ
タッタカタッ
上手に踊れると、女の子がうれしそうに笑ってくれます。
黒い子猫はうれしくて、起きてから寝るまでずっと踊りの練習です。
タッタカタッ
タッタカタッ
いつしか、黒い子猫の踊りは、みんなの話題になりました。
黒い子猫の踊りを見に行こう。
見に行こう。
みんながならんでサーカスをめざします。
白い猫
ブチの猫
灰色の猫
みんなです。
タッタカタッ
タッタカタッ
黒い子猫が踊ると、みんなが拍手です。
いいぞ!猫ちゃん!
白い猫達が叫びます。
キミこそ猫の中の猫だ!
黒い子猫は、白い猫達からやっと猫と認められました。
みなさんもサーカスが来たら、見てあげてください。
タッタカタッ
タッタカタッ
黒い子猫がうれしそうに踊っています。
タッタカタッ
タッタカタッ
「へぇ。なんだかサクセスストーリーっていうか、シンデレラストーリーみたいなお話ですね」
「そう。どんな子でも、きっかけと努力で幸せになれるって、そんなメッセージが込められている」
「あ。私、そういうの好き」
「……私は嫌い」
仏頂面で、つぶやくように言った言葉を、美奈子は聞き逃さなかった。
「え?」
「メッセージは捉える人によって意味が違ってくるから、そのいとこには、いい意味でわからせてあげて」
きびすを返すようにして、絵本売り場から出ようとする恵美子の背中に、美奈子は語りかけた。
「ココロは、持ちよう一つですよ?」
「?」
「ほら、病は気からっていうじゃないですか。それと同じで、せっかくのいいメッセージだってキライキライいってたら、悪いメッセージになっちゃいますよ」
「……」
「絵本のこと詳しいみたいですし、もう少しお話しませんか?私、桜井美奈子っていいます」
「つまり、この作品における「女の子」は「幸運」なのよ。幸運に出会った猫は、その庇護の元、幸せになるって図式なのね。単純だけど、子供にはむしろその単純さこそが−」 絵本について熱弁を振るっていた恵美子は、美奈子がアゼンとした顔で自分を見ていることに気づいて、口を閉じた。
「何?」
「いっ、いえ。絵本にそこまで深い洞察が必要だって考えてなかったから……」
「そうね。でも、どんなものだってどんな解釈だって成り立つもの」
書店の隣の喫茶店。恵美子はダージリンで渇いたのどを湿らせた。
「そういうものですか」
「この作品、私の誰か、大切な人が作ってくれたものだから」
「え?」
「小さい頃から私は孤立していた。友達作れなくて、ずっと。それを心配したその人が、私を励ます意味で作った絵本がこれ。あんまり売れなかったけどね」
「……いつか、きっかけと出会えれば、幸せになれるってことですか」
「そうね……その人は、そういいたかったんだと思うわ」
喉に引っかかったような言い方が、美奈子は内心驚いていた。
美奈子と別れた帰り道、恵美子は絵本のセリフを思い出しながら歩いていた。
何度も何度も読んだ絵本。
泣いてばかりの私が、希望として、そして絶望した絵本。
ポケットからカードケースを取りだしてその冷たい感触に顔をゆがめる。
絵本の世界より、このカードケースの中身こそ、私の現実だから−。
私という黒猫には、赤い女の子も、サーカスも現れてはくれなかった。
黒猫は無視されるどころか、いつしかいじめられていました。
そんな絵本の登場人物、それが私という黒猫−。
まちかどの真っ暗な中で
黒い子猫が鳴いていました。
まわりの猫達は元気な猫ばかり。
でも、この子猫だけは根暗でした。
ある日、元気な子猫がやってきて暗い子猫にいいました。
みんな元気なのに、なんであなたは暗いの?
明るくなければ、猫じゃないわ。
暗い子猫はいいました。
でも、私だって猫だよ?
明るい子猫はいいました。
ちがうわ。明るくなくちゃ猫じやないわ。
そう言われた暗い子猫は、ますますみんなから仲間はずれにされました。
誰も一緒に遊んでくれません。
どんなに話しかけても挨拶すらしてくれません。
誰かとお話したい子猫は、みんなに挨拶することから頑張りました。
きっと、返事してもらえると信じて−。
おはようございます。
こんにちわ。
おやすみなさい。
晴れた日も、
雨の日も
風の日も
暗い子猫は頑張りました。
でも、
悲しいことに、誰も返事をしてくれません。
さみしくて悲しくて、暗い子猫は毎日泣いていました。
ある日のこと
あら?子猫ちゃん、どうしたの?
声がします。
見上げると、不良になった幼なじみのオス猫がこちらをみつめています。
さみしいの?
うん
じゃ、おいで。
ナグサミモノニシテアゲルヨ−。
暗い子猫はオス猫に犯されました。
何度も、
何度も−。
オス猫は不良でした。
暗い子猫は、オス猫に、今まで以上の生き地獄があることを教わりました。
タッタカタッ
タッタカタッ
オス猫に従うと、地獄は少し和らぎます。
暗い子猫は怖くて、起きてから寝るまでずっといいなりです。
タッタカタッ
タッタカタッ
でも、
生き地獄の中で、暗い子猫は道具を手に入れました。
タッタカタッ
タッタカタッ
暗い子猫をいじめると、みんなが死にます。
いいぞ!猫ちゃん!
白い猫達が恐怖を叫びます。
キミは死に神だ!
暗い子猫は、白い猫達からやっと猫と認められました。
関わると死ぬ恐ろしい存在として−。
タッタカタッ
タッタカタッ
屍の上で、暗い子猫はうれしそうに踊っています。
タッタカタッ
タッタカタッ
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