ゲシュティンアンナの影
「この続きは?」
「尻切れトンボやんか」
レポートを読んでいたコトリ社長は怪訝そうに尋ねられたけど。これで精いっぱい。ここまでハックした時点でブロックされ、それからは何度アタックしても跳ね返されている。
「シノブちゃんとこがやってもそうなんか」
とにかく鉄壁に近いガードなのよね。ここまで強力なのはホントに滅多にないぐらい。あれこれ探し回った末に針の孔ぐらいのセキュリティ・ホールを見つけたんだけど、たったこれだけのテキスト文書だよ。これををハックしている最中に気づかれてブロックされちゃったもの。以後は完全にお手上げ状態。
なんらかの感想文とか報告文と見てるけど、もうちょっと続きはあったはず。それがどれほどの量かもよくわらないんだよね。担当者に聞いたけど、長短さまざまのテキストがディレクトリにあったらしいけど、
「どっかの三文エロ小説やないよな」
「普通に読めばそうだけど」
それは同意。シノブも読んだ時はそう思ったもの。だけど検索しても同じものはヒットしてないのよね。
「出どころは?」
「月集殿です」
「えっ、あんなところなの」
月集殿はあえて分類すれば神道系の新興宗教かな。神道とはだいぶ違うから新宗教と言った方が良いかもしれない。ちゃんと宗教法人の認可も下りてるよ。そんなところのハックをやった理由は、そのあまりのセキュリティのバカ固さ。
そりゃ、どこだってセキュリティは大事だけど、あの固さは尋常じゃない。CIAより固いんじゃないかと思うぐらい。もっともCIAの固さとは性質が違うけどね。CIAはともかく、ただの宗教法人があそこまでのセキュリティを敷くのに違和感を持ったんだ。
「言う通りやな。セキュリティを固めるっちゅうのは、知られてはならない秘密があるって事の裏返しやもんな」
「固ければ固いほど重大な秘密の可能性が高いのよね」
あの文書の裏付けだけど、たどれるのは熊倉吾郎だけ。名前だけならマリもあるけど、マリだけじゃ誰のことなんか調べようがないもの。拘置所まではともかく後半は建物の名前も、地名もなんにも出て来いないものね。
この熊倉は実在の人物。大松銀行襲撃事件を知らない人間なんていないんじゃないかな。その熊倉が死刑判決を受けて、死刑を執行されたのも事実。
「拘置所の書類関係は」
「完備してます」
熊倉の親族は母親ぐらいだけど、完全に見放していて、情状酌量の証人にも立っていない。まあ、あれだけの大事件だから立つだけ無駄だろうし、そもそも熊倉の過去の経歴からお涙頂戴を出来る余地なんてないよな。それ以前に熊倉の母なんてバレるのも嫌がったんだろう。
それはともかく、死刑執行後はすぐさま火葬され、骨も拾われず死刑執行前に教誨師を務めた僧侶の寺の無縁仏になっている。言うまでもないけど死亡診断書とか埋葬許可書関係に怪しい点はない。
「凶悪犯の末路やな」
「月集殿の誰かが趣味で書いた可能性はどうなの」
その線もあるんだけど、熊倉が死刑判決を受けたのはともかく、死刑執行までの期間が異常に短いんだよね。
「ああ、それ。最近になって三人目じゃなかったっけ」
「死神法相の面目躍如ってとこやな」
ここも一応チェックしといたけど、後の二人は遺族に遺骨を引き取ってもらってるのよね。最低限の親の務めを果たした格好かな。親もお気の毒だと思うけどね。じゃあ、単なる小説かと言えばシノブは引っかかるものがある。
ブロックはされたけど、ハックした場所は月集殿でも最高機密データが置かれていたところで良いはずなの。そんなところに置かれるデータとして違和感がどうしても残るんだよ。
熊倉レポートってしてるけど、小説だとすると違和感を感じる部分が多いのよね。全体をおおまかに分けると前半は熊倉の生い立ちから死刑執行までになるけど、この部分のリアリティは異常に高いとして良いと思う。
手に入る限りの熊倉の情報と照らし合わせても間違いはないし、それ以上の情報さえある気がする。あれも創作とは思いにくいとして良いんだよ。細部の描写なんて熊倉じゃなければ書けないと思うほど。
だけど死刑執行後の後半部は荒唐無稽も良いところ。それこそ三文エロ小説そのもの。だって死刑執行から助け出されていきなり性転換だよ。そこから延々と続くマゾ調教。ジャンルとすればSM小説になるのだろうけど前半部とまったく違う代物。
この性転換と言うテーマは手垢がつきすぎてるぐらい使われてるけど、SM小説だとすると前半部が長すぎるのよ。SM小説でメインになるのは後半部だもの。凶悪犯が死刑執行から助け出される設定が悪いとは言わないけど、それにしても紹介が長すぎるし、詳しすぎる。
こういう場合は死刑執行までを導入部としてあっさり流すんだ。スタートは凶悪犯が死刑執行に臨むぐらい。せいぜいどれぐらい凶悪だったぐらいの説明ぐらい入れて、執行シーンになるぐらい。
まあ死刑にされるぐらいだから、もうちょっと凶悪部分を膨らませても良いけど、このレポートは長すぎ。凶悪犯のモチーフに実際の凶悪犯罪を使っても良いけど、もっとボカすはず。凶悪犯の名前とか、襲撃した銀行を変えるんだ。この辺は想起させる程度のモジリにして、
『死刑になるのが当然の凶悪犯か』
これぐらいを読者に思わせれば必要にして十分すぎるぐらい。実名を出すのはかえって逆効果になりかねないもの。
「そうだよね。読者が読みたいのは性転換された凶悪犯がどんな目に遭うかだろうし」
「ほいでも、小説かって出来不出来の差は大きいで」
それはそうだけど、後半部も妙なところが多いのよね。SM小説に御主人様が出てくるのは定番と言うより必須だけど、二人も出てくるのよ。それも実際に登場するのは少し能力が低い方の御主人様。
二人登場しても良いけど、そういう場合は、一人目の御主人様が妊娠させられないのなら、二人目の御主人様がトドメに妊娠できるようにするとかでしょ。そういう展開なら妊婦レイプとか、出産させられるになるものね。
なのにそんな展開になりそうな気配すらないもの。さらにがあって、調教部分に出てくるのはマリと言う女と熊倉だけ。そこはまだ良いとしても、肝心の御主人様が熊倉が連行されて二日しか出てこないのよ。
おかしいじゃない。マリに熊倉の調教を任せたとしても、最後に御主人様が出ないとならないはずなんだ。そうだね、調教が完成した熊倉にお褒めの言葉を与えるとか、最終試験を行うとか、熊倉も言っていた使命を授けるとかよ。でも、そういう展開になるとは思えないもの。
「御主人様がこのレポートの続きに出てくる可能性は残るよ」
「そやな、日を改めて御主人様の部屋に呼ばれたりとかや」
最後のところはそうとも読めるか。でも、
「言われてみればそうね。SM小説の調教の主役は御主人様だものね」
「そやな。二人も御主人様を登場させる必要もないよな。マリも入れたら三人や」
後半部分を理解するカギはやはり性転換のシーン。手術ではないのはまず間違いない。そもそも身長を違和感もなく三十センチも縮めるって、どんだけの大手術なのよ。それも傷跡一つ残さずだよ。他だって熊倉の自分の体への評価は信じて良いはず。
熊倉だって腰抜かしたと思うよ。でも、どれだけ自分の体を調べても女なのは認めざるを得なかったんだ。それもどう考えても手術じゃないとして、思いついたのは魔術と性転換薬。どっちも非現実的だけど、熊倉が原因として選んだのが性転換薬。
でもね、そんなものは地球にも、エランにさえ存在しないの。だからと言って魔術になると熊倉も即断で否定してたけど、輪をかけて非現実的で荒唐無稽も良いところなのよね。どんな理由を付けても、そこまで完璧な性転換が出てきた時点で、この話はフィクションですと宣言してるのと同じってこと。
だけどね、熊倉でさえ速攻で否定した魔術と考えた時に、たった一つだけ可能性が出て来ちゃうのよ。それはシノブも一人だけ魔術で性転換された女を知ってるから。そりゃ、もう完璧な性転換で結婚して子どもまで出来てるんだ。
「そういうことか。そっちから考えると、後半部分の見方が変わって来るな」
「マドカさん事件だね」
そう二人の御主人様がいても不自然どころか当然になってしまうのよ。それだけじゃなく、あれほど完璧な性転換が一瞬で行えたのも説明がついちゃうんだ。
「ついでに言えばマゾ奴隷にするのもね」
「生きがいみたいなもんやからな」
熊倉を女に変えたのがゲシュティンアンナ、もう一人の登場していない御主人様がドゥムジ。この二人は日本に住んでいる可能性が高いんだよ。熊倉が経験した後半部はゲシュティンアンナの差し金と考えれば、
「全部説明できるし、実話そのものとしてエエやろ」
「後半部分で建物名も地名も出てこないのも説明出来ちゃうよね」
ユッキー副社長の言う通りで、ゲシュテインアンナが居場所を推測させないように伏せたからのはず。
「エライもんが出て来たな」
「女神の仕事だね」
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