食堂

 今日もいつものように一日を過ごしていたのですが、マリ様はアリサの目をじっと見つめながら、


「あなたの名前は」

「アリサです」


 マリ様は妙な質問をすると思いました。わたしはアリサ、それ以外にあるはずがないじゃありませんか。マリ様はそんなわたしの戸惑いをすべて見抜かれたように、


「熊倉吾郎って知ってる」

「そんな殿方は存じません」


 誰なの、その下品そうな男の名前は。アリサが知っているはずがありません。どんなに記憶をたどっても、見たことも聞いたこともありません。アリサは産まれた時からアリサですし、この館で夢にまで見た真のアリサになるためにマリ様に教えを受け、日夜修行に励ませて頂いているのです。それでもマリ様は、


「もう一度聞くけどあなたの名前は」


 どうもこの質問には大きな意味がありそうなのはわかります。それはマリ様の目がいつも以上に真剣なのです。でも答えは一つしかありませ。名前なんてこの世に一つしか存在するはずがありません。


「わたしの名前はアリサです。生まれた時からずっとアリサであり、これはいかなる罰を頂こうともアリサ以外にあり得ません」


 マリ様はアリサの反応を丹念に確かめられ、ようやく少し表情を緩められ、


「アリサは優秀よ。ここまで来るのが予定よりずっと早いもの」

「あ、ありがとうございます」


 マリ様が褒める事は滅多にありません。褒められるのはアリサが真のアリサに近付けた時のみです。ですからマリ様に褒められると魂が喜びに震えますし、アリサを真のアリサへ近付けるための新たなステージが与えられる事も意味します。


 ですがマリ様は少しお悩みのようでした。これはきっと新たなステージにアリサを本当に進めて良いものかだと思います。そうやってマリ様を悩ませてしまうのは、アリサが至らぬからなのは良く知っています。やがてマリ様は思い切ったように、


「そろそろ次の段階に進めるわ」

「マリ様、ありがとうございます」


 マリ様はご決断してくれました。あれだけマリ様が悩まれるからには、これまで以上に難しいステージに違いありません。でもどんな難しい課題であってもアリサはクリアして見せます。マリ様の期待に応えることが、アリサの生きるすべてで、その先に真のアリサがいます。


 次の日もいつもように過ごしていたのですが、夕食の時間になった時に、


「今日は食堂に行きます」


 初めて教えて頂きましたが、ここに暮らさせて頂いているアリサのような女の食事は、すべて食堂で取るのが本来の決まりになっているようです。


「アリサは食堂で食事を出来るぐらいの段階になったからね」


 そこから食堂での決まりを教えて頂きましたが、まずは決して話をしない事、食堂での食事中は沈黙を守らないといけないです。他にも他の女と視線を合わせるの許されず、顔を見るのもダメとされました。


 これだけ教えられてアリサはマリ様に従って廊下に出ました。今までは廊下に出たら左に曲がって浴室に行くだけでしたが、初めて右に曲がって突き当りの扉に向かうことになったのです。それだけでアリサはドキドキさせられました。これまで決して廊下の右側には、足を踏み入れてもならないとされていましたから。


 やがて扉に到着して開くと、そこは食堂でした。高級感溢れるレストランみたいな感じです。ただレストランと違うのは長いテーブルになっていたことです。アリサはマリ様に無言で示された端の席に着きましたが、マリ様はずっと奥の最上席でした。


 おそらく座る場所はここの女たちの席次を示すはずです。アリサが末席なのは当然ですが、マリ様はあんな上席に座られるのに改めて尊敬しました。次々に女たちが食堂に入って来て席は埋まって行きましたが、全部で十人ぐらいのようです。


 食事は最上席のマリ様が食べ始めるのが合図の様で、アリサも出された料理を順番に食べさせて頂きました。食堂は本当に静かで、完全に沈黙状態なのは決まりの通りですが、ナイフやフォークの音もしないぐらいです。


 それにしても美人ぞろいです。マリ様は当然ですが、他の女も負けず劣らずです。そして典雅に、上品に食べておられる姿は一幅の絵のようで思わず見惚れそうになりました。デザートまで食べ終わると、最上席のマリ様が立ち上がるのが食事終了の合図のようです。



 マリ様がアリサの席まで来られたので一緒に部屋まで戻らせて頂きました。なにか大冒険をしたような気分でアリサは浮き浮きしていましたが、部屋に入ってマリ様の顔を見ると、とっても、とっても厳しい顔をされています。


「アリサ、今日の振る舞いには失望させらたわ」


 そこから反省の時間になりましたが、食堂でのアリサの振る舞いの落第点を次々に並べられました。これほどの落第点を付けられたのは本当に久しぶりです。


「食堂の決まりを守れないのは重いのよ」


 アリサは反省のためにいつもように服をすべて脱ぎ、腕輪と足輪を付けさせて頂いたのですが、


「今日は背中を壁に付けなさい」


 マリ様の目に怒りが浮かんでいる気がします。マリ様はアリサを前から滅多打ちにされました。それはアリサの大事なところを打ちのめし、乳房も容赦ありません。マリ様は前ムチと呼ばれていましたが、今までのムチとは桁外れの痛さです。


 これが食堂の決まりを守れなかった罰だと体で教えて頂きましたが、さすがにこれだけの前ムチを初めて頂いたアリサは息も絶え絶えで、情けないことに、


「ありがとうございました」


 こういうのがやっとでした。マリ様の前ムチの愛情の強さを一晩中、感謝していました。アリサに強いムチを与えて頂けるのは、すべからくマリ様の愛なのです。強ければ、強いほどアリサにとって喜びなのです。たださすがに痛すぎたのは反省材料です。


 次の日の食堂はひたすら下を向いいました。昨日の失敗はアリサが好奇心を抑えきれずにキョロキョロ見てしまったのが大きかったからと考えたからです。でも、


「なんと不格好なこと。見るに堪えませんでした」


 反省の前ムチの嵐を頂いてしまいました。真のアリサはいつでも姿勢よく上品な態度を一瞬たりとも崩してはいけないのは基本中の基本です。表情のだらしなさの指摘は耳を覆うぐらいです。それを忘れていたアリサへの愛のムチだったのです。



 食堂の教育はとにかく厳しいものでした。マリ様は連日のようにアリサに前ムチを揮って頂きました。食堂ではすべてが自然でなければならないと叩き込まれました。少しでも不自然さがあればムチを頂くのです。


 自然さは、フォークやナイフの扱い方、どこから料理に手を付けるか、どういう速度で食べるのかまで決まりになっています。それはこれまでもマリ様との食事で教えられていましたが、食堂ではそれが段違いに高いレベルものが求められるのです。


 もちろん食堂に出入りする時の姿勢、歩く姿、席に着く動作、食べる時の姿勢、さらに表情のすべてに決まりがあり、マリ様の合格点の基準は半端なものではありません。


「すべて教えたはずです」


 こう言われてムチの嵐の毎日。でもアリサはマリ様の望む姿になれる事だけを目標にひたすら頑張りました。そうなることがマリ様の望みであるなら、アリサはそれに応えるのが人生のすべてだからです。


 食堂の前ムチがどれぐらい続いたのかもアリサには既にわからなくなっていました。前ムチの厳しさは痛みも当然ですが、今までのムチと違い一打ごとに、


「ありがとうございました」


 こう叫ばないとならないのが決まりです。もちろん心からの感謝を込めないといけません。もちろんこれまでのムチと同じように痛みを訴えたり、悲鳴をあげる事は許されません。ですがこれまでのムチより痛みは比べ物にならないほど強く、そうしなければの思いとは別になかなか出来ませんでした。


「アリサの気持ちに足りない部分があるからよ」


 そうなのです。ムチの痛みに対しての感謝や喜びがアリサにどれだけ足りていないのかを教えて頂いたのです。今までのムチより、もっともっと強い感謝の心、喜びの強さを持たないといけないと言う事です。


 それでも下から跳ね上げるように、アリサの急所を打たれる時の痛みは前ムチのなかでも格段のものです。それこそ息が止まるほどの痛みになります。単発でも激痛なのですが、時に連発になりその辛さは言葉に出来るようなものではありませんでした。


 アリサに求められたのは、この痛みさえ忘れるほどの強い感謝の心だったのです。感謝の心さえ強くなれば痛みは耐えられるだけではなく、喜びに変わります。これは今までのムチでマリ様に教えて頂き、身に着けることが出来たものです。


 これはどこにムチを頂いても、感謝の心さえ強ければ同じのはずです。そう、それがたとえ女の急所であるからと言って例外などあってはならないのです。ましてや頂いているのはマリ様からの愛のムチです。


 これはアリサにとっても辛い試練でした。これだけの試練ですから、マリ様も食堂に行くのをあれだけ悩まれたのはよくわかりました。でもこれは乗り越えなければならない試練です。これを乗り越えられるとマリ様が期待されているからです、


 食堂の試練の克服は、まさに牛の歩みのように一歩一歩でした。それでも食堂での振る舞いの向上、前ムチへの感謝の心を高めて行けたと思っています。苦しく辛く、長いものでしたが、それよりも達成する喜びの方がはるかに大きかったのです。


 これを乗り越える事が真のアリサに通じる道だからです。いかに辛くとも、アリサが歩む道はこれしかなく、他の道を歩む気など考えも出来ませんでした。真のアリサになれる以上に大事なことはこの世に存在するはずもありません。



 それはアリサへの急所のムチがマリ様の叱咤激励であり、愛を超えた慈愛のムチと心から感じた時に変わりました。今のアリサは食堂に行っても他に誰がいるか、何人いるかなど興味も関心もありません。視線を上げても不要なものは一切視界に入りません。マナーも考えるのではなく、体が自然に動くのに身を委ねるだけです。そしてついに、


「アリサは合格よ」


 涙の止めようがありません。


「すべてマリ様のお蔭です」


 これは心からのものです。これこそを本当の感謝というのだと思います。不出来なアリサが出来るようになるまで、休みなく慈愛のムチを揮って頂いたからこそ今のアリサがいるのです。


「アリサはやっぱり優秀ね。だからこのコースにすると御主人様は決められのが良くわかる」


 御主人様と聞いてアリサは飛び上がりそうになりました。マリ様の上におられるのが御主人様であり、アリサにとってはまさに雲の上の人。この館の決まりをお作りになられ、それによってアリサを成長させて頂いた大恩人なのです。


「アリサは次に進む時が来たよ」

「マリ様、ありがとうございます」


 食堂でアリサはまた進化しました。疑いもなく真のアリサにまた一歩近づきました。それとアリサを喜びに包んだのは、アリサの進んでいる道は御主人様から与えられたものだったからです。その期待にアリサは応えているからです。


 アリサは実感として相当なところまで来ている気がしています。でもまだ真のアリサではありません。ここからもっと大きなステージを通り抜ける必要が絶対にあります。


「アリサの感じてる通りで良いわ。でも、食堂を合格できたアリサなら必ず行ける」


 なんと嬉しい言葉でしょうか。ここまで温かい言葉をマリ様から頂いて次のステージをクリアできないわけがありません。アリサの女の誇りにかけて必ず合格を頂き真のアリサになります。

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