第23話
「ええ、あのクリスマスの後の、美香の誕生日前日のこと・・・」
峰子の言葉で思い出した。
そうだった。
美香は言っていた。『峰』から聞かされた、と。確かにそう言っていた。
あの時もそうだったが、今再び僕の頭の中では混乱が起こっている。
何故、峰子がそのことを知っているのだろうか。
僕は自分の胸の中だけに・・・いや、知っているとしたら、黒田、福島には話したかもしれない。
大学の卒業式の後、最後に一緒に飲んだのは確か、あの二人だった。その時、福島が付き合い始めたばかりの山城あゆみも一緒だった気がする。
黒田は卒業と同時に地元に帰ったが、福島は宣言通りこちらに留まった筈で、確か仕事の為、彼女と二人で離島に渡ったと聞いていた。
そんな彼らとも、卒業以来会っていない。
しかし、恐らくはそういうことなのだろうと、今更ながら気付かされた。
「何となくそんなことだろうって、そう感じてると思いますけど、多分富永さんが思っている通りで、福島さんから聞きました。福島さんの彼女のあゆみって子、私の中学の頃の仲良かった子なんです。一個上の先輩ですけど」
「そうだったんだ・・・」
繋がった。
でも、何で福島が態々そんなことを峰子に伝えたのだろう?
それに、それを一体いつ伝えたというのだろうか。
それには直ぐに峰子が答えを明かす。
「美香がこっちを離れて一年くらい経った頃、だから、今から三年くらい前です。福島さんとあゆみが、仕事で暫くこっちを離れるからって、そう言って私のお店を訪ねて来てくれたことがあるんです。その時、久しぶりの昔話と、それから福島さんとあゆみの馴れ初め話なんかで盛り上がっちゃって・・・。その時に、福島さんと富永さんがお友達だったって分かって・・・」
そうか、山城あゆみ繋がりで・・・。
「でも、本当にごめんなさい。あの頃、いえ、本当のことを言うと、ついさっきまで、私、富永さんのことが大嫌いで、すみません、でも、正直な気持ちです。だから、そんな事実が在ったとしても、あなたのことが許せなくて、美香には絶対に黙っておこうって・・・」
「でも・・・、じゃあ何で、半年前に、話してしまったの?」
つい口を突いて出てしまった言葉だったが、その言葉に峰子は即座に反応した。
彼女は眉間に皺をよせ、申し訳何さそうな、それでいて少し怒っているような、そして何かを決意したかの表情になった。
「そうなんです。あの時、私が話さなければ良かったんです。そうしたら、今、こんな状況にはなっていなかったんだと思います・・・。でも、その時は、美香も結婚が決まって、もう昔のことは忘れたって、そう、もう富永さんとのことはすっかり吹っ切れたんだろう、って、私が勝手に思っちゃって・・・」
その先は聞かなくても分かる気がしたが、僕は黙って峰子が再び口を開くのを待った。
「私、福島さんとあゆみから聞いた話は、絶対に美香には話さないって、そう思っていたんですけど、実は福島さんからは、『出来ればちゃんと美香に教えてあげて欲しい』、って、そう頼まれていたんです。・・・でも、その時は分かりませんでした。どうして福島さんがあなたのことを『あんな一途な奴は居ない』って言うのかが・・・。私は美香を傷付けた最低な人だと思っていましたから・・・。ごめんなさい、でも、その時は、本当にそう思っていて・・」
峰子の言葉がフェードアウトしていき、僕には何も聴こえない。
僕は思う。
美香が不治の病とか、そういうことでなくて本当に『良かった』という気持ちは本物だ。
しかし、やはり、僕以外に婚約者が居たという事実を知り、自らの心がそこはかとない失望感を抱き始めていることも理解している。
だからといって、美香を責める資格が僕には在るだろうか?
美香がそのことを僕に告げることが出来ただろうか。
無理に決まっている。
そしてそれは、『お互いさま』という話でもない。
僕が四年前にしたことと、今の美香がやっていることは、根本的に全く次元が違う。
辛いのは僕ではない。
あの日も、今も・・・
美香だけが、苦しんでいる・・・。
その原因は、僕に在る。
美香の為に、僕が出来ることって・・・。
再び峰子が言った「本当にごめんなさい」、その言葉で僕は我に返る。
「いえ、峰さん、いや、仲村さん、良いんです。原因は俺に在って、俺が何とかしなくちゃいけない問題です。仲村さんが謝ることではないです。教えてくれて、ありがとう・・・。俺がちゃんと、けじめ付けます」
「でも・・・、何とかするって・・・」
峰子の不安を露わにした表情に、僕は今できる有りっ丈の作り笑いでこう答えた。
「大丈夫。俺は美香のことが死ぬほど好きです。今更ですけど、やっと、正直になれました。ありがとう。あとは、俺がちゃんとします。仲村さんも、美香のこと、本当に思ってくれてて、安心しました。俺が言うことでもないけれど、これからも、美香のこと、宜しくお願いします」
「それって・・・」
峰子の不安は僕の作り笑い程度では払拭できそうにないが、それでももう、僕には押し切るしか手段は無かった。
「仲村さん、ひとつ、お願いがあります。いや、二つです。前もそうでしたけど、仲村さんにはお願いばかりで、申し訳ないです・・・。でも一つ目は、今度はあの時と逆です。今ここで話したこと、今後も、美香には内緒にしておいてください。福島が言ったのとも逆です。『伝えないで』ください。これは絶対に、お願いします。それから二つ目は、何て言えばいいか・・・、美香の婚約のことっていうか・・・」
僕は言いあぐねるが、峰子の勘は鋭かった。
「多分、美香は、婚約者に婚約解消の話をすると思います。あの子の性格からすると、そうなると思います・・・。それを、止めろって・・・、そういうこと、ですか?」
「・・・そういうことです・・・」
「・・・良いんですか?」
「良いも悪いも無いです・・・」
「・・・分かりました・・・。でも・・・」
「良いんです。お願いします」
峰子が幾ら感が良いとはいえ、どれくらい僕の考え、この先の行動を予想出来たかは分からないし、そこは問題ではなかった。
抑々僕は・・・。
僕の後悔なんて、そんなものは僕の中だけで消化すべき問題だ・・・。
美香が結婚を決めた相手、美香がそう決めたのだ、悪い奴な筈はない。
僕の出る幕ではない。
バカな考えかも知れない・・・けど、僕にはそれしか出来ない。
美香に対して、懺悔しようなどということが間違っていた。
好き過ぎて、懺悔どころか、縒りを戻すことを考えてしまっていた・・・。
そうじゃなかった筈だ。
そんなことを考えてしまったばっかりに、また美香を傷付けることになるかも知れない・・・。
でも、これが最後だ・・・。
峰子には申し訳ないが、恐らく彼女は信用できる。
美香にとって、最良の親友なのだろうと思う・・・。
峰子には、墓場まで、今日のことは、持って行ってもらう・・・。
だから、僕は・・・。
峰子の携帯電話の呼び出し音が鳴り、峰子は僕に「美香です」、そう言って電話に出る。
携帯電話を耳に当てた峰子の『美香、あんた、大丈夫?』と言う声を隣で聞きながら、僕は何故だか気持ちは落ち着いていた。
もう良いんだ・・・。
でも、もし・・・美香が、望むなら・・・
美香が望むように・・・、する・・・。
でも、そこに期待はしない・・・。
僕が最悪の悪者になる・・・。それで良い。それで・・・。
バカな考え?
それも、それで良い・・・。
―うん、分かった。今日一日考えて、それからにしなよ。明日は、出て来れるの?・・・うん、分かった、じゃ、明日話聞くから、その時、ね。・・・うん、じゃあ、明日お店で―
峰子が電話を切り、僕の方に向き直る。
「美香からでした・・・」
「うん・・・。それで、美香は何て?」
「ええ、さっきの予想通り・・・、婚約解消の話をするって・・・」
「・・・そう、ですか・・・」
ほんの少しの間があり、それから峰子が僕に食って掛かるように語気を強める。
「本当に止めなきゃダメですか?富永さんには、美香と一緒になる気はないんですか?好きなんですよね?美香のこと。どうして、富永さんは、本当のことを隠そうとするんですか?本当に良いんですか?美香、居なくなっちゃうんですよ、あなたの前から。今度こそ、本当に、居なくなっちゃうんですよ?」
「そ、それは・・・」
僕は峰子のその語気の強さと的確な現実の指摘に、驚きと絶望を目の当たりにする。
揺らぐ。
今の今決めたと思った気持ちは揺らぐ。
僕の『本当』?
分かっている。しかし、
それは大事なことなのだろうか?
そういえば、美香にも同じことを言われた。
『カズくんてさ、昔っからそうだよね。大事なこと、言わないよね』
果たして『本当のこと』=『大事なこと』、それで合っているのだろうか?
いや、正解が必要なのか?
ダメだ考えたって答えは出そうにない。峰子は僕に何を言わせたいのだ?
正解って、何だ?
隠すことは・・・いけないことなのだろうか・・・?
「本当に、良いんですね?止めちゃって」
「ああ、そうしてください・・・」
僕がそう答えると、峰子は黙ったままシフトレバーに手を伸ばし、ドライブにギアを入れると、「帰りましょう。送ります」、そう言って車をスタートさせた。
二人とも押し黙ったまま、僕の部屋のアパート前まで車を走らせた峰子は、車を路肩に寄せて停車すると、意味深なことを言う。
「着きました。明日、美香に会います。そして、話を聞きます。言われた通り、美香が婚約破棄の話をするようであれば、止めます・・・。もう一度聞きます。良いんですね?止めて。それから、美香が合鍵を置いて出て行った意味、富永さんが考えているのと、多分、違います・・・。一応、言っておきます。私は、今、あなたが考えていることは、あまり良い考えだとは思いません。出来れば・・・、いえ、もう、何も言いません・・・」
僕は峰子に「ありがとう」、そう言って車を降りた。
やはり峰子には見透かされているのだろうか・・・。
しかし、僕には、そうすることしか出来無さそうな気がする・・・。
部屋に戻った僕は、ふと、電子レンジの上のパンが目に入った。
別に腹が減った訳ではなかったが、僕はその一つを袋から取り出し、齧った。
冷たく、硬くなったパンは、酷く味気なかった。
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