第9話
結果から話すと、僕はその日(2014年1月7日)、『あの日のあの場所』へ、行くことが出来なかった。
あんなにも心に誓ったのに、だ。
言い訳をしようというのではない。ただ単純に事実を述べると、その日、僕は病院のベッドの上で、意識不明の状態で横たわっていた(らしい)。
6日から明けた7日未明、年明けに久しぶりに会った黒田、福島と一緒に、新年会と称して、大学近くの居酒屋で散々に飲んだ。
そこでの話題は、今後の自分たちの進路についての話が主だったように思う。
『これからの一年は恐らく、就職活動、卒論、そしてこの先の人生設計をある程度考えることに時間を費やすだろう。そして、その時間はどう考えても少なすぎる。』
黒田がそんなことを言っていたような気がする。あのクロが、だ。
福島も(あの『ソフトボールっ』と叫びながら大立ち回りをした挙句、お
「俺はさ、もう決めてんだ、こっちに残るって。あゆみちゃん、一人娘、一人っ子だし、俺、地元帰ってもやること無ぇし、三男坊だし、かと言って、都会に出るのもかったるいしな。こっちに残れば、こっちの大学出てんだ、就職口は選ばなけりゃ何とかなるだろうしさ、俺とあゆみちゃんが二人で生活するくらいは稼げるだろ。ま、共働きでも良いしな。一年かけて、そういったことの細かい部分を考えていくつもりだ」
「無理無理。クマ、お前が良くても、どうせあゆみちゃんにフラれるのは時間の問題だから、深く考えるだけ、無駄だぞ。それとあゆみちゃんの両親が許してくれないって。変な夢見てっと、夢から覚めた時、号泣するぞ」
そう言って茶化しながら笑う黒田だったが、それに対して福島が言い返していつものように漫才になることは無く、ただ黙ってグラスの焼酎を煽る福島の姿に、流石の黒田もそれ以上は揶揄うのを止めて、代わりに僕に話を振ってきた。
「ところでカズちゃんはさ、どうすんの?もう希望就職先とか決まってんの?やっぱ、地元に帰って教員とか?」
ハッキリ言って僕は何も考えていなかった。
一応は教員免許の取得課程は履修していて、あとは四年次の教育実習を受ければ良かったのだが、正直、自分が教職に就くどころか、教育実習に行くことさえ、まるで実感が無かった。
なのに、まさかこの二人が将来のことについて、何かしら考えようとしていることに驚いたし、何も考えていなかった自分が、焦りと恥ずかしさで上手く答えられない。
だから、つい、虚勢を張ってしまう。
「んな、将来のことなんて、ちまちま考えてらんねぇっての。にしても、お前らが将来のこと、真面目に考えてるとはねぇ・・・」
僕は自分の仕草や様子が、黒田や福島にどう映っているのか不安でしかなかったが、そんな僕を知ってか知らずか、黒田は言うのだった。
「いいなぁ、カズちゃんは、自由で・・・」
それでもその時の僕は、こんな虚勢を張る生き方も、もう今日、この時で終わりだとも思っていた。
明日、いや、もう今日か。
今日の午後、美香に会って、そして、総て、洗いざらいに僕を曝け出すつもりだ。
情けない自分も、不安に苛まれる自分も、浮気な自分も、美香に意味も無く当たってしまう自分だって、それから、今は「愛してる」とは言えなくても、「好きだ」という気持ちも、伝えるのだ。
格好悪くたって構わない。
呆れられたって、嫌われたって、フラたって、そんなことより、もうこんな自分では居られない、居たくない。
だから、これが最後の見栄っ張りだ。
黒田が更に問う。
「ミカちゃん、どうすんの?ってか、最近はミカちゃんとどうなのよ?」
「さぁな、どうもこうも、考えてないよ」
嘘を吐いた。
これが最後だ、そう思っていた・・・。
強かに酔っぱらった僕らは、午前二時頃だろうか、フラ付く足取りで大学に向かっていた。
理由は忘れたが、恐らく酔い覚ましにキャンパス内を散歩でもしようと、黒田か福島が言い出したのだと思う。
そして、校門手前に差し掛かった時、あの連中に出くわしてしまった。
そう、あの高校生の集団に。
相手は五人か六人か、酔っていたので正確には分からない。
酔ってさえいなければ、恐らくどうということは無かった。こちらは三人、相手が五、六人だろうが、喧嘩慣れした黒田と福島が居るのだ、戦力差にもならない。
但し、この時の三人は足元さえおぼつかない。
それでも黒田と福島は笑いながら、殴り殴られ、暴れまくっていたし、僕もつられて乱闘の輪の中で揉みくちゃになっていた。
酔いのせいか、殴られても大して痛みも感じずに、唯々息が上がって疲れる感覚だけを我慢しながら殴り合う。
流石にこれ以上体力が持たない、そう思った時、赤色灯とサイレンの音が・・・。
少しばかり気が緩んだ・・・。
次の瞬間、『ゴンっ』という後頭部に鈍く、重たい痛みを感じた・・・。
目の前が真っ暗になった・・・。
気が付いたとき、そこが病院のベッドの上であるということを理解するのに、大して時間は懸からなかった。
白い壁の部屋と、瞼を腫らし絆創膏を貼った黒田と、頬に擦り傷のある福島が、横たわる僕を見下ろすようにそこに居たからだ。
「おお、やっと気付いたか」
ボンヤリと目を開けた僕に向かって黒田が声を掛けて来た。
「病院かぁ。俺、最後、覚えてないんだけど、やられたのか?」
僕の質問には福島が答える。
「ああ、悪かったな。俺も近くに居たんだけど、止めらんなくて。アイツらの一人がいきなり三段ロッド出して、カズちゃんの後ろからガツンって。そのあとすぐ警察来てさ、救急車呼んで、ここに運ばれたんだよ、カズちゃん」
「そっか」
言われてみれば、少し頭が痛い。
いや、違うな、これは二日酔いの痛みだ。
後頭部は痛いというより、感覚が無い。
「あ、取り敢えず、脳内出血とかそんなのは無いってさ。脳震とう起こして、気絶してたんだってさ。だから、命に別状もないらしい。良かったよ、大したこと無くて。あ、それと、警察の事情聴取とかも終わったから。こっちはもう何もないと思うぜ。ま、一度くらいはカズちゃんとこにもお巡り来るだろうけど、多分大したことは聴かれない。適当に相槌打っとけば良いよ」
黒田の言葉に少しだけ安心しつつ、そして、『もう無理だろうな』とは思いながら、恐る恐る、僕は病室の壁掛け時計に目を向けながら、訊ねてみた。
「あの時計、合ってる、よね?」
福島が自らの腕時計と照らし合わせながら、
「ああ、合ってるよ。七時四十五分だ。何で?」
そう訊き返して来た。
僕は一瞬二人に美香との約束のことを話そうとしたが、直ぐに出掛かった言葉を飲み込んで、そのまま止めにした。
他人に頼るのは良くないと、先日思ったばっかりだ。
ずっと後になってよくよく考えると、『他人に頼る』べき時と、そうでない時、その区別さえついていなかった自分のバカさ加減と未熟さが恥ずかしい。
しかし、その時は何故だかそれが正しいように思えた。本当に大馬鹿者だ。
「あ、いや、特に理由はないんだ。何となく気になって・・・。俺、半日以上寝てたんだなって・・・」
僕はそんな適当な答えでやり過しながら、心の内では途方もない後悔と遣る瀬無さが湧き上がり、そして、あの場所に独り佇む美香の姿が鮮明に脳裏に浮かび上がって来ていた。
今直ぐにでもベッドから跳ね起きて、もう居ないかも知れないが、あの場所へ飛んで行きたい。
しかし、そんな気持ちとは裏腹に、僕の身体はピクリとも動かないのだ。
物理的にではない。
別にベッドに縛り付けられている訳でもなく、多少の頭痛は在るにせよ、起き上がろうと思えば、恐らくそれは可能だっただろう。
なのに、僕は指先ひとつ動かせずに、何故だか叫び出したい衝動を必死で抑えつつ、動悸が激しくなるのを二人に気取られないように深呼吸を試みながら、目を閉じた。
「まだきつそうだな。カズちゃんの目も覚めたことだし、俺ら、もう行くわ。あ、忘れてた。カズちゃんの目が覚めたら、ナースステーションに連絡入れろって言われてたんだわ。今、看護師呼ぶわ」
そう言いながら、黒田は僕の枕元にあるナースコールのボタンを押した。
「はい、ナースステーションです」
「あ、511号室の、富永、今、目を覚ましました」
「分かりました。すぐ伺います」
程なくして看護師と医師が病室に現れ、黒田と福島は「それでは、あと、宜しくお願いします」、そう言って病室を出て行った。
去り際に福島が「明日又来るよ」と言い残し、僕は目だけで「ああ、分かった」と合図を送った。
翌日、私服警官が僕の病室を訪ねてきたが、黒田が言っていた通り、特に事情聴取のようなものは無く、ただ『怪我の具合は?』とか『あまり無茶はしないように』とか、『何にしても暴力はダメです』等と、大凡こちらが全くの被害者ポジションのような扱いで話が進み、最後に『刑事訴訟は起こされますか』と、訊いてくるのだった。
僕は、『いえ、それは今は考えられませんので、また後日』、そう答えた。
「そうですか。では、退院なさって、落ち着いてからで構いませんので、何かありましたら、こちらまでご連絡なり、お出で下さるなりしてください」
私服警官から名刺を渡され、僕は彼が去っていくのを見送りながら、そんなことはどうでも良いと思っていた。
多分怪我の具合なんて大したことはない。それは自分の身体のことだからよく分かる。
昨日感覚が無かった後頭部も、今日は打撲したことが分かるくらいにズキズキと痛むが、それにしたってその内治る筈で、その他は身体中普通に動かすことも出来るのだ。
それより何より、胸の内側の痛みというか不快感というか、もう焦っても仕方のないことではあるのだけれど、その焦れて焼けるような
昨夜から、何度も携帯電話を手にしては、美香の番号を開き、そして閉じた。
何をどう説明していいか分からなかったし、そこに行かなかった事実が変わる訳でもなく、何を言っても言い訳をするようで・・・。
携帯電話を握り締めたまま、僕は寝落ちし、そして目覚めた時、もう、絶対にこちらから連絡出来ない・・・そして、二度と会うことは出来ないだろう・・・、そんな風に思うようになっていた。
死ぬほど嫌われた・・・、多分。
大嘘吐きの腐れ野郎だと思われてるだろう・・・。
美香は、こんな僕の為に涙を流しただろうか・・・。
僕にそんな価値は無いのだよ・・・。
死ぬほど嫌って、憎んで、
そして、忘れてくれ・・・。
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