第5話

 二日後だった。大学での四限目の講義のあと、一年次の時分、まだ僕が大学の寮に寄宿していた頃に仲良くなった黒田と福島を偶然に見掛けた。学内でもちょっと危なくて格好の良いことで有名なクロ・クマのコンビだ。(クロはそのまんまだけれど、クマって言うのはその風貌とフ・ク・シ・マの「ク」と「マ」でクマらしい)

「よぉ、久しぶり」

 僕はこちらから声を掛けて、二人に歩み寄る。

「最近、麻雀やってないの?たまには誘ってくれよぉ」

「おお、カズちゃん。久しぶりじゃん。麻雀はやってるよ。けど、カズちゃん、ええっと、ミカちゃんだっけ?彼女。そっちで忙しいんじゃないかと思って、気ぃ遣ってんだよ、俺等も」

 そう言って笑う黒田に、僕はうそぶく。

「何言ってんの、あいつは放っておいていいんだよ。それよかお前等と麻雀の方が楽しいに決まってんじゃん」

 確かにこの半年間、僕は麻雀の誘いを断り続け、最近ではお誘いの連絡も来なくなっていた。

「ほんとですかぁ?んじゃ、今晩、やりますかぁ?」

 ニヤニヤ笑う黒田に、今度は福島が別の話をしだした。

「クロ、それは良いんだけどさ、さっきの話はどうなった?あっちは中止か?」

「おお、そうだった。そういえばさ、カズちゃん聞いたか?昨日の夜、いや、夕方くらいからかな、大学の西門外のセブンの前で、何か訳の分からんイキがった高校生の族みたいのがたむろしてるっての」

「いや、なんだそれ?」

 今度は福島が答える。

「いやな、何でも人探ししてるみたいで、結構面倒臭い感じで大学生に絡んでるんだってさ」

「へぇ」

 僕はその時は特に何も感じていなかった。

 福島は続ける。

「そんで、昨日はセブンのオーナーが警察呼んだみたいなんだけど、特にしょっ引かれる訳でもなく、そのまま解散させられただけだったんだってさ」

「ふぅん、それで?」

「ああ、それでな、そのセブンでバイトしてる女の子がさ、それはそれはすっごい可愛いんだけどさ、山城あゆみちゃんって言うんだけどな、ま、それはどうでも良いんだけど、昨日買い物行ったらさ、そのあゆみちゃんが言う訳よ。『あ、福島さん、今日、すっごく怖かったんだよ』って。そんで、俺が『どうしたの?』って訊いてあげた訳よ。そしたらさ・・・」

 まだ話を続けようとする福島を遮って、黒田が言う。

「長ぇよ、お前の話は。ま、兎に角さ、俺等、今晩そいつ等をこっちから探しに行こうと思ってさ。そんでボコっちゃおうって、さっき話してた訳よ」

「相変わらずだな、お前等。何でそんなに血の気が多いんだ?」

 今度はまた、今話を遮られたばかりの福島が被せるように口を開く。

「何言ってんの、カズちゃん。俺達、正義の味方。あゆみちゃんが怖がってるから守ってあげるんだよ。白馬の王子さま作戦ってことだよ。そしたら、どう考えてもあゆみちゃんは俺に惚れちゃうだろ?」

「な、バカだろ、こいつ」

「うっせぇよ」

「お前みたいな筋肉バカ、誰が好きになるんだよ」

「喧しいわ、最終的に強い男が生き残るんだよ。北斗の拳、読め」

 二人のやり取りを見ていて、僕は苦笑するしかない。

 ひと通り二人の漫才を見させられたあと、僕は訊いてみた。

「で?何でまたその族みたいな連中は人探しなんかしてんだ?」

 黒田が答える。

「ああ、何でも、最近、そいつ等のメンバーが、うちの大学の奴にされたんだってさ。一人は頭に包帯撒いて、もう一人は首にだってさ。黒いバイクに乗ってる奴を探してるって言ってたらしいけど、そんな奴いっぱいいるだろ。しかも、うちの学生かどうかも怪しいしな。やられちゃって、仲間連れてきたらしいってことだ。何か『倍返しだ』とか言ってたらしいぜ。笑っちゃうだろ?高校生の族が半沢直樹とか観てるってことだぜ」

 そう言ってクスクス笑う黒田だったが、そこで初めて僕は気付く。そして無意識に右腕の既に瘡蓋かさぶたになっていた爪の引っ掻き傷を摩っていた。

 福島がそんな僕の仕草に目を止めた。

「あれ、カズちゃん、どうしたの?その傷」

「あ、これか?」

 黒田も気付く。

「あ、ほんとだ、結構酷いな」

 僕は「ふぅ」と一息ついて答える。

「それ、多分、俺のことだわ」

「はぁ?」

 二人はキョトンと僕を見返す。

 それから僕は簡単に、一昨日に起こったことの顛末を二人に説明した。説明し終わると、黒田がニヤけながら訊いてくる。

「で?誰が血の気が多いって?」

 次は福島だ。

「良いんだよ、カズちゃんも俺と一緒で白馬のナイトなんだよ」

「バカか、お前は。クマ、お前さっきは白馬の王子さまって、言ってたじゃねぇかよ。ナイトと王子の違いも分かんないのかよ、馬鹿かおまえは?」

「あれ、そうだっけ?」 

 黒田のツッコミにクマが恍けて見せるいつもの光景なのだが、流石に今はそんなに笑えない。

「んで、カズちゃんはどうするよ?一緒に行く?」

 福島の問いに僕は返答に困る。

「なんだぁ、カズちゃん日和ひよったか?」

「うるせぇよ、んなんじゃ無ぇよ」

 そうは言ったものの、確かに僕はビビっていた。問題なのは美香のことだ。自分のことは良いとして、美香を探されると非常に困ったことになる。

 どうした方が良いのだろう。

 この二人と一緒に徹底的に叩き潰して、二度とこちらに手出し出来ないようにしてしまった方が良いのか、それとも、ここはほとぼりが冷めるまで美香とも会わないようにしながら逃げた方が正解か?

 考えているうちに、先に黒田が結論を出す。

「いんや、カズちゃんは来ない方が良い。万が一取り逃がしたらズルズル引きずる可能性もあるし、ミカちゃんだって危なくなるだろ?カズちゃんはさ、暫くミカちゃんとも、ここら辺では会わないようにして、その連中が諦めるまで大人しくしといた方が良いって」

 黒田が言うことは尤もだ。

 しかし、それはそれでどうかと思う僕も居る。こちらから徹底的に潰してしまって、二度と手出しできないように脅しをかけた方が良いような気もするし、何より日和ってビビってヘタレた自分を誰にも見せたくはない。そんなことを考えて、言葉を発するのに迷っていると、福島が口を開く。

「そっか、そうだな。そうだよ、クロが言う通り、カズちゃんは今回は俺らの寮で待ってろよ。俺等は楽しいから行くけどさ、カズちゃんは面倒臭いことにならない方が良いよ」

 福島も同じことを言い出し、流れはそっちに傾いた。

「まぁ心配すんなって。俺等、カズちゃんのことは言わないし、ただ生意気な高校生の族にお仕置きしに行くだけだから、もし上手くいかなくて、更に揉めるようなことになったら、ターゲットが俺等に移るだけだから、カズちゃんは大手を振って表歩けるようになるって。ま、俺等が狩られることなんて有り得ないけど、な、クマ」

「おう、当たり前じゃん。俺等は白馬の・・・えっと、王子だっけ、ナイトだっけ?」

「そんなのはどうだって良いんだよ。一生やってろ」

 まぁそうだな。こいつ等がこの手のことでやられることは想像しにくい。

 僕がまだ思案しながら黙っている様子を見て、更に黒田が付け加えるように言う。

「良いって、気にすんなって。俺等に任せとけって。それと、ミカちゃんにも黙っておいていいと思うぞ。変に心配させるよか、シレっと『暫く忙しい』とか言って、会うのを控えればいいさ。一、二ヶ月もすれば元に戻るって。な、そういうことで、カズちゃんは寮で麻雀の準備して待ってろよ」

 そうだな、降りかかる火の粉は払うもんだが、わざわざ炎の中に飛び込んで行くこともないか。

「あ、ああ、分かった。んじゃ、そうするよ」

「よっしゃ、そしたらクマ、あと一人二人仲間集めて、行くべ」

「おう、じゃ、カズちゃん、あとでな」

 二人が去っていく後ろ姿を見ながら、まだ僕の中では迷いもあったが、美香を守ろうと思ったらこれがベターかもしれない。その時はそう思った。

 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇


 その日の午後十時、僕は大学男子寮のユニット共用スペースで雀卓をセットして、独り漫画を読んでいた。

 あいつ等、そろそろ帰ってくる頃だろうか。そんなことを思いながら、時計を確かめてそわそわし始めた時、「おーい、カズちゃん、来てるかぁ」そう怒鳴るような声を上げて黒田が帰って来た。

「おう、居るよ」

 僕が答えながら部屋の入口の方に目を遣ると、黒田が一人でヅカヅカと入ってきて、僕の顔を見るなり「あはははっ」と大笑いをしながら雀卓の僕の対面に座った。

「どうした?」

「あはははっ。聞いてくれよ、カズちゃん。クマの野郎がおまわりにとっ捕まりやがってさ、そんで、ジタバタ暴れるのをお巡り三人懸かりで取り押さえようとしてんの。もうすっげぇのなんのって。あはははっ。そんで、その隙に、俺等、見事に逃げて来たんだけどな。ほんっと、カズちゃんにも見せてやりたかったよっ、クマの暴れっぷりっていったら、もう、あんなのとは絶対お巡りも関わりたくないと思うぜ。あははははっ」

 思い出して、完全にツボに入っているようで、黒田の笑いは止まらない。

「そんで、結局どうなったのよ?」

「知らねぇよ。俺も横目に見ながら原チャで逃げるので精一杯だったからさ。今頃ブタ箱じゃねぇか。あはははっ」

 黒田は涙目になりながらまだ笑いが止まらない。

「ブタ箱って、大丈夫なのか?」

「大丈夫だって。何もやってないから。ただ金属バット持ってウロウロしてるとこを職質されちゃって、俺等はソフトボールの練習の帰り、とか、テキトーなこと言ってるのに、あいつ、いきなり突っかかり始めて、暴れ出しちゃったからさ。な、バカだろ?」

 僕は少し福島のことを気の毒に思う気持ちも在ったが、黒田がここまで笑い飛ばしているのだ、本当に大したことにはならないのだろうと、そう思った。

「あ、それでな、カズちゃん、多分だけど、もう心配しなくていいと思うぜ、お前もミカちゃんも」

「え?何で?」

「いやな、俺等が職質受けて、クマが大暴れしてた時、居たのよ、それらしき連中が。そしたらさ、そいつ等、俺等がお巡りとやりあってるの見て、ビビって逃げ出しちゃってんだぜ。俺も逃げる途中でさ、そいつ等の仲間みたいなのが一人はぐれてるの見付けてさ、原チャで追いかけたんだけどさ、追っかけてたら、市境越えちゃって、面倒臭くなって帰って来ちゃった。けど、あんだけ俺から必死で逃げてたから、多分めっちゃヘタレだぜ。多分、今回のクマの大暴れ見て、二度とこの辺には来ないと思うぜ」

「へぇ、そうだったのかぁ」

「うん、だから、カズちゃんはクマに感謝した方が良いぜ。今日はもう無理かもしれんけど、次、麻雀やる時、二回は振り込んでやんないとな」

 黒田とそんなやり取りをしているところに、また誰か帰って来た。

「おーい、クロぉ、原チャあったけど、帰ってるかぁ」

 そう言いながら麻雀部屋(ユニットの共用スペース)に入って来たのは安井だった。

 何故だか金属バットを二本も持っていて、その金属バットをカチャカチャと引きずって騒がしく入って来た安井は、黒田を見付けて黒田と目が合うと、こいつも先ほどの黒田同様、「あははははっ」と笑い出した。

「クロ、見てたか?クマの奴が『ソフトボールっ』って叫びながら取り押さえられてるの。クックックっ。あははははっ。ダメだ、思い出したら笑っちまう」

 僕は如何にも楽しそうな二人を見ていると、少しばかり嫉妬にも似た可笑しな気分になると同時に、やっぱりクマのことが少し心配になる。

「けどさ、クマ、ほんとに大丈夫なのか?」

 安井はまだ笑いが収まらないらしく、クスクス笑いながら「大丈夫だって」とそれだけ言うと、「喉渇いた、ビール取って来るわ」、そう言って共用キッチンへと消えて行った。

「な、ヤッシィも大丈夫って、言ってたろ?気にすんな、明日の朝には帰って来るって」

 まぁ僕は実際には見ていないし、こいつ等が大丈夫というのだから、きっとそうなのだろう。そう信じるしかない。

 キッチンから戻った安井が僕等にもバドワイザーを一本ずつ投げて寄越し、「んじゃ、クマに乾杯だ」、そう言って嬉しそうにプルタブを開けるので、流石に僕も笑ってしまった。

「クマにカンパーイっ」

「クマの無事の帰還を祈って、乾杯っ」

 結局はやはりその晩にクマは帰って来ず、三人で飲み明かすことになった。僕が再度安井に事の経緯を説明して、黒田と安井はずっと福島を楽しそうにディスっていた。

 そしてそのまま、僕は学生寮のソファーで寝てしまい、美香からのLINEに気付いたのは、翌日の昼前だった。


 目が覚めて、周りを見渡すと、黒田も安井ももう居なかった。

 雀卓に無造作に置かれた携帯電話を手に取り、時間を確認すると既に十一時を過ぎていた。

 美香からのLINEに気付き、一瞬ドキッとした。しかもそれは十三件。慌てて美香からのLINEを確認する。

 最終のLINEの受信時間が今日の午前八時過ぎであることが分かり、少し安心した。

 多分、大丈夫だ。変なことに巻き込まれてはいなさそうだ。

 20:04『今、どこですか?』

 20:15『あれ?』

 20:20『うちが間違った?』

 21:10『一時間待ったから、帰るね』

 21:47『ごめん、ほんと、うちが間違った?そうだったら、ごめんなさい』

 22:23『手が空いたら、連絡ください』

 22:53『ん?まだ忙しい?』

 23:34『大丈夫?』

 23:44『今、どこですか?』

 00:34『もう寝るね。おやすみなさい』

 06:12『・・・・・』

 06:13《怒った風のネコのスタンプ》

 08:03『学校、行くね』

 美香のLINEを確認して、少しホッとする。特に問題があった訳ではなかった。

 僕は再度腕時計を確認し、午前十一時三十分であることを確認した。午前中の講義をサボってしまった。

 今日の午後は講義が無い。部屋に帰って、シャワーを浴びよう。

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