隙間を埋めるショートショート
海野わたる
スタジアムとホイッスル
審判一級という資格を取って早くも一年が経ち、業務に初々しさも見られなくなった。北見 志穂は静かなサッカースタジアムの天然芝の柔らかく暖かみのある感触を足で確かめながら、毎度そうしているように、心を奮い立たせた。
志穂は旗を握りコイントス用のコインとカードを確認すると、試合開始のホイッスルを待った。
今日は手羽先ファンターレとケインズ海ぶどうというプロチーム同士の試合であり、ほとんどのサッカー好きも知らないが、J4という一応Jリーグの試合のリーグ戦である。
その試合に今回志穂は副審として審判を務める。副審とは、サッカーコートに入りボールを近くで追う主審とは異なり、タッチラインという横に伸びるラインの外に出て、主審の死角などを補佐する役割である。
志穂としては正直、主審をしている時のほうが自分で笛を吹いたり、カードも出せるので達成感があって好きなのだが、労働なのでわがままは言えない。
ピィーー、という甲高い笛の音とともにキックオフ、試合が始まった。目まぐるしく人とボールが交差し動くなか、志穂は自慢の健脚と肺活量でボールをとらえ続けた。そして前半終了間際、手羽先ファンターレの選手とケインズ海ぶどうの選手の二人がボールを奪い合い、ボールがサッカーコートの外に出た。
サッカーのルール上、ボールアウトした時はコートの外に出る前に最後に触った選手のチームの、相手側のチームがスローイングで始められる。今回は際どい場面ではあったが、手羽先ファンターレの選手が最後に触っていたので、志穂は旗を振り、ケインズ海ぶどうチームからのスローイングとした。
すると、手羽先ファンターレの背番号10番、遠藤選手が早歩きで詰め寄ってきた。志穂は身がまえた。恐らく抗議しに来たのだろう。スポーツの試合ではよくあることだ。熱意をもったプレイヤーの気持ちも分かるが、審判としては引き下がるわけにはいかない。志穂は毅然とした態度をとった。
「あの、これどうぞ。」
遠藤は志保にそれだけ言って二つ折りの紙片を渡すと、抗議しに行ったと勘違いした仲間たちに制されて、自陣へと戻っていった。審判という職業上、選手から試合中に受け取るべきではないのだが、啞然としているままに自然な反応として受け取ってしまった。試合が進み、ホイッスルが前半の終了を告げると、志穂はコートの隅で紙に書かれている内容を確認した。紙には電話番号と今日の夜八時という時刻、そしてレストランの名前とその詳細が記されていた。
「え、もしかしてこれってナンパってこと?」
その日の夜七時五十分、志穂はレストランへと赴いた。足を運ぶか迷ったが、少し興味がわいたので向かうことに決めたのだった。レストランへ着くと、外で遠藤が丈の長いコートを着て待っていた。志穂に気がつくと、ぺこり、とお辞儀をしたので志穂も挨拶を返した。
特に会話もなくとりあえず店の中に入り、店員に案内されて席に着いた。
「ここのレストラン、あまり高いとこじゃないですけど、ハンバーグが地元で有名なんですよ。」
おしぼりで手をふきながら遠藤が言った。志穂が相槌をうちながらメニューを開いていると、店員が注文を尋ねてきた。
「俺は和風ハンバーグで。」
「私も同じのでお願いします。」
初めて来る店ではまずは他の人の注文に合わせるのが志穂の習慣であった。
「えーと、今日お誘いしたのは、北見さんとお付き合いしたいと思ったからです。」
急に遠藤が口を開いた。
「ええ、ちょっと待ってくださいよ。そういうのって顔見知りから初めて行くもんじゃないですか?」
いきなりのアプローチに志穂は驚いた。ジャブの打ち合いを予想していた時にいきなりボディブローを三発食らったような気分だった。
「俺ってそういうのを先に言っておきたい人なんですよ。」
「あ、じゃあまずはお友達からということで、、、。」
「もちろんですよ。」
何がもちろんなのだろうか。
「でも、J1リーグで優勝したら、お付き合いして欲しいんです。」
「無理でしょ。」
志穂が真顔で言うと、遠藤は少し困ったような表情をした。
「お付き合いは難しいですか?」
「や、そうだけど、そうじゃなくて。あなたが所属してるチームってJ4リーグじゃないですか。J4で優勝したチームがJ3に上がって、また優勝してJ2になって、その次にようやくJ1があるんですよ。」
文字通り何百年かかっても無理な話だ。なるほど、と遠藤は呟いて顎に手を当てて少し間をおいてから、
「それでも絶対に優勝して見せます!」
堂々と宣言した。
「無理でしょ。」
志穂は顔色を変えずに言った。
「どうして?僕じゃだめですか?」
「違う、違わないけど、そうじゃなくて。あなたが所属しているチーム、毎回リーグ戦でランキング争いにすら食い込んでないじゃないですか。そもそも今後J4ですら優勝できるのかが怪しいってことですよ。」
ふむ、と呟いて遠藤は腕を組み何やら難しい顔をした。
「可能性は、ゼロではありません。」
「無理でしょ。」
志穂はスマホをいじりながら言った。
「どうして?」
「遠藤さん、今日試合が終わったあと戦力外通告が決定したじゃないですか。何を吞気に相手の選手の後ろからスライディングして足を蹴ってるんですか。イエローカード二枚もらって退場させられて、後半で五点取られてボコボコに負けてましたよね。ベンチに帰った後監督に死ぬほど怒られてたじゃないですか。クビだ!って叫んでましたよあの監督。」
遠藤はそういうことか、とつぶやきながら鼻を指先でトントンと叩いて、何かを思い出すように右上を見た。
「えー、大丈夫です、優勝するんで付き合ってください!」
「え、勢いで乗り切ろうとしてる!?現実味無いし、優勝にこだわりすぎだろ、何見栄張ってるんですか。」
「じゃあ、実家継ぎます。」
遠藤は提案するように言った。
「もう目標ですらないじゃん。実家は何されてるんですか?」
「大地主です。」
「ボンボンじゃないですか。何でファンも誰も応援にこないようなチームで選手やってんですか。」
志穂がそう言うと、なるほど、とつぶやきながら遠藤は目をつぶった。
「そのわけわかんないタイミングの考えてるフリも腹立つわあ。何も考えてないだろ。てかさあ、なんで試合中にナンパするわけ?乱闘始まんのかと思ってビビっちゃったよ。ナイターでもないし真っ昼間のスローイング中って雰囲気もくそもないから。」
「ここしかない、と思いまして。」
「他にどこにでもあるだろ。」
半ば口喧嘩になりそうな所、店員が料理を持ってきたので志穂は自身の感情を落ち着かせた。会話を一時中断し、料理に集中した。一口大にハンバーグを切って口に運ぶと、大根おろしと紫蘇が挽肉を爽やかに仕上げていてとても美味しかった。
「ハンバーグはめちゃくちゃ美味しいな。そういえばさ、何で私なの?謙遜とかじゃなくてさ、見た目が良いとは言えないでしょ?」
率直な疑問だった。
「ええと、北見さんが審判をしている姿に、見とれて、、、。」
「本当に?」
志保が問い詰めると、遠藤は志穂の顔をちらちらと伺いながら、
「北見さんって、Sじゃないですか。」
「はい?」
耳を疑った。どうして?と、疑問で頭がいっぱいになる。
「北見さんが主審をしている時って、めちゃくちゃファールが多いんですよ。どれもこれも際どいものばかりなんですけど、ほぼ毎回カード出てますよね?」
「職業上、そう取られるかもしれませんが、私は私なりに審判とは厳しくあるべきだと思います。フェアプレーのための行いですよ。」
遠藤はまた思い出す素振りを見せてから、
「でも、北見さんがファール出す選手って大体イケメンの選手なんですよね。やれコート上の貴公子とか、ハチマキ王子とか呼ばれてる。」
志穂は涙目になり項垂れながら口を開く。
「そうです。ドSなんですう。ドが付くほどのSなんですう。どうしてバレたの?どうしてえ?もう我慢できないんですう。そのために審判になったんだもん。ファールにしたりイエローカード見せるのとかが大好きなんですう。困った顔が見たいんだもん、しょうがないよお。それが原因で最近彼氏に振られちゃって、もう抑えが効かないんですう。発散しないと気が済まないんだもん!」
遠藤は志穂の瞳を真っ直ぐに見つめて言う。
「志保さん、俺はドMです。ドが付くほどのMです!俺たちはジグソーパズルみたいにピッタリなんですよ、だから、実家継ぐので付き合ってください!」
志穂は、ふむふむ、とつぶやきながら顎に手を当てた。
「まあ、顔がタイプなんで、オッケー。」
隙間を埋めるショートショート 海野わたる @uminowataru
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