二 赤い夢

 その夢の中の話なんですがね、気がつくとA君、町の中を歩いているんだそうです。


 見慣れた自分の住んでいる町で、時刻は夕暮れ時なのか、町全体が夕焼けに赤く染まってるんですね。


 ただ、見慣れた景色のはずなのにどこか違和感を感じる……しばらく歩きながら眺めていると、ああそうか。自分以外誰もいないんだ……ということに気づいたんです。


 夕暮れの町に、いるのはA君一人だけ。辺りはしーん…と静まり返っているんです。


 いつもは道路を行き交っている車も一台もいない……鳥の鳴き声も、風の音も聞こえないんです。


 なんだか不気味で、どうにも淋しい感じがするんですね……。


 まあ、夢ですから理由なんてないのかもしれませんが、どういうわけか自分一人だけで、その無音の町の中を歩いている……と、遠く道の先に、こっちへ近づいて来る何かが目に映ったんです。


 見ていると、どうやら車のようなんですが、他の車はまる走っていない道を、その一台だけがどんどんどんどん、こっちへ向かって近づいてくる……夕陽を受けて、周りの景色同様に車体も赤く染まってるんですね……。


「いや、違う……そうじゃない!」


 でも、その車が近づくにつれ、その車体の色が夕陽のせいじゃないことにA君気づいたんです。


 その車、夕陽で染まってるんじゃなく、車自体が真っ赤な色をしてるんだ。


 しかも、その車にA君、どうにも見憶えがある……そう! その日の夕方、学校帰りに病院で見かけたあの赤い車なんですよ!


 びっくりして、その場に立ち止まって眺めている内にも、赤い車はどんどんどんどん、A君の方へと近づいてくる……やがて、ブルウウン…ブルウウウン…! とアクセルを吹かす音も聞こえて来て、どうやらその車、かなりのスピードを出してこっちへ向かって来ているようなんです。


 他には何も音のない静かな夕暮れの町に、ブルウン…ブルウウウウン…! とけたたましいエンジン音だけを響かせると、彼の方へ向かって道をまっすぐ突き進んで来る赤い車……。


「おい、ちょっと待てよ? ……これ、俺にぶつかろうとしてないか?」


 そんな不安にA君が駆られたその時、すぐ近くまで迫った車の運転席が見えるようになって、そこに座るあの赤い男がニタァっと不気味に笑ってるのがわかったんです。


「うわあぁあっ…!」


 咄嗟にA君、慌てて踵を返すと全速力でその場を逃げ出しました。


 赤い男は明らかに、彼を跳ね飛ばそうと向かって来てるんですね。


「…ハァ…ハァ…ハァ…ハァ…」


 どこまでも真っ直ぐなその道を、とにかくA君は息を切らしながら懸命に走る。


 たまに振り向いて背後を見ると、あの赤い男はニヤニヤ笑いながらハンドルを握り、ぐんぐん、ぐんぐんスピードを上げながら迫って来てるんですね。


 A君も全力疾走で逃げるんですが、そもそも人間と自動車じゃあ勝負になりませんよ。あっという間に追いつかれ、もう今にも後から追突されそうになってしまう……。


 そこでA君、このままじゃやられると思うや反射的に脇へ飛び退いたんです。すると、赤い車はそのままのスピードでA君のすぐそばを走り抜けてゆく……とその瞬間、パッと目の前の景色が切り替わり、彼はベッドの上で目を覚ましたそうです。


「…ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……」


 目が覚めても、それが夢だったとは思えないくらい、その情景や恐怖心を鮮明に憶えているし、足にも走った後のような疲労感が残っていて、息も切れているし全身汗びっしょりですよ。


 どうにもリアルで、あれが夢だったとは思えないくらいなんですね。


 それでも、夕方見た車の印象があまりにも強かったから、きっとあんな悪夢を見たんだろうなあ…と、自分を無理矢理納得させるA君だったんですが……その夢、明くる日の夜もそのまた明くる日の夜も、毎晩々〃、続けて必ず見るようになったんです。


 現実に見たのはあの日の一度きりだったんですが、夢の中では毎晩々〃、あの赤い車に追いかけられるんだ。


「…ハァ…ハァ…ハァ…ハァ…」


 状況は決まっていつも同じで、あの夕陽に染まる誰もいない町を、A君だけが赤い車に追われて全力疾走で逃げてるんです。


 ただ少し違うのは、毎回、日を追うごとにどんどん執拗に追いかけてくるようになってるんですね。


 最初に見た時は脇へ飛び退いたところで夢から覚めたんですが、その翌日の夜は走り過ぎていった車がUターンして帰ってくると、再びA君を追いかけ始めるんです。


 それでもまた追突されそうになる直前で転がるように脇へ飛び退け、なんとか助かったところで目を覚ますんですが、さらにその翌日の夢になると、それでもまた赤い車はUターンして、A君を追いかけ続けるんですね。


 そうしてその夢を見るごとに、赤い車はしつこさを増してゆくんです。


 たとえ夢の中とはいえ、車に撥ね飛ばされたりなんかしたくはありませんからね。A君も必死で脇道へ駆け込んだり、物陰に隠れたりして逃げるんですが、どんどんどんどん、夢を見る回数を重ねるにつれて、追い詰められてる感じがするんですね。


 A君、そこでふと、もしも夢の中であの赤い車に撥ね飛ばされたら、現実の世界でも死んでしまうんじゃないか……と、そんな考えにとらわれたそうです。

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