第526話 晩年の哲学から哲学を知ろう

通称、晩年の哲学というものがある。


人間の多数が最後に哲学を学ぶ時の為、そう呼ばれている。


話は単純だ。要するに熟年離婚されたり、人生を振り返って


何も無い事に気づいたり、人生とは何だったのか? と言うような


最後に感じたり、考えるものであるから、晩年の哲学と言う。


ここから考えれば、哲学とは? が、多少は分かりやすいはずだ。


いずれも現実的なもので、人生に関わっている。


哲学とは? つまりは人生に関わりを持ち、証明の難しいものでも


理論的に答えを出したり、人生のあらゆるものに、それぞれ哲学は


存在していて、更にその中でも当然ではあるが、複数の意見がある。


日本人にはあまり馴染みのない神についても、議論はある。


神が存在するという事を証明する為の理論を打ち立てたものだ。


このように、日本人からすれば考える事が少ない事でも、


世界中で議論なされている。大小に関わらず、真剣に取り組む。


豪華なフルーツパフェを想像して欲しい。


断層になってる部分や上に乗っているフルーツ、そして下層には


生クリームやアイス等もある。


哲学の一例で言うならば、フルーツパフェを食べきるのと似ている。


食べるとは考える事であり、自分が考える何かしらの答えの片鱗や


相性の良いものなどは、ひとつの答えと答えが理論上、結びつく事で


それを上から順に食べていくうちに混ざっていくのは、


まさに答えが色々見えて来るのと、同じようなものである。


答えはひとつじゃない。これは最初に思った事だけの事を指している訳では無く、


自分的に最終的な答えに行きついたとしてもだ。


大勢の人が色々な方面から物事を見つめ直し、それを何度も繰り返し、答えに至る。


しかし、哲学というものが分からない人の多くは、パフェを途中または最初の方しか


食べてない所で、結論付けてしまう事が多い。更に一歩、そしてもう一歩いけば、


いずれは姿を変えて見えてくる。何故最後まで行ってもそれが答えでは無いのかは、


持て得る知識の中で考える答えだからだ。


私も考えて答えまで行きつけない事は度々ある。私の場合はサッと切り捨てる。


今の自分ではまだ無理だなと、一度さっぱりと洗い流すように無いものとする。


口説けそうもない時に、さっぱりと諦めるのと似た様なものだ。

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