第467話 マザー・テレサ

“あなたは、あなたであればいい”



彼女の名は有名だが、1997年9月5日まで生きていた。

そして彼女の本名はアグネス・ゴンジャ・ボヤジュだったが、


1931年の時、21歳のアグネスは修練女として、

初誓願の時に選んだ修道名が、テレサであった。


1950年、テレサは40歳の時に「神の愛の宣教者会」を設立。

同会の目的は「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働く」ことであった。

テレサは修道会のリーダーとして「マザー」と呼ばれるようになる。


私は今、彼女のこの言葉で迷い人となっている。


それは彼女の意に反する事でありながらも、

ハッピーエンドはもう実現不可能だからだ。


私は現実は受け入れながら、夢を抱いてきた。


そう。私の描いてきたハッピーエンドはもう来ない。

七転八倒でここまで来た。


これからも私は闘うべきなのか? 真実の剣と盾を持って

いつまで闘い続けるべきなのか? 私は今、光を失っている。


マザー・テレサなら何というであろうか?


満身創痍の私に対して、まだ闘えと言うのだろうか?


松岡修造が最初に頭に浮かんだが、笑いしか出なかった。


言われる言葉は分かっているからだ。


今、私の頭に浮かぶのはウクライナだ。


全く違うことじゃないかと思う人もいるだろうが、


繋がりはある。知識とはそういうものだ。


多くを知る人は、関連性から問題を解決まで導く事も少なくない。


私も最初は単純な問題だった。


しかし、私に主導権は無く、私は助言しか出来ない立場にいた。


そして私の言う通りになった。次期も完璧に当てた。

しかし、手遅れになれば問題は大きくなる。


ウクライナもそうだ。最初にもっと現実を直視して


交渉していれば変わっていただろう。


これでロシアが完全に敗れ去ったらと考えると恐ろしい。


世界はアメリカの属国と化すからだ。


勿論、前線で戦っている兵士の人達は皆、現実で戦っている。


いつの世でもそうだ。必ず後ろで糸を引く人間が存在する。


そして、その人物を見破ることが出来るのも極僅かしかいない。


私もまさに今、その状況だ。私と操り人形と化している人間しか


後ろで糸を引き、操り、思い通りにここまで来た。


ここまで頑張ったのかどうかさえも、私には分からない。

暗雲が光を遮断し、私の気力を奪って行く。


人は希望無しに生きて行く事は辛い。


昔、ブラッド・ピット主演の「セブン」という映画があった。


キリスト教の「七つの大罪」をモチーフにした連続猟奇殺人事件の映画だ。


あのバッドエンディングによって多くの人が気分を害した。


しかし、あれは現実世界を描いたようなものであって

現実の悲惨さを描いたものであったが、それを知る私でも嫌な気分になった。


今の私は丁度そんな気分だ。弱くも無いが、強くも無い。

選択は常に自分で考えて、自分で成功までの道を作ってきた。


酒は止めていた。もう長い間飲んでいない。私は何でもそうだが


依存症にはならない。気分次第でやめることが出来る。


この前病院に行ったら、同じような苦しみ抱えた二人が同室に


入って行った。私にはいない。誰に聞いても存在しなかった。


分かっていながら尋ねた。可能性は低いがあるからだ。

酒瓶を冷凍庫から出して、ストレートで喉に流し込んだ。


カンザキイオリのプレイリストを流しながら、懐かしい曲が

「吸血鬼」だ。いい曲でノリもいい。化け物同士で乾杯!



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