第134話 アルベルト・アインシュタイン

  “この世で最も理解できないことは

それが理解できることであるということだ”



誰もがその名を知る彼だが、今であろうが

昔であろうが、神の存在を証明できた者はいない。


日本は世界でおそらくは一番の多宗教の国である。

それは私は正直あまり良くない事だと思っている。


何故なら信じる気持ちや、心弱い人々のすがる場所が

無いからである。


このアインシュタインの言葉は、私自身でも思ったことはある。

私だけではない。多くの人がこのような言葉を

考えたことはある。


アインシュタインの言葉として残されてはいるが

理解を深めればおのずと見えてくる。


私の場合は0と100%があるかどうかから

この言葉と同じ事を理解するに至った。


それぞれがそれぞれの道を進む以上

休憩地点も難関もある。突き詰めていけば

必ずあるのが難関だ。


今まで自分で信じていたものが崩れ去り

路頭に迷うように苦悩が自分を支配する。


当然、人間は皆が経験をする。


神が人間に与えた唯一のものは時間だ。

若くして死ぬものでも、それまで生きた時間は

皆と変わることはない。


つまりは何に時間を割くかということである。

多数に渡す事に手を最初から出すのはよくない事だ。


まずは1つの興味が持てる何かを見つけることから

始まる。進めば進むほどたどり着ける終着駅は遠くなる。


それを感じることが出来れば成長していると言う事になる。

そしてその道での最初の難関になる。


自分に与えられた時間の中で如何に何に時間を使うかで

半生が決まると言っても過言ではない。


よくある言葉では、

“何かに挑戦するのは年齢は関係ない”

のような言葉があるが、勘違いしている人も多いはずだ。


最初の半生でどう生きてきたかで

それが可能かどうかが決まる。


最初の半生を何も知らず、学ぶこともない人が

後半の人生の分岐点で挑戦を選ぶ事は無い。

というより、出来ないのだ。


だからこそ若い時には色々やるべきだと私は思う。

私も色々やった。良くないこともやったし、

後悔するような事もした。


それは今でも私の中で生きていて、

だからこそ私は人を助けて行こうと決めた。


自分自身への戒めに近い。

自分の為に他人を助けている。


ある男に言われた。弟分のようなそいつは

私が例えば飲みに連れていっても

そいつを助けてやっても

一切その事にその後触れることが無いと

言っていた。


今まで会ってきた人たちは

それを優越感に浸るように威張るが

私はそれに対して礼も何も求めないのを

不思議がっていた。


それはそいつの人生で出会ってきた人間が

駄目な人間だからであり

良き人に出合うには良き行いをすることが大事だ。


因果応報という言葉があるが私は違うと思う。

この言葉を簡単にいうと

“過去および前世の行為の善悪に応じて現在の幸・不幸の果報があり、現在の行為に応じて未来の果報が生ずること”


であるが、そうでなはない。

自分の人生において出会う人によって大半は決まっていく。


悪い奴らと関係を持てば、当然悪い事が火の粉のように

必ず関わってくる。

良き人と関係を持てば、その人に感化され自分自身を見直す

機会を得るからだと私は思っている。


毎度言っているが人間は複雑な生き物だ。

だからこそ完璧な人間は存在しない。


アインシュタインの言葉は色々あるが、

彼も多く悩み、悩みも尽きない日々を過ごしていたと思う。


しかし多くの人々は安易に考えているのが現実だ。

何もかも普通に生きていれば、悩みも多くはない。

だが、人生が輝く時も少なくなるのは当然だ。


どのように生きるか、考えて考えて考え抜くことが

大切であり、自分の道を見つけることが出来るだろう。

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