第124話 イソップ物語


 ”自らを愉しむことのできない人々は

    しばしば他人を恨む”



私が二度目の東京に来て気づいた事は多くあった。


元々私は、別に一人でも寂しいという気持ちになる事は

滅多にない。


それは自分で人生を愉しんでいるからであり

目標というかやりたい事があるからだと最近気づいた。


私は皆、隠しつつ目標か目的か何かしらの感情があって

その為に生きているのだと思っていたが、ある人に聞いたら

逆にそういう気持ちを持って生きている人のほうが

圧倒的に少ないと言われた。


私は基本的に他人に興味を持つことは数えるほどしかない。

少し話せばある程度どのような人なのかが分かるからだ。


地元にいた頃はよく言われたが、今は全ての縁を一度切って

壱から人生を初めている。


最初はそろそろENDかなと思っていたが

幸か不幸か生きてしまうことになってしまった。


”死”についても多くの事を調べたり、

人に聞いてみたりしたが

生と死は皆に必ずやってくるものなのに

私的には経験してない事に対して何とも言えない。


怖いか? と聞かれたとしても怖いとはまた違う

何とも言えないものだと思っている。


私は小説やエッセイなど書いてる時には音楽は必ず聴きながら

書いている。

戦闘とかを書いている時はノレる音楽を聴きながら

自分の中のモードを上げていく。


悲しみを感じる文章の時にはやはりしおらしい音楽を聴く。


そして書きながら横目で歌詞を見ながら書いている。

表現方法など活用できそうな時には

言葉を変えて使い分ける事もある。


私も昔はそうであったが、多くの事は

もう先人たちが哲学に詰め込んでいるから


歌詞などでも哲学的な文章はよく見かける。


今、私はつまらない顏はしているが

愉しんではいる。


愉しむというのは楽しむためにも必要なことだと

私は思う。

愉しむために必要なものは特にない。

好きなものを追求していけば愉しみがわかってくるからだ。


人生を愉しむには楽しめる何かを探すことだ。

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