20日目 祭りのあと

 規制が緩和され、旅行客が増えていますとニュースキャスターは繰り返す。先輩と共に訪れた山で、私はそれを実感していた。こんなに人がいるなんて聞いてない。

 どういう経緯で先輩から山登りに誘われたのかは、もう詳しく覚えていない。なにか新しいことにトライしてみようという気持ちだった私は、イエスと答えた。次の瞬間後悔したけど、結局断れないまま当日まで来てしまった。

 山登りと言っても、険しい山ではない。ケーブルカーが整備されていて、半分以上それで登った。それでも、登りはきつい。慣れない格好、慣れない重い荷物。どうしてこんなことしてるんだろうと思う。

「先輩は、ずっと山登り好きなんですか?」

「そうだね、ほら、私って神隠しにあったって言われてたでしょう?」

 休憩中、立ったままペットボトルの水を飲む。使い込まれたリュックサックのサイドポケットには、例の傘ではない折りたたみ傘が入っている。

「あの時のことは何がなんだかよく分からないけど、山に行けばまたなにか起こるかもしれないって、そう思ったのね」

 親に止められて、周りに止められて、結局何もないんだけど、と苦笑した。

「あなたはどうして、来てくれたの? 無駄だと思って誘ったら来るって言うから、びっくりしちゃった」

 私は先輩と違って木の根に座り込んでいる。ペットボトルから口を離し、一つ息を吐く。私は先輩と違って、真新しいリュックを背負い、そのサイドポケットに半分に折った紙飛行機を突っ込んでいる。

「……せっかく出かけてもいい雰囲気になったから、いつもと違うところへ出かけようかと思って」

 それに、と言ってリュックを叩く。

「この紙飛行機に言われたんです。外に連れて行けって」

 先輩はおかしそうに、そうなんだ、と笑った。


 小一時間の登山で山頂へたどり着いた。秋晴れの空が遠くまで見通せる、山登り日和だった。多くの人が、思い思いの場所で休憩している。私と先輩は山頂の記念碑の前で自撮りし、横並びでお弁当を食べた。

「旦那と娘も、今頃このお弁当の残り食べてるはず」

「いいですね~」

 それから私は山頂の端まで歩く。見られたら怒られそうだから、なるべく人がいない方角へ。握りしめた紙飛行機に小声で話しかける。

「本当にいいのね? 踏まれて痛い思いしたり、鳥につつかれたりしない?」

「しないしない、大丈夫。飛ばしてもらったら、俺はもう俺じゃなくなるはずさ」

「本当ね?」

 念には念を入れて確認する。何度も聞いたけれど、それでもやっぱり不安だった。反対の手に持つおじいちゃんが声もなく頷く。

「ありがとな、お嬢ちゃん。辛いだろうに、俺の願いを聞いてくれて」

 どこか高いところから、遠くへ飛ばして欲しい。この紙飛行機はずっとそう言っていた。まさか自分がそれを実行する日が来るなんて思わなかった。

 こみ上げる思いがあって、私は唇を噛んだ。それから、なにか言わなければと思い一生懸命言葉を探す。私はこういうことも苦手だ。あまりしたくはなかった。自分が乱されるのが怖かった。それでも。

「……ありがとう。私のこと、ずっと見ていてくれて」

 ああ、と紙飛行機は湿っぽくない普段通りの声で答えた。私は大きく手を振りかぶる。私の指先から離れた紙飛行機は、色づき始めた山の木々の間をまっすぐ飛んで、やがて見えなくなった。

 泣くまいと思って振り返ると、一連の様子を見ていた先輩が、そっと肩を抱いてくれた。

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