無二

桂花陳酒

無二

「揉まれるなら二の腕かふくらはぎ、どっちがいい? 」

 いつものように、同じ部屋に帰宅した彼女がそんな問いを投げつけてきた。

 同じ部屋に帰宅と言っても、別に同棲してるわけではない。私達はまだ学生である。

 だからと言って、どちらかが居候というわけでもない。彼女の方が勝手に私の部屋に押しかけて来るだけだ。

 彼女の家は私の家から徒歩5分の所にあるので、別に私の家に一度寄る必要はないのだが。

 それを前に指摘した所『徒歩5分なんて自宅の延長みたいなものでしょ』と答えが返ってきた。そんなわけあるか。

 ……で。なんだか質問に違和感があったので、指摘してみる。

「普通、そういうのを聞くのって胸か尻かじゃないの? 」

「いやぁ、最初は私もそう思ったよ。でもさぁ、なんか憚られるっていうか……というか、胸なら私の方が」

「はっ倒すぞ」 

 彼女の頬に平手を飛ばす。

「もう手が出てるじゃん。胸だけじゃなく、器も小さ」

 2発目を飛ばしてやった。

「痛いなぁ。痛いなぁ。これは慰謝料が必要だなぁ」

「私お金無いけど」

「二の腕を触らせてくれたら許してあげるのになぁ」

 どちらかと言えば、許す側なのはこちらなのだけれど。

「それで気が済むなら、どうぞ」

 今度は彼女に敵意のない腕を差し出す。

「ぶたない? 」

「ぶたない」

「やったぁ」

 彼女の手が袖の中を潜って来る。力の抜けた指と手の甲で、撫でられるように揉まれる。

「冷たい。気持ちいい。柔らかい」

 形容詞しか発言できなくなった彼女は満足そうな顔で、むにむに、と私の二の腕がこねられる様を見ている。

 そうしてしばらく彼女に腕を差し出していると『冷たくなくなってきた』と反対の腕をよこせというような目で私を見てくる。

「欲張りめ」

「やったぁ」

 彼女に可愛がられた腕を引っ込めて、代わりにもう片方の腕を差し出す。また、彼女は触り始める。段々と手つきに遠慮が無くなってくる。

「さっきよりなんか力入ってない? 」

「気のせい気のせい」

 手を動かすのに夢中になって言い訳の方まで思考が回っていないようだった。調子に乗っている分は後でまとめて返すから気にしない。

「あ。また冷たくなくなった」

「じゃあ、これでおしまいね」

「まだ、ふくらはぎが……」

 彼女の要求をうざったらしいとは思わなかったが、少し不公平な気がした。

「これ以上は追加料金が必要です」

「私お金無いけど」

「そっちも触らせてよ」

「しょうがないなぁ」

「胸」

「はいどうぞ」 

 彼女が腕を差し出してくる。しばらくの沈黙があって、彼女の方が需要と供給の不一致に気がつく。

「え? 」

「等価交換だから。私の両方の二の腕と、胸で等価交換」

「さ、詐欺! 悪質商法! 」 

 彼女の猛烈な抗議が飛んでくる。 

「私よりも自信あるんでしょ? まぁ、嫌ならいいけど」

「……。いいよ。別に」 仕返しの冗談のつもりだったのだが、急に大人しくなった彼女の許しが出てしまい少し焦る。

「特別だから」

 私が、次の言葉を探っているうちに彼女の手が私の腕を導く。

 服の上から、彼女のそれに触れた。けれど肌の感触までは届かなかった。

「あ。このままじゃ、私が二の腕触った時みたいに直接じゃないから、公平じゃないよね。 

 ……。脱ぐから、後ろ向いて、目も瞑ってて」

 事態が取り返しのつかない方向へ進んでいく。私はただ、彼女の言う通りに目を瞑っているしかなかった。 

 彼女が制服を脱ぐ音だけが聞こえる。視覚を閉じているので、余計に意識してしまう。

「終わった。えっと、まだ目は瞑ったままで。私が手を持っていくから」

 再び、私の手が彼女の胸元へ導かれる。今度は、服も下着も無く、地肌だけの感触が伝わる。 確かに私のより大きかった。もう服越しでも彼女の胸元に視線を向けられないな、と思った。

「誰かに、触られたことある? 」

「……無い。別に、全体で言えば目立つ方じゃないから」

 さりげなく、私の方に飛び火する。それより小さい私は普通以下というわけだ。

「んっ……ふぅ……っ」

彼女が息を漏らす。その音が耳をくすぐって変な気分になる。

「ねぇ。なんでさっきから黙ってるの? 」

「いや。なんか……ごめん」

「何に対して謝ってるのか分からないんだけど。するなら、続けて」

「あのー、これはいつまで続ければいいんですかね……」

「君が満足するまで?」

「……。」

「あっ……、今ちょっと強くした」

「いや、そんなことは」

「嘘ばっかり。この変態」

 彼女に罵られながら、自分の中の何かが満たされていく気がしていた。

「……そろそろ終わりにしない?」

「……そうだね。お互い様だし、次からはこんな真似しない方がいい……と思う」

 彼女は向こうを向いたまま、乱れた服装を元に戻すと、そう言って立ち上がる。

 そして、こちらを振り向かずに言った。

「今日はありがと。またね」

私は、何も言えなかった。

彼女が帰ってから、私は彼女に触れていた手を眺めた。

私は、ずっとこうしたいと思っていたのだろうか。


✳︎✳︎✳︎


 昨日のことなんてなかったかのように、今日も彼女は私の家に来た。気まずく思っているのは私だけだろうか。

「お邪魔します」

 彼女はいつも通りだった。少し安心したが、罪悪感はまだ残っていた。

「昨日のことだけど」

「うん」

 やっぱり怒っているようだ。当たり前か。

「あれは、そういうつもりじゃなくて」

 私は必死に弁明しようとするが、「分かってる」という言葉に押し止められてしまう。

「じゃあ、どういうつもりであんなことしたんだろうね」

「それは」

 言葉に詰まる。それを察したように、彼女が口を開く。

「別に怒ってないよ。私から始めたことだし。だからさ、お互いに忘れよう」

「分かった」

「でもさ、これだけは忘れないで欲しいんだ」

「何?」

「ああいうのは、君以外にはさせたことなくて、その、君だけにしかさせない、から」

 それだけ言い残して、彼女は部屋を出ていった。

 その背中を見て、昨日の彼女の姿を思い出して、顔が熱くなる。

「私だけ」

 私は、他に誰もいない部屋で、自分に言い聞かせるかのように何度も呟いた。

「私だけかぁ」


 

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無二 桂花陳酒 @keifwa

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