十 「探したぜ」


「どうした?考え事か」

 

 士長さん、と最後は声を落として、唇の動きだけでルプスが尋ねる。

 恵まれた体躯に、派手な髪型。そして現在は、ドミナの側近という肩書きまで持つ。ただでさえ目立つ兄弟が、揃って主人以外の護衛をしているのだ。どこかで誰かが耳をそばだてていても、不思議ではない。

 

 歩調に合わせて、一つに結われた編み込み髪の束が、後頭部で揺れている。ん?と覗き込むように持主が首を傾けると、束の先にいくつか付いている銀色の飾りが、ちりちりと鳴った。

 尋ねられたサフィラが、渋々といった様子で口を開く。雨除け布に遮られて表情は見えないが、声色に滲む疲弊が、その心境を物語っていた。

 

「考えるなと言われても無理な相談だな。この状況で」

「ハハ、違いねえ。俺ら部外者でも縮み上がっちまうような話だったが、あんたと比べたら大した事ねえと思えるぜ。あんた、なんでまた手配犯なんかに?」

「それは話せない。私の一存では……すまない」

 

 ルプスが驚いたようにロイドへ視線を移した。さっきまで彼らの主人に敵対心剥き出しだったサフィラの口から、まさか謝罪の言葉が出るとは思わなかったのだろう。苦笑いで応じたロイドに、サフィラの尖った声が飛んだ。

 

「あなたは——どこまで知っていたんだ。他に何を隠している?城を去った時……こうなることまで予想していたのか」

 

 言い終わると同時に、サフィラは額を抑える。様々な感情が入り混じり処理が追い付かなくなった頭は、酷く重い。

 それは、ロイドにとっても身に覚えのある感覚だった。

 

「……俺達が第一にすべきことは、『女神の欠片』の確保。言うまでもないが。在処ありかに関しては、おおよその見当は付いてる。恐らく——王宮だ」

 

 表情一つ変えず、ロイドが告げる。小さく相槌をうって、サフィラも同意を示した。

 

「ほぼ間違いないだろうな。建国後すぐに秘密裏に捜索がされて、以来王宮関係者が秘匿してきた。その存在すら、決して悟られないように。欠片を集めるべき場所——女神の魂が眠る場所とやらも、共に管理されていると考えるのが妥当だな」

 

 ふと、雨具屋での会話がサフィラの脳裏を過った。あの時、城へ戻ることになる可能性を、既にロイドはレジーナに進言していた。ドミナから女神の欠片について聞かされるよりも前の段階で、彼は何らかの確信を得ていたことになる。

 緩く、奥歯を噛む。何故先に教えておいてくれなかったのかと、問う気力は湧いてこなかった。ずっとそうなのだ。彼は昔から、ずっと。

 

「在処の目星がついたからと言って、安易に物探しができるような状況ではない。いや、こんな状況でなくとも、城内は私でさえ出入りできる場所が限られていた。どうやって探索するつもりだ」

 

 サフィラの疑問に、意外なことにロイドは小さく微笑んだ。

 

「無闇やたらと探し回る必要はない。ひとまずは、この騒動で警備が一際厳重になった場所を探せばいい。王家の人間の生活圏以外で、特に、普段は人の出入りが少ないような場所——」

「……なるほどな。だが、殿下をお連れする必要があるのか?私達が欠片を見つけて戻るまで、お待ち頂く方が安全では?」

 

 ロイドが答えるより先に、二人の会話を聞いていたルプスから驚愕の声が上がる。

 

「おいおい、マジかよ——あの、手配書にあった『子供』ってのは、まさか」

 

 魔術士兄弟から、返答はない。

 ノクスを連れて早々にこの場を降りるべきだと、頭の中で警鐘が鳴る。ドミナからの指示は、二人を地下街の出口まで送り届けること。そこから先は関与せずとも、彼女の怒りを買うことはないはずだ。

 

 

 

 再び沈黙を連れて進み始めた三人の頬を、一筋の風が撫でた。ロイドの鼻腔に、冬の空気の匂いが流れ込んでくる。地下と外との境目が、近いらしい。

 程なく、一人先頭を進んでいたノクスが、三人の元へ引き返して来た。ロイドとサフィラに鋭い一瞥をくれた後、ルプスの横に並び声を潜める。

 

「なあ、何か妙だ……様子がおかしい」

「……具体的に話せ」

 

 訝しがる弟の様子に唯ならぬ気配を感じたルプスは、身構えながら続きを促した。

 

「この寒さだ。外に人が居ねえのはわかる。だが、出口付近で火を焚いてた奴らも、今は一人も居ねえ。それどころか、こっから先、外まで人っこ一人居やしねえ。みんな奥まで退いて来てやがる……何かに怯えてるみてえに」

「なんだ、歩き易くていいじゃねえか」

「兄貴!」

「……分かってる。出口まで送れと、ドミナは言った。役目が終わり次第、オレ達は退かせてもらうぜ、旦那方」

 

 ルプスからの提案に、サフィラが神妙に頷く。

 

「もとより、自分の身は自分で守る。この先何が起きようと、護衛など必要ない」


 本心から出たのだろうその言葉に、詰め寄りそうになったノクスを腕を引いて制す。

 血の気の多い兄弟を持つと大変だなと、声をかけるつもりで覗いたロイドの瞳は、どういうわけか出口の方向に釘付けになっていた。そのまま歩調を速めたかと思うと、遂には小走りになり一人駆けて行ってしまった。何事かと、残された三人が慌てて後を追う。静まり返ったトンネル状の空間に、人数分の足音が反響する。ひんやりとした冷気を纏った風が、生温く淀んだ地下の空気を割り開いてくる。

 天井から吊るされた、最後の照明。その真下で、真っ黒な冬の夜空を見上げるように、ロイドは立っていた。

 雨除け布を庇の上に押しやり、深く外気を吸い込む。

 

「——雪だ」

 

 ほんのりと熱を帯びて吐き出されたその一言に、緊張の糸を張っていたドミナの側近兄弟は、がっくりと肩を落とした。どうやら、危険を察知したわけではなかったようだ。少し息の上がったサフィラも、呆れたように兄の背中を睨む。そういえば、この人は子供の頃から雪の日が格別好きだった。

 そして彼が、誰に告げるでもなくひとり王宮を去ったのも、こんなふうにはらはらと白い雪の舞う寒い夜だったと、苦々しく闇夜を見上げた。

 舌打ち一つ、ノクスがロイドに声を張る。

 

「雪も雨も変わんねえだろうが。凍える奴が増えるだけだ」

「それは……そうなんだろうな。すまない」

「気安く謝ってんじゃねえよボンボンが。何も知らねえくせに」

「いい加減にしろ、ノクス。旦那方、役目は果たした。俺達はここまでだ。あんたらの無事を祈るよ」

 

 にやりと口角を上げ、いとまを告げたルプスに、サフィラが片脚を引き一礼を返した。そのまま躊躇なく地下街の外へと歩み出て行く。ロイドも後を追うべく、二人に謝意を伝えようと振り返った、その時。

 

 ロイドの視界が、一瞬で黒く裏返った。

 目の前にいるルプスとノクスの姿が、淡い緑色の光となって輝いている。何かを報せようとしているかのように、両眼がどくどくと脈を打つ。

 

 天眼が、自らの意思で開いたのだ。

 

「!!」

 

 ぎょっとしたように固まっている二人を余所目に、ロイドは瞬時に後方へ跳んだ。

 

「サフィラ!」

 

 渾身の力で身体を当て道路脇に二人倒れ込むと、さっきまでサフィラの立っていた場所を、鎖のような物が掠めていった。先端についている拳ほどの大きさの鉄球が、行き場を失い、二人の目の前の壁に食い込んだ。鈍い音を立てて壁が崩れ、獲物を捕らえ損ねた鎖がじゃらじゃらと地面に広がる。

 

(これは——鎖鎌?)

 

 暴発しそうになる天眼をなんとか抑え、慎重に身体を起こす。

 肉眼で改めて見ると、分銅の付いた鎖部分の先が、暗闇の中へと伸びている。武器として存在を知ってはいたが、こんな物を実際に使っている人間は見たことがない。対魔物用の武器としては殺傷能力が低すぎるし、捕物用にしては鎌の部分の有用性に欠ける。それに、ロイドの知っている一般的な鎖鎌と比べて、鎖の太さも分銅の大きさも倍以上ある。こんなものに捕捉されれば、骨の一本や二本の犠牲ではすまないはずだ。

 事態を把握したらしいサフィラも、警戒しながら起き上がった。雨衣の下、グリモアの位置を確かめるように指を添えている。

 

 襲撃者の正体を見極めるため、ロイドが目を凝らすと、両眼に鋭い痛みが走る。思わず額を押さえ頭を振ると、再度天眼が開いた感覚がした。

 暗闇の中、今度はその存在がはっきりと視認出来た。

 

 反射的に眼を瞑りたくなるほどの、眩いアニマの緑葉色。

 まるで蛍光のように鮮明に浮かび上がる、強い生命の輝き。

 

 この色をその身に宿す者を、ロイドは二人しか知らない。

 一人は、若くしてこの国の頂点に立ち、民を守り続けている深慮の王。初めてそのアニマを目の当たりにし、あまりの美しさに圧倒された日の事を、鮮明に覚えている。

 そして、もう一人。「彼」のアニマを初めて視た時は、思わず本人に問い質してしまった。「なんでお前がその色なんだ、納得がいかない」と。

 

「あー、やっぱ慣れない武器引っ張り出すんじゃなかったか。一回避けられたらもう使えねえなあ——ったく」

 

 馴染みのある声とともに、明かりの下へ襲撃者が姿を現す。得物の柄を振ると、たった一振りで重い鎖と分銅がその手元へと巻き取られていった。雨衣のフードは、被っていない。地下街の住人達が怯えていたのは、この男の存在だったのだと、疼く両眼を宥めながら相手を睨んだ。

 

「近衛総長も随分と暇なんだな……マグナス」

「暇すぎて悪友と遊びたくなったんでな、来ちまった。探したぜ——兄弟」

 

 ロイドには蛍光色のアニマが。

 サフィラには煌めく金眼が。

 

 強大な敵として目の前に立ち塞がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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