第18話
深夜、貸し与えられた家から出た俺は明るい月に照らされた里の中をゆっくりと歩いていた。
宴によって騒ぎ疲れた面々は起きる気配もなく、里の中は先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返っている。
「……まあ、あれだけ暴れれば当然か」
スルトとレーヴァを筆頭に、エルフたちはそのイメージとはかけ離れた騒ぎ方をしていて、俺も呆れてしまったものだ。
とはいえ、この身体に転生してからあんな風にバカ騒ぎを見ることは少なかったため、少しだけ新鮮さを感じていることもまた事実。
「ふっ……」
グランバニア帝国の皇子として生を受け、いずれ破滅する運命だった俺にとって、帝国はあまりにも息がつまる場所だった。
近づく者は誰一人信用できず、与えられるすべてを疑わなければならない日々。
たった一人、生まれたときから傍に置き続けていた弟だけが唯一信頼できる存在だった。
「そういえば、やつは元気にしているだろうか?」
手紙だけを残して旅立ってしまったため、少しだけ心配してしまう。
弟は俺が一からすべてを教えたので、そこらの人間より遥かに優秀だから大丈夫だと思うが……。
「さすがに今度、手紙でも送っておくか」
もっとも普通に送ると帝国の検閲を受けてしまうので、なにかしら手段を考えなければと思う。
まあ俺の力を知っている弟のことだ。こちらの心配はしていないはずなので、そのうちでいいだろう。
「さて……」
結局、里の中を歩いていても誰にも気づかれることはなかった。
そのまま結界を抜けて森の中へと入っていくと、夜の森に相応しい虫の音が小さく鳴り続け、夜行性の獣たちが走る気配がある。
アークレイ大森林は強力な魔物たちの巣窟であるが、その中でも生き延びている普通の獣たち。
彼らは彼らなりに生きるための術を持っていることを考えると、自然とは凄いものだと考えてしまう。
「だからこそ、そんな自然を侵す害獣どもは始末しなければならない」
カサカサと、明らかに自然のものとは違う音が俺の周囲を囲う。
「……人間、だと?」
「なぜ人間がエルフの里から……?」
曇ったような声を出すのは、明らかに怪しい風貌の男たち。
顔には黒いターバンのようなものを巻き、全身は体格が分からないように少しダボついた服とマント。
今見えているだけでも十を超え、こちらを警戒するように隠れている者も含めれば、おおよそ三十人はいるだろう。
夜闇に紛れるような姿をする存在を、俺は『生まれる前から知っていた』。
「こんな夜も遅い時間に訪問とは、ずいぶんとマナーのなっていない犬どもだな」
「なんだと……?」
「しょせん命令を聞く以外に能のない、犬どもだと言ったのだ」
「っ――⁉ 貴様っ! 我らを愚弄するか⁉」
感情を逆なでるように薄く笑ってやると、先頭に立つ男が苛立ったような声を上げる。
他の男たちもそうだろう。
周囲一帯に殺気が充満し、辺りにいた野生の獣たちが怯えたように逃げ出し始めた。
「貴様がなぜ人間嫌いであるエルフの里から出てきたのかは知らんが、我らの姿を見た以上生きて帰られると思うなよ!」
「五体バラバラにして、獣どもの血肉としてやろう!」
その言葉を皮切りに、姿を見せている男たちが一斉に武器を構えて襲い掛かってきた。
一人一人が帝国騎士団の上位に匹敵する実力者。
もし彼らがエルフの里を襲っていれば、戦士長であるスルトですら苦戦をまぬがれないだろう。
それこそがクヴァール教団が誇る暗殺部隊――
だが――。
「相手が悪かったな」
「――ッ⁉ ぁ……」
一番最初に近づいて来た男の短剣を躱し、俺はそのまま首を掴む。
ゴキリ、と静寂が続いていたはずの森の中で鈍い音が響き渡った。
「なっ⁉」
「驚いている暇はないぞ?」
手をかざし、軽く魔力を込めると目に見えない風の刃が飛び、そのまま男たちの上半身と下半身を真っ二つにする。
「「「っ――⁉」」」
これで襲い掛かってきた男たちは全滅。その様子を隠れて伺っていたやつらから動揺が伝わってくる。
未知の敵を前に逃げるか戦うかで迷っているところだろう。
「そのような迷いに意味はないと言うのに……」
俺はこいつらを一人として逃がすつもりはない。
「アースウォール」
膝をついて地面に触れた瞬間、周囲一帯に大地が盛り上がり土の壁が出来上がる。
本来は自分の前に展開することで敵の攻撃を防ぐ魔術で、二メートルほどの大きさとなるそれだが、俺が使うと軽くその十倍の高さとなる。
円形に展開したことで逃げ場はなくなり、空を飛べない限り、これを超えることは不可能だろう。
「なんだこれは⁉」
「アースウォールだと⁉ こんな出鱈目なものが、下級魔術であるはずがない!」
驚きの声が辺りから響き渡る。
そんなに声を出せば居場所などバレバレになってしまうだろうに。
俺は声を出した方向へ順番に風を飛ばす。
その風は寸分違わず木々に隠れていた男たちの胴体を斬り飛ばし、そして地面へ肉塊が落ちていく。
「い、一斉に攻撃だ! あいつを止めなければ全滅する……ぞ?」
そんな指示を出した瞬間、俺の風が真っ二つにした。
なにが起きたのか理解出来ないと言った風に、その男は絶命する。
「懲りないやつらだな。そもそも貴様らは、私の前に出てきた時点で詰んでいるのだ」
「っ――⁉」
「貴様らの目的などどうでもいい。なにせエルフたちが助けを求めようと求めまいと――」
――クヴァール教団の犬どもはすべて駆逐すると決めているからな。
空に浮かぶ三日月と同じような笑みを浮かべて、俺はそのままゆっくりと黒狼たちに近づいていった。
そして――。
「ひ、ひぃ……助けて……ください!」
俺との力の差を理解して抵抗は無意味と感じたのか、それともただ恐怖に怯えているからか。
残り五人となったところで黒狼たちは完全に戦意を喪失し、まるで神に懺悔をするように両膝を付いた。
「……死にたくないか?」
「は、ひ、あ?」
「死にたくなければ、私の問いに答えろ」
「は、はい!」
涙を流し、鼻水を垂らしながらも希望に縋る男。
「そうだな。有益な情報を言えた者から順番に逃がしてやろう」
俺はアースウォールに人が通れる程度の穴を空け、そちらに指をさす。
「ただ、嘘を吐いたと私が感じたら、その首を刎ねる」
「は、はい!」
「それではまずは――」
そうして俺は一通りの質問をし、そして約束通り五人全員をこの場から逃がしてやった。
外にはこの中に漂う血肉の匂いに釣られてやってきた魔獣どもが山ほどいるだろうが、それは知ったことではない。
やつらの断末魔が響き渡ったところで、俺は『約束通り』この場からは逃がしてやったのだから。
「……さて、それではこれから来るらしい『本隊』とやらを待ちながら、月見酒でも楽しむとするか」
ときおり聞こえてくる悲鳴に心を高ぶらせながら、丁度いい大きさの岩に腰を下ろして空を見上げる。
どの世界でも、やはり月というのは美しいと、そう思いながら――。
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