第65話 初めての面接

「それは良かった。マスターが選んだこの豆、俺も好きなんだ」


「えっ?マスターじゃないんですか?」


「お爺さんから聞いてない?マスターが入院しちゃったんで臨時に雇われただけなんですよ。平日はこんな感じだから一人でも回せるんだけどどうした訳か週末は大混みになっちゃってね。そこで昨日たまたま寄ってくれた弦さん、お爺さんに人手が欲しいなんてポロっと話しちゃいましてね。週末の昼間だけなんて中途半端だしそうそう都合良い人いませんよねって」


「そうだったんですか。お爺ちゃん何にも言わないでゴロゴしてるんならバイトでもして来いとしか言わないから。実際次にやりたい事も無くて家に居たんで文句も言えないんですけど。確かに私もそろそろ何か変えてみなきゃって思ってたところだったんでバイトもいいかなって思いまして」


「早速寄ってくれたと」


「はい。思い立ったら何とやらって言うじゃないですか。あっ、これ渡さないと」


 懐から取り出した白い封筒を渡された。


「これは…、ああ履歴書ね。ちょっと見せてもらいますね。挨拶が遅れましたけど私は雇われ臨時マスターの豊田です。よろしく」


 封筒の中身は履歴書だった。綺麗な字でびっしりと書き込んである。


 彼女の名前は木島キジマ シノブ。26歳、独身。県内随一の進学校から日本国民なら大抵は知っているであろう有名大学を卒業して、株などやった事も無い俺ですら聞いたことのある東証一部上場の大企業に四年務めて先々月退社となっている。


 面接初経験の俺でも山の中の喫茶店こんなとこで燻るには勿体ないスペックである事位は判ります。地方の三流大学卒業の俺なんかとは格が違うよ。滅茶苦茶エリートじゃん。


「おっと、喫茶店のアルバイトの経歴じゃないね」


「飲食の経験はないんですけどやっぱり駄目ですか?」


「いやいや逆だから。喫茶店の手伝いなんてお願いしていいのかなって感じ。時給だってそんなに出せないだろうからいいのかなぁ」


「ああ、お給料は気にしないで下さい。どうせ暫くは失業保険で過ごすつもりでしたし退職金とか貯金もありますから。何より実家はお金が掛かりません。私の方こそ自分のリハビリに利用するみたいで申し訳ないです」


「リハビリ?怪我でもしたの?」


「いえ、何か疲れちゃって。仕事はやりがいもあったし楽しかったんですけど東京あっちって地方こっちと違ってずっとギスギスしてるんですよ。周りが常に隙を伺ってるって言うか本当に気を抜ける時が無いって言うか。一度そう感じちゃったら続けるのがキツくなっちゃって…」


 おうっ、結構重い話になりそうだなオイッ!


 同じ無職でも経営不振の煽りを受けて先の展望もなくお気楽に辞める事にした俺とは全然違う。これは辞めるそれしか選択肢がなかったパターンか。俺なんか都会の人混みとコンクリートジャングル(表現がジジイ)じゃあ暮らせる気がしなくて未だに実家だからな。そういう面では確かに田舎こっちの方が擦り減った何かを癒すにはいい場所かもね。


「怪我とかじゃないなら大丈夫だよ。立ち仕事だから怪我とかしてると大変だからね。そういえばバイクで来てたもんね」


「あれは兄のなんです。兄が友人から譲ってもらった物なんですけど私も昔からたまに乗ってて今は好きに使っていいって言ってくれたんで時々借りてるんです。。意外と元気に走るからちょっと散歩みたいに気分転換にもなるし。女の子っぽくないし煙たいですけど。お爺ちゃんも行くならバイクで行けとかいうからこんな格好ですいません。面接受ける格好じゃないですよね」


 デニムシャツにスイングトップを羽織りチノパンにスニーカーという自分の恰好を見ながら恥ずかしそうにちょっと俯く。おうっ、可愛いじゃねぇか。思わず鼻の下が延びる。(エロオヤジ)


「私もこの恰好ですから気にしないで。逆にスーツじゃ仕事できないし」


「何でバイクなのかと思ったら豊田さんもバイク乗るんですね。表にあった青いバイク、綺麗な色ですね」


「うん、古いんだけどね。ここのマスターもバイクが好きでその縁でここに居るようなものだから。どお?こんな所だけど手伝ってもらえる?」


「はい、勿論です」


「予定じゃ土日の昼間だけなんだけど」


「それも問題ありません。私も今はまだ毎日はキツイ感じですから。是非お願いします」


「OK。じゃあ今日中に私の雇い主に確認して明日の午前中には連絡しますね。ほら、雇われだから勝手に決められなくてごめんね。私としては全く問題ないんで採用の方向で話を持ってきますね」


「ありがとうございます。今日はお忙し…」


 立ち上がってお辞儀をしようとしながら周りをキョロキョロ。


「はは、忙しくはないねぇ。まぁ普段はこんな感じだから。そうだせっかく来てくれたんだからお昼でも食べてく?弦さんも来るかもしれないし」


 時計は11時半前。いつもなら誰かが来てもいい時間だ。


「えっ、いいんですか?お爺ちゃんがカレーが美味しいって言ってたから実は気になってたんです」


「了解。じゃあ今準備するからもう少しそこで待ってて」


 俺は初めての採用面接らしきものを無事に終えられたことにホッとしながら席を立ち厨房へ向かった。

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