54.【地下迷宮】
あれから数時間後、俺はゲリオット街の石造りで出来た【地下迷宮】に足を運んでいた。
街のいたる所に【地下迷宮】へ繋がる道はある。そのうちの一つ、ゲリオット伯爵家の屋敷からは、地下水路が入口になっていた。
口元を布で覆い隠し、手元に松明を持つ。
辺りを照らすと、蜘蛛の巣が道を塞ぎ、足元を水が流れている。
暗いな……。
ガタン、という音が響いて後ろを俺は振り向く。
「あぎゅ!」
後ろの梯子から、レインが落ちて来た。
杖を大事に抱え、僅かに泣き目になっている。
「いたた……着地失敗。お尻痛い」
俺はため息を漏らしてレインに近寄った。
「レイン……来なくてもいいって言ったのに」
「ダメ。アルトは一人にするなって買収された」
「なにで買収されたの?」
「クッキー」
またも深くため息を漏らす。
そんな簡単なもので買収されないで欲しい……不安だ。
買収した本人はウルクだろう。本当に心配性だ。
レインを寄こしたのは、俺に文句を言わせないためだろう。
レインほどの実力者なら、足手まといになるどころか一人でもこの問題を解決できそうだ。
少しだけ嬉しくなる。ウルクが心配してくれたんだ、頑張らないと。
内ポケットからハンカチを取り出し、レインの口元を覆い隠す。
「ここは衛生環境が悪い。下手に空気を吸い込むと病気になるんだ、苦しくても我慢してくれ」
「ん……ありがとう」
腕をまわして、レインの腰を掴む。
本当に軽いな、全然荷物だと感じない。
「よし、行こう」
そう言うと、レインのエルフ耳がピクピクと動いた。歩きながらレインが言う。
「……アルト? なんで私のことを抱えるの?」
「何かあったらすぐに逃げられるようにだよ……あー、ごめん。抱っこの方が良かったかな……?」
申し訳なさそうに言う。
レインは子どもっぽいし、そっちの方が喜びそうだ。
肩車は……ちょっと動きづらい。
レインはムスッとして、俺の胸板をポコポコと叩く。
「あんまり、子ども扱いしないで。怒るよ」
「ごめんごめん」
俺は苦笑いを浮かべる。
レインは視線を前に向けて、半眼で杖を構えた。
「何もなければ【
「その時はだね。でも今は大丈夫、その必要はないよ」
レインが首を傾げる。
魔法使いは剣士と比べて直感力が低い。
だからこそ、アルトだけが背後の敵に気付いていた。
「俺たちがここに降りて来てから尾行されてる」
相手の正体は分からない。
人か魔物かも、こんな環境じゃ匂いで判別ができない。
でも、明確に殺気だけは感じ取れた。
「アルト、凄いね。よく気付いたね」
「……レイン、準備は良い?」
アルトが剣の柄に手をやる。
レインが答えた。
「いつでも良いよ」
レインが杖の先端を水路に向けた。
「【
杖の先から水の塊が飛んでいき、水路が弾ける。
【地下迷宮】は一瞬にして雨となって、視界が塞がった。
アルトが剣を抜き駆け出す。
(人か魔物かは分からない! でも、居場所ははっきりと分かる! 殺気までは消せない!)
そこに向かって剣を振り下ろす。
カキン、という音と共に火花が散る。
「……!」
さらにアルトが剣を押し込む。
鍔迫り合いになる。
徐々に暗闇に慣れ、相手の様相が見えて来た。
そこには眼帯をした男が居た。
(この人……! 剣じゃない、槍使いだ!)
「良い剣筋じゃねえか、悪くねえ。だが甘えよ!」
男が懐からナイフを取り出す。
(剣を離せば槍が飛んで来る! 武器のリーチでは向こうの方が上だ!)
リーチの重要性は女王バッタの時に、嫌というほど思い知っている。
一度距離を取られたら、近寄るのは難しくなる。
剣の力は弱めず、ナイフを持った手首を掴む。
ギギギ……と男の腕が萎んでいく。
「なっ! なんて馬鹿力だ! この餓鬼……!」
男が奥歯を噛み締めると、口から細い針を飛ばしてくる。
しかし、それも外れる。
「
(猛毒花って、一滴で人が死ぬって言われてる猛毒の花じゃないか! なんて物を投げてくるんだこの人!)
「あんた、なんの用でこの【地下迷宮】に居るんだ!」
「お前こそ、見たこともねえ顔だな! 冒険者でもねえのに、こんな実力を持っている人間はそうは居ねえ! 見つけたぜ! てめえが行方不明者を増やしている犯人だな!」
「違う! 俺たちもその原因を探しに来たんだ」
「信じられるかよ! てめえほどの実力者が、こんな街に善意で来る筈がねえ!」
(なんとか怪我無く、この場を抑えこみたい!)
そうアルトは強く思っていた。
勘違いしていることは分かっている。なら、これ以上争う必要はないんだ。
レインが男の横に立つ。
そして、杖の先端を向けた。
「善意だよ。それ以上戦うのなら、私も魔法撃つよ。槍使いのザッシュくん」
「……雨水の魔法使いかよ」
疑いは晴れなかったものの、敵ではないと判断したザッシュが手を降ろす。
「降参だ。お前らが敵なら俺は死んでる。そうだろ」
「うむ、分かってもらえて何よりだよ。ザッシュくん~」
レインが何度か頷く。
「チッ、餓鬼が餓鬼扱いするんじゃねえよ……」
静かにレインが杖の先端をザッシュに向けた。
「何か言った?」
「言ってない言ってない!」
レインの事は知っているらしく、やけに大人しくしていた。
俺が剣を鞘にしまうと、レインが言う。
「彼は武闘商人のザッシュだよ。暗殺道具、魔道具、武器なんかを取り扱ってるこの辺じゃ有名な武器商人だ。私はね、ザッシュが若い頃、助けたことがあるんだ」
(なるほど……だから、やけに手数が多かったんだ。実力的に見るとAランク級冒険者はある……相当強いな、ザッシュさん)
レインの話によると、ザッシュが駆け出し商人の頃に魔物の大群に襲われ、そこをレインに助けられたそうだ。
その相手にした数は約100匹のオークだったという。だから、レインに対してザッシュは反抗しないのだとか。
「へぇ……よろしくお願いします、ザッシュさん」
俺が握手を求めると、「マジかよコイツ……」という目で見られる。
え……なんか変なことしたかな。
「お前、さっきまで殺し合いしてた人間と握手しようって……異常だぞ」
「あれは誤解ですから。その疑いが晴れたのなら、俺は構いませんよ」
「……もしかしてお前、底抜けの馬鹿か、とんでもない善人かのどっちかだろ」
握手を拒否されながら、俺は苦笑いを浮かべた。
何となく悪い人ではないとは思うんだけど……口が悪いなぁ。
「ザッシュさんは、なんでここに居るんですか?」
腰を下ろしたザッシュが言う。
「……それは後で話す。それよりも、俺もここに数十日もいるが、見つかるのはドブネズミと汚ねえ水だけだ。この場所はハズレだ」
俺は悩む。
ザッシュが数十日も調べて何もないのなら、俺が探しても見つかる物はないだろう。
「君たちは馬鹿だね。見つからないのなら、聞けばいいよ」
「おいレイン……聞くって誰に聞くんだ。小さい服ばっかり着てるから頭に血が回ってねえんじゃねえか?」
つい口走ってしまったことにザッシュが口元を隠した。
レインが半眼でザッシュを睨む。
「……まぁ良いや、ザッシュには地獄を見てもらうよ」
「は……? 何するつもりだ?」
杖の底をトントン……と叩いて、魔法を発動する。
「【
目を瞑りながらレインが言う。
「数は雑魚が1456匹、Aランク級魔物が3匹。思ったより少ないね」
一瞬、【地下迷宮】が静まり返る。
ザッシュの声が響いた。
「お、おい……もしかしてレイン! てめえ!」
「アルトなら余裕でしょ」
「俺は大丈夫」
俺が笑顔で返す。
【
だからこの魔法を広範囲で使えば、それだけ大量の魔物が寄ってくる。
「ちょ、ちょっと待てよ! お前ら正気か!? 魔物の数が多すぎるだろ! 普通じゃねえって!」
「ザッシュさん、最初から何もなかったらこうするつもりだったので大丈夫です!」
アルトが親指を立てる。
「何も大丈夫じゃねえよ! 常識的に考えろ!」
ドドド……と【地下迷宮】が揺れ始める。
暗闇から無数の真っ赤な眼が見える。
「この大量の魔物の中でAランクの冒険者を倒せそうな魔物が居れば……事件は見えてくると思う」
アルトが【疾駆】を使い先行する。
その後ろ姿に、ザッシュがつぶやいた。
「おい……まさか、レイン。アルトの実力って……」
「滅尽の樹魔を単騎撃破。噂ぐらい聞いてるよね」
ザッシュはそこで気付く。
「そうかよ……さっきの攻撃は全部、手加減してたってことか……」
よくよく考えれば、アルトから攻撃を仕掛けてきたのは最初だけ。それ以降はザッシュを素手で抑え込もうとしていた。
「俺を相手に、すげえな……」
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