52.~ウェンティ視点~
アルトがゲリオット街に向かっている日。
その日の孤児院は、妙な雰囲気に包まれていた。
「ふんふふ~ん」
エプロンをして孤児院の厨房を借り、ウェンティが鼻歌交じりにクッキーを焼いていた。
楽し気なウェンティをラクスと子どもたちが廊下から覗いている。
子どもたちが言う。
「ウェンティお姉ちゃん、楽しそう」
「今日って特別な日かな?」
顔を見合わせながら、首を傾げる。
この孤児院にいる子どもたちの誕生日ではない。
ラクスは今日がなんの日か知っていた。
「いいえ、確か今日は……アルトさんがいらっしゃる日だったような……」
そう、今日は本来、週に一度アルトが来る日だった。
様子を見に来ることもあったが、本格的にお風呂の件が決まったため、営業する日も近いのだ。
子どもたちにとってはお風呂が毎日入れるようになる、というだけでも楽しみであった。
だが、
ラクスはそのことを知っている。
「ふむ……クッキーですかな」
子どもたちの後ろに現れた奇妙な髭の形をしたフラベリックが言う。
「ふ、フラベリックさん……いらしていたのですね」
「ええ! もちろんですとも。このフラベリック、いつもあなたの傍におりますとも。こちら、例のお風呂のお店に関する商業書類です。費用と建材を調達しておきましたぞ!」
「まぁ! ありがとうございます!」
ラクスが笑顔で書類を受け取る。
「にしても、彼女が料理ですかな?」
「え、えぇ、そうなんです。今朝になっていきなり一人でやりたいと申しまして」
(アルトさんの話によれば、ウェンティは改心したとはいえ元は貴族の方ですから、料理や掃除などは嫌がると思っていたのですが……)
孤児院にやってきたウェンティは自分から掃除や洗濯を手伝っていた。最初こそ、服が手洗いだと知って驚いていた。
料理をすれば厨房を爆発する。家庭菜園を手伝えば植物を枯らしてしまう。
(本当に後処理が大変ですけど……真面目にやってるから許してしまうんですよね~……)
頬に手を当てるラクスは苦笑いを浮かべる。
その時、ガシャン! という音が響いた。
「おっと! ……また割っちゃった」
皿を割ったウェンティは肩を落とす。
やることすべてが裏目に出てしまうウェンティに、周囲の人間は『お前は何もするな』と言うだろう。
フラベリックがまさに言っていた。
「何もするべきではないと思うのですが……ふむ、今日は槍の雨でも降りそうですな」
「それは言い過ぎじゃありませんか……?」
「ラクスさんは言わなさすぎるのですぞ! これで割った皿の数は何枚目になるのですかな!?」
「えーっと……56枚目……ですね。ハハ……」
「なぜ笑っていられるのですか、怒っても良いのですぞ!?」
ラクスが首を横に振る。
「アルトさんから話はすべて聞いています。ようやく前に進み始めたのですから、一緒に背中を押してあげましょうよ」
(誰よりも、アルトさんがそれを望んでいる。私はアルトさんのためにも、できることをやってあげたい)
「ですが……今日はアルトさんがいらっしゃらないんです。どう伝えたものか……」
アルトが居ないことを、ウェンティに伝えるタイミングを失っていた。
正直に言えばウェンティを傷つけてしまうかもしれない。
「ふむ、それは私の仕事ですかな」
「えっ?」
「どうせ、私でしたらウェンティに嫌われております。伝えてきましょう」
「ですがそれではフラベリックさんが……」
「良いのです。ラクスさんのためです」
進んで行くフラベリックに、子どもたちが半眼で眺めてつぶやく。
「あれ、変な髭の人、面白い顔してた」
「なんか悪い顔してたね」
フラベリックは内心でこう考えていた。
(ここで悪役になれば、ラクスさんからの評価が上がる……! 私はやはり天才ですぞ!)
声を掛ける。
「ウェンティよ、クッキーは無駄になりましたぞ」
「は? 私のクッキーに文句言うつもり? あんたにはあげないわよ」
「違いますぞ! 今日はアルトさんは来ません。何やら急用ができたそうですぞ!」
全力で嫌味ったらしくいうフラベリック。
「急用……? ふーん」
フラベリックに絡まれながら、ウェンティは変わらず料理を続ける。
そんな反応に、フラベリックが一瞬だけ言葉に詰まる。
(あれ、もっと悲しそうな顔をするのかと思ったのですがおかしいですな)
ウェンティは平然とした様子で、言う。
「言いたいことはそれだけ? じゃあ、とっとと帰れば」
「……では、これで失礼しますぞ」
フラベリックは早々にその場を後にする。
何か違和感があった。いつものウェンティならば、すぐに反撃してくるはずだ。
(……表情は変わっていませんが、先ほどまでの元気は何処に?)
フラベリックの『悪役を買う』という作戦には大きな欠点があった。
商売一筋の人生を歩んできたフラベリックは、交渉術に長けているものの、女心は分からない。
ウェンティがアルトのために本気でクッキーを作っていたからこそ、落ち込みすぎて表情が変わらなかったことに気づかなかった。
*
(そっか。アルト、来ないんだ……)
フラベリックが厨房から出ていくのと入れ替わりでラクスが来る。
私に対して、ラクスが優しく微笑んだ。
「ウェンティ」
「なによ」
「いえ、アルトさんが来なくて落ち込んでいるのではないかと思って」
「そう見える? 全然、私は元気よ。誰かさんが毎日栄養のあるものをって食べさせるからね」
「……ごめんなさい、伝えるタイミングがなくて。あまりにもウェンティが楽しそうに料理をするから」
「良いのよ、ラクス。私の方こそごめんなさい。また皿割っちゃったわ」
これで何枚目かしら……ずっと迷惑かけてばっかり。何処に行ってもそう。
アルトに迷惑かけて、助けてもらって……何も変わってない。
甘やかされた人生を送ってきた。私なんてただの役立たずだ……。
出来上がったクッキーを取り出す。
「アルトが来なくて良かったのよ。だってほら、こんなクッキーじゃ誰も食べたくないでしょ?」
真っ黒こげになったクッキーを見て、無理やり笑顔を作る。
「……そうよ、別に気にすることなんてないもの」
ウェンティにとって、このクッキーは人生で初めて作った手料理だった。
たった一人の男、アルトに食べさせたくて作ろうとしていた。
タイミングが悪かった。
ただそれだけのこと。
素直に言えば、楽しみにしていた
アルトがどんな言葉をくれるのか、喜んでくれるだろうか。
ちょっとでも、『私は変わったんだ』って伝えることができるんじゃないか。
「……やっぱり、私なんてアルトの足元にも及ばない」
この孤児院にいて、アルトの凄さがようやく分かった。
大量の雑用や家事をたった一人ですべてこなすなんて、簡単なことじゃない。物凄いことなんだ。
アルトがどれだけ凄かったか、私がどれだけ無茶な我儘を言っていたのか。
今なら分かる。
(アルトはもっと評価されるべきだったのよ……)
孤児院の子どもたちがわらわらとやってきて、クッキーを手に取る。
「え? ちょっと餓鬼ども、それは焦げてるから食べちゃ────」
「はむっ」
「あむっ」
「ぱくっ」
口に頬張り、言う。
「「「おいしい!!」」」
なっ!
うそでしょ……? このクッキー、全部焦げてるのよ⁉
美味しい筈がないわ!
そう思い、一口食べる。
「にっが……! 食べるのやめときなさいよ! あんたら!」
「なんで?」
「おいしいよ?」
なんで……? そこまでこの孤児院は貧乏だったの……?
いや、違う!
まさか、餓鬼ども……私が落ち込んでいるのを察して励まそうと……!
思わず泣きそうになる。
初めて認めてもらえた気がした。
(こんな失敗したクッキーを、私のためにおいしいって……)
子どもたちに飛びつき、頭を撫でてあげる。
「あんたら、本当に大好きよ。アルトの次にだけど!」
アルトのお陰で、自分の居場所を見つけられた気がした。
「よし!」
自分の頬を両手で叩いて、活を入れる。
いつまでも落ち込んでいられないわ。
(アルトが帰ってきたら、もっと驚かせられる! それだけのことよ!)
「ラクス、本を一冊借りるわよ!」
だからもっと頑張らなくちゃ。アルトに必要とされる人間になりたい。
それが今の目標だから。
「本……? なんの本?」
「もちろん、錬金術に関する本。アルトが帰ってくるまでに、基礎の【調合】を習得するわ!」
あわよくばその次の魔法、【精製】まで手を付けたい。そうすればアルトの力になることができる。
やる気を取り戻したウェンティがその場を後にする。
「あら……私もクッキー作りが苦手で、子どもたちが焦げたクッキーしか食べたことないと伝え忘れてしまいましたね。今日で二度目、ですね」
これまで原料のサトウ花があまり出回らなかったことで、入手することができず、ラクスはお菓子作りだけが不得意だった。
密かに、仲間意識を持っていたラクスであった。
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