17.彼女たち


「何をしているの? 私の執事をやめて、どうしてここに居るの?」

「元気そうで、また……会えて良かったです……」


 ドクンドクンと心臓の鼓動が早くなる。


 息が苦しい……。

 さっきまでちゃんと出来てたのに……。


 急に胃に痛みが走る。 


「帰るわよ、アルト」


 自信満々に言うウェンティは俺の腕を掴んだ。

 振り払って、拒絶すれば良かった。


(あれ? 言葉がでない……喋れない……)

 

 しかし、ここで振り払えば癇癪を起されるかもしれない。


 そう思って思考が停止する。


「待て。誰の許可を得て、ここからアルトを連れて行こうとしているんだ?」


 ウルクが低く唸ったような声で言う。

 腕を組んで、静かにウェンティを見つめる。


「あんた、誰よ。私の執事なんだから、私が好きにしても良いでしょ」

「この銀髪で大体分かるんじゃないかと思ったが……そうでもないのか?」

「……銀髪? 銀髪と言えば、イスフィール家の氷の令嬢……」


 血の気が引いていくように、ウェンティの顔が青ざめていく。

 男爵家のウェンティにとって、目の前に居るのは王女殿下と侯爵家のご令嬢。


 本物のお姫様だ。


「こ、これは……失礼、しました。くっなんでアルトが侯爵家と知り合いなのよ……っ!!」

「小声でも聞こえているぞ。まったく……早く下がれ。今回は静粛な場だ、見逃してやる。アルトの腕を早く離せ」

「……それは、アルトが決めることでは?」

「アルトが貴様の元に戻るはずなどないだろう?」


 視線がぶつかる。

 

 それに対し、アルトは混乱していた。


「えっ? あ、いや……その……」

「アルト……? どうしたんだ?」

「私の命令はだものね。アルト?」

「は、はい……」


 ルーベド家で働いていた記憶が呼び起こされていた。ここで俺が嫌だと言えば、きっと怒鳴られる。


 癇癪を起されてしまう。

 ウェンティの我儘で、ウルクに迷惑を掛けるんじゃないか。


 そう考えると、怖くて言い出せなかった。


 レアが扇を開いた。


「……ウルク嬢。あなた、ヒヨコのお話はご存じで?」

「え……今はそれどころじゃないでしょう?」


 レアは淡々とした口調でウルクに言う。


「ヒヨコは初めて見たものを親だと刷り込まれるそうです。それが覆ることはなく、一生記憶として残る。それと同義で、アルト様は生まれた頃よりルーベド家に仕えておられました。命令は絶対、それが骨の髄にまで染みこんでいるのですよ」


 そこでようやく、俺がどういう状態か認識する。

 忘れられないのだ。


 どれだけ理不尽に仕事をさせられても、それが当たり前だと思って生きてきた。

 言われて初めて不当だと理解した。でも、心は追いつかない。


「今のアルト様は、恐怖に支配されているあの頃を思い出している」


 至って平然と言うレアに、ウルクは拳を握りしめる。


(そんなの、奴隷よりも酷いじゃないか!)


「ウェンティ嬢。一つ、お伺いしてもよろしくて?」

「……なんでしょう、レア王女殿下」

「わたくしがお送りした、金塊の山はどう致しましたの?」

「あ、あれは父上が管理しております。私やアルトが管理するにはあまりにも金額が……それに、アルトの物は私のものでございます」

「……私のもの、ですか。では、なぜアルト様が存じ上げていなかったのですか?」

「そ、それは……!! えっと……知っていたはずですよ? ねぇ、?」


 怒気を孕んだ声音に、背を丸くする。

 レアは自然と俺に視線を移し、否定を促してくれた。


 どう答えるべきか、俺には分からない。

 

「悩む必要なんかないわよ? あなたは考えず、私の命令に従っていればいいの」


 ……従っていれば、怒られない。

 

「えっと……その……実は、知って────」


「アルト、もう良い」


 ウルクが椅子を倒して立ち上がる。

 俺の目を真剣に見つめて、


「アルト。屋敷で初めて【洗濯】をした日、私が言ったことを覚えているか?」


 言われた通り、その日のことを思い出す。

 確か、冒険者ギルドへ行って、【洗濯(ウォッシュ)】を使って血濡れた服を洗った。その能力が認められて、イスフィール家にお世話になっている。


「あの時、私は命令ではなくお願いしたんだ。イスフィール家に残って欲しいと」


 そうだ……俺はあの時、ウルクにお願いされた。

 行き場のない俺に手を差し伸べて、助けてくれた。


「お願いだアルト。私の前で嘘をつかないでくれ────」


 俺は……。

 俺は、何をやっているんだ。


 静かに、ウェンティの手を離した。

 そうだ、イスフィール家の人たちは誰も俺に命令しない。


 彼らから聞いた言葉を思い出せ。


『アルトよ、お陰で寝れるようになった。ありがとう』

『アルト様、レーモン様を助けて頂き、ありがとうございます』

『アルトさん、庭の手入れありがとうね』

 

 みんな、感謝してくれた。

 俺が勝手にやっていることもあるのに、きちんと伝えてくれた。


 そんな人たちの前で嘘をつけるのか?


 嫌だ。

 彼らの前でだけは……。


「ウェンティお嬢様、俺はルーベド家から追放された身。もうお嬢様の屋敷へ戻るつもりはございません。それと、金塊のことは知りませんでした」

「あ、アルト……? ……ねぇ、何言ってるの?」

「あら、意外とあっさり。わたくし的に、もう少し時間が掛かるものだと思っていたのですが」


 ウルクが俺の腕を引っ張り、ウェンティの前に立ちはだかった。


「ルーベド・ウェンティ。そういうことだ、この場は大人しく引け」

「……ふざけんじゃないわよ……ふざけんじゃないわよ!! なんで私だけこんな扱いなのよ!! アルト、あなたは私の執事なの! 死ぬまでずっと! 諦めないわよ!」

「あらあら、まだ金塊の山についてお話するのですか? アルト様へのプレゼントを横取りしたこと、どう説明してくださるのかしらねぇ?」


 ウェンティがくぅっ……と声を鳴らし、涙目になって踵を返す。

 答えられるはずもない。

 

 ウェンティが転んで、さらにスカートが破ける。さらに擦り傷を作って、走って行った。


「……やれやれ、ですね」


 俺は自然と呼吸ができていた。

 レアは紅茶を飲みながら、落ち付いた様子を崩さない。


 どんな状況であれ、冷静に対応して相手の痛い所を突く。

 それがレアなんだな、と思った。


「ウルクのお陰で目が覚めたよ。ありがとう」

「いや、アルトの辛さを分かっていなかった。すまない」

「いやいや! 話したって言っても、やっぱりどこか避けてたんだ」


 俺とウルクの二人だけの会話に対し、レアが半眼でつぶやく。


「ちょっと? 私よりもアルト様と楽し気に会話しないでいただけますか? 追い返したのはわたくし、なのですよ?」


 強調していくレアに対しても感謝の言葉を述べる。

 本当にこの二人には頭が上がらない。


 きっと、俺一人だったらノコノコ帰っていただろう。

 大丈夫だと思っていたのは、俺だけだったみたいだ。


 すると、一通の手紙を使用人が届けにくる。


「イスフィール・ウルク様。アルト様。速達でお手紙が届いております」

「……手紙? なんだ?」


 ウルクが受け取り、封を開けた。

 内容を読んだ後、表情が強張る。


「……アルト、今すぐ屋敷へ帰るぞ」

「どうした?」

「あの街……私たちの屋敷へ、暗黒バッタの大群が向かっているらしい」


 一週間後、大量の暗黒バッタがフィレンツェ街へ襲来することが書かれていた。

 

 

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