広がるクワカブ世界

第7話 沼にハマらせたな

「へえ~ そんな子が転校してきたんだね~」


 時刻は午後10時、能勢のせナツキの部屋にスマホ越しから女性の声が響き渡る。ベッドには部屋の主であるナツキが私服姿で座っている。


「うん、まさかクワカブに興味があるなんて思わなかったよ」


「で、その子も沼にハマらせたって訳か!」


「沼にハマらせたって… まあ、ゆくゆくはそうなる…のかな? ていうか、あんたこの前のタクミみたいな言うな…」


 ナツキはレイという女性──声からして同い年なのだろう──のからかいに少し困惑しながらもツッコミをいれる。


「まあ、それぐらいナツがすごいってことだよ~ よっ、さすがベテラン飼育者!」


「もう、 恥ずかしくなるだろ…」


 今、彼女が通話しているレイ──本名は阿古谷レイという──は中学2年からの友人である。友人といっても、クラスメートというものではなく、SNSで出会ったいわゆるネッ友というやつだ。彼女は木黒きくろ市の隣にある亜楽野あらくの市に住んでおり、地元の高校に通っている。


 二人とも大人気アニメ『ゴシック・ワルキューレ』(通称ゴスワル)の熱狂的なファンであり、今ではリアルイベントへ一緒に行くほどの仲になった。今日の会話も冒頭はゴスワル シーズン2の話題で盛り上がっていたところだ。


「そういえばさ、プラティオドンの産卵セットの調子はどう?」


 さっきからレイにイジられっぱなしのナツキは別の話題に変えようとする。


「うん、今のところ順調だよ。側面から卵3個見えてるから多分爆産」


「お~ 良かったじゃん」


 レイが言っていたプラティオドンとはクワガタの名前である。プラティオドンネブトクワガタというニューギニア島周辺に生息しているクワガタだ。


 実はレイもナツキと同じクワカブ飼育者である。彼女が中学3年のときにナツキの部屋に初めて遊びに来た際、部屋で飼っているクワガタを見て興味を持ったのだ。そしてナツキが色々話を聞いていくうちに沼にハマり、現在へと至る。


 当初、ナツキはレイを部屋に招くことを躊躇っていた。クワカブを飼っていることを知られたら嫌われると思っていたからだ。しかし、レイがどうしても行きたいとねだってきたので、彼女は腹をくくりレイを部屋へと招いた。ところが嫌われるどころか、クワカブにすごい興味を持ち、今では大切な飼育仲間となったのだ。


「あ、そうだナツ。今週末木黒そっちに行くことになったわ」


「週末なんかイベントあったっけ?」


「いや~ ちょっとタクミくんの店でマットを買いに。この前チチジマネブトのペアが羽化したからさ、それ用にいくつか買っておきたいの」


「なるほどね」


 レイが住んでいる亜楽野市には昆虫ショップは無い。そのため用品が切れたときは通販で調達しているのだが、たまに木黒市の川西クワガタセンターまで買いにくることもある。


「ねえ、そのときにさ、桑方さんも呼んできてもらえる? あたしも会ってみたいの!」


「まあ、別にいいけど…」


「サンキュ~ ナツ! っともうこんな時間か。じゃあ週末よろしくね~」


「うん、じゃあね。おやすみ~」


 ナツキは挨拶を済ますとボタンをタップし通話を終了した。


「さあて、風呂に入るか」


 彼女は風呂の準備をしながら週末のことを考えていた。久しぶりにレイがこの街にくること、そして新しい仲間と語り合えることを想像していると自然と笑みがこぼれる。


 ──週末、楽しみだな…


 準備を終え風呂場へと向かう。早く週末にならないか、そう思いながら彼女はこれから至福の一時を送ろうとしていた。

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