第4話 コイツは初心者向けだけど奥が深い虫
ナツキとハルはタクミが指差したコーナーへ視線を向けた。ポップにも書いてある通り、このコーナーは国産オオクワガタだけを置いている。棚の一段一段には様々な産地のオオクワガタが所狭しと置かれている。
「なるほど、オオクワか。タクミにしてはいいアイデアじゃん」
「お前は一体俺をなんだと思ってるんだ…」
「それにしてもいっぱい売ってるんだね~」
「ああ、オオクワはうちの看板商品の一つだからな」
ハルは棚に並んでいるケースを興味深く見渡していた。ケースに付いているラベルを見ると山梨県韮崎産、兵庫県阿古谷産、福岡県久留米産と詳細な産地が記載されていた。
「結構細かく書いてあるんだね」
「オオクワは産地によって微妙にフォルムが違ってくるんだよ。愛好家の中には気に入った産地のオオクワを中心に繁殖させてる人もいるしね」
オオクワガタは北は北海道、南は九州にかけて生息をしているクワガタだ。しかし、一筋にオオクワガタと言ってもみんな同じような形をしていない。産地によっては体つきや大顎の湾曲などが少しずつ違ってくる。
例えば本州のオオクワガタと九州のオオクワガタを見比べると、九州のものは本州のものより体型がスマートで大顎の湾曲も小さい。このような差異が現れるため、ナツキが説明したように愛好家の中には好みの体型が産出される産地のオオクワを中心に繁殖する人もいるほどだ。
ナツキはさらに説明を続けた。
「一番有名な産地は山梨の韮崎、大阪の能勢、兵庫の川西、九州の筑後川流域の4つ。最近は北海道や東北のやつも人気だな」
「色んな産地が人気なんだね~」
ハルはそう言うとまた棚を見渡した。その時、一匹のオオクワガタが彼女の目に入った。
「あの子、他の子と違ってハサミがとっても太いよ!」
視線の先にいたのは大顎が異様に太いオオクワガタだった。大きさは72ミリ、体つきは全体的に太く、まるで戦車を思わせるような風格である。その異様に太い大顎が漆黒に包まれた体をさらに際立たせていた。
「ん?どれどれ… ああ、そいつは極太血統だな」
「極太血統?」
「大顎が太くなる血統のことだな~」
タクミはそう言うとその極太血統のオオクワガタが入ったケースを取り出し、蓋を開けてハルに見せた
「血統ってことはハサミが太い子どもが生まれやすいってこと?」
「お!よく知ってるな~ コイツは長い間兄弟同士で掛け合わせているからかなりの確率で極太のやつが出てくるな」
「やっぱりそうなんだ~ 能勢さんが言ってた通りだね!」
そう言うとハルはふとケースに付いているラベルを見た。そこにはアラビア数字で32000と書かれていた。
「ひえっ… 32000円… 能勢さん、この子とても高いんだね…」
「まあ、極太血統だからね… こういう血統ものは結構高くなるんだよ」
「やっぱり初めは普通のやつがいいな。えっと… お、コイツなんてどうだ? 価格も手頃だし大きさも結構あるぞ」
タクミは極太血統のケースを元の場所に戻すと、その近くにあった別のオオクワガタが入ったケースを取り出した。その中にいたのは先ほどのやつよりも一回り小さい個体だった。
「あ…この子…」
ハルはふと見たラベルに書かれていた産地名を見て少し驚いた。産地の欄のところには黒い字で「三重県鈴鹿産」と印字されていた。
「鈴鹿って… 私の住んでた所と同じだ…」
「あれ、桑形さんって三重出身だったんだ。その産地のは親父が知り合いの人からよく仕入れてるんだ」
ハルはそのオオクワガタをじっと見つめた。相手は虫だが故郷から遠く離れた地で同郷の仲間を見つけたのだ。ハルは喜びが込み上げてくるのを感じた。そして彼女は一瞬でそのオオクワガタに一目惚れをした。
「ね、能勢さん!この子って飼いやすい?」
ハルは目を輝かせながらナツキに答えた。
「ああ、丈夫で日本の環境にも十分適応できるから初心者向けだね。冬眠もするから長い間飼育できるし繁殖も簡単。性格も大人しいから扱いやすいし、ペアリング時のメス殺しも少ない。オオクワの飼育はいわば
オオクワガタは丈夫で繁殖も簡単な種類だ。様々なクワガタの飼育書でもオオクワガタの飼育と繁殖が解説されているほどである。さらにオオクワガタの飼育と繁殖の技術は他のクワガタにも応用できるものが多い。つまりオオクワガタの飼育はクワガタ飼育の基礎そのものなのだ。
「コイツは初心者向けだけど奥が深い虫なんだ。コイツみたいに大顎が太い個体も作り出すことができるし、体長が大きくなる個体も作り出すことができる。好きな産地だけをとことん極めるも良し、体長を極めるも良し、大顎の太さを極めるも良し。オオクワ飼育の楽しみは無限大なんだぜ」
「お、良いこと言うじゃんタクミ」
「そりゃあ俺は昆虫ショップの長男なんだぜ。これくらいは言えないとな!」
タクミとナツキが話している間、ハルはじっとケースの中にいる同郷のオオクワガタを見ていた。それはまるで運命の人に出会ったかのようであった。その姿を見たナツキは少し優しい口調でハルに尋ねた。
「桑方さん、そのオオクワ気に入った?」
ナツキの言葉にハルは笑顔で頷いた。
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