⑩ぬいぐるみ店店長の災難と解決への一幕

 女帝直属の『狩人』は監督機関シャー・リーヴスより依頼を受け、スレッドニーダー・ストリート糸針通りにある、創業二百年の老舗ぬいぐるみ専門店へと訪れた。足もとの濡れた石畳の上には、一頭の子グマが座り、雨粒の数を数えている。

 今日も薄い雲が空を覆っていた。


 時刻は十七時──日の入りの頃、赤い路にいくつもの影が往来する。

 緑の樹脂系サイディングの壁が赤く染まり、ガラスの向こうに並ぶ大小さまざまなテディベアの目は、朱子の帳へ消えていく。


 背筋を伸ばした壮年の店長は一人と一匹を奥の応接間へと案内し、紅茶と共にバタークッキーを出していた。

 バラ柄の壁紙にシャンデリア、マロンブラウンのフローリング、ベージュの絨毯。老舗としてのプライドは洗練された内装にも現れている。


「十日前と三日前にピッキングによる不法侵入及び商品の窃盗。犯人は非常に俊足で、警察を使っても捕まえられなかったと」

 マホガニーのローテーブルに置かれた紅茶に、悔し気な店主の顔が映る。イーゴリは『狩人』という異名の通り害獣駆除が専門であって、此度の依頼は管轄外のつもりであった。かような彼の背を押した者が、今、赤いチェスターソファーに座る子グマのアーサリンである。


「私たちが来たからには大グマの背に乗ったつもりでいなさい! 貴方が渡してくれた情報から一発でしょっぴく策を用意したのよっ!」

 はじめは浮かぬ顔をした相方の尻に頭突きを食らわせ、春のチョウのような溌溂とした様で引き受けるよう促した次第である。


 毎朝己の素晴らしさに感動するかのような、実に自信に満ち溢れた子グマの様子。店主は却ってささやかな不安を抱いたが、彼らに頼んだ以上今日だけは多くを委ねる他ないと覚悟を決めた。


 イーゴリがアーサリンに目配せをし、早速作戦の実行に移った。犯人が来るのは深夜。一度に盗む数は大きなものを一つか、小さなものを三つ。ピッキング能力に長け、鍵を替えても開けてきたという。


「して、どのように捕まえるつもりでしょうか」

 店長は不安げに問う。するともふっとしたクマの両手が頬を包んだ。柔らかで暖かい手は、心の靄をぱらっと取り払ってくれる。


「作戦は単純明快。わたしがとっても魅力的なぬいぐるみになることよ。そしてわざと捕まったところにキッついハグをかましてやるわ!」

「……ハグ?」

「そう、ハグよ。抱きしめて離さないの。このわたしの愛らしさを前にしたらどんな悪人だってイチコロだものね」

 彼女は短い前足あるいは腕を開き、目を爛々と輝かせる。


 一方イーゴリが革製リュックから緑や赤の光沢が美しい──『美しい虫たちの光学』という本を取り出し、それを彼女に持たせて座らせた。全体の質感や分厚さなどから、小説が十冊以上買える値段であることに疑いはない。


「どう?」

 きゅるんっとした眼差しのクマが、高級感溢れる本を抱えて座っている。その様を眺めた店主は息を飲み、次いで大きく何度も首を縦に振った。


「ああ、とてもお似合いです。まさに絵本から抜け出した妖精のよう。犯人が引っ掛かるほど単純かは兎も角」

 凝視してくる彼女に気圧されながらも、店長は正直な感想を述べる。本物のテディベアのように愛らしいことは事実である。


 犯人の身なりは暗がりでしか見ていないため貧民かも分からないが、高いものだけ狙っているならば可能性はあるだろうと彼は語る。


 ならばものは試しという言葉に従い、アーサリンは早速綿の赤マントやチョウを模したサークレットを身に着けた。


 そしてあえて目立たない下の棚に身を潜め、本を抱えて座り込み、準備完了とガッツポーズをする。


 カーテンは閉まっているため、外から様子は伺えない。店長は子グマに運命を託しながら、狩人に促され奥の客間へと戻っていった。空になったポットに再び紅茶を淹れ、店長は気分を替えるように尋ねる。


「さっきの本、とてもきれいな表紙でしたね。棚にあるだけで部屋が輝きそうで、……虫、お好きなのですか?」

 無愛想な狩人は鉄面皮のまま紅茶を一口飲んで、答えた。


「同居人から借りてきた本だ。特殊な細工が施してあって、叩いたり日光を吸わせると光る性質があるらしい。卑しい犯人の目を惹くには丁度良い」

「え、まさか、そんな高そうなものを囮に?」

「だから一発でケリを付ける」

 淡々としていながら力強さを感じる声色だった。それからしばらく四方山話にくれ、残った紅茶を一気に呷ったときである。


 わずかなものだが、店の方から金属音が聞こえた。それから瞬く間に遠くなる足音。店長は子グマが気になって立ち上がったが、イーゴリは変わらぬ様子でソファに背を預けていた。


 犯人の動きはネズミのよう速い。瞬時にピッキングし、商品を盗んで逃げてしまう。しかし狩人は微動だにせず、紅茶を飲んでいた。


「大丈夫ですよね、彼女……」

「問題はない。今回はあいつ一人でできることだ」

 店主が緊張に包まれた頃、外から男の野太い悲鳴が聞こえた。夜中にネコの鳴き声を聞いたときような、肝がさっと冷える感覚が襲う。


「来たか」

 さっきまで寛いでいた狩人が立ち上がり、店長も慌てて後に続く。


 店に戻ると、夜空の下、開いた扉が寂しげに風に揺れていた。アーサリンがいた場所は以前もそうであったように、一個だけくり抜かれた石垣のように穴が空いている。


 そしてカーテンを開けてガラス越しに外を見ると、巨大なクマがニット帽の男に覆い被さり、動きを完封していた。周りには弾け飛んだマントが憐れなさまで地に伏している。


「なんだっ?! このデカいもふぐるみ! はーなーせぇ!!」

 彼女は異能の一つとして、幼獣から成獣へ変化することができる。人並みの知能を持つクマと言えば、その脅威は推して知るべし。


 悲鳴を聞いた集合住宅の住民が夜道、あるいは窓から一人と一匹に視線を遣ったが、変哲もない事件の一幕と分かるや去っていく。


「ふふふ、わたしの魅力に惹かれてしまったが最後! 大人しくお縄に付きなさい!」

 男は逃れようとするも、毛の柔らかさに力を奪われつつあった。やがて狩人は彼女に押さえてもらいながら犯人の四肢を麻縄で縛り付け、そのまま警察へと突き出した。


 かくして事件は無事に解決した次第である。


 その後の事情聴取によれば犯人はホームレスで、失業後、窃盗及び転売によって得た金銭で生活費を賄っていたという。


 光が強ければ影が濃くなるように、帝都は華やかな繁栄の裏に少なくない貧民を抱えている。

 しかしそれと法を犯すことは別である。


 せめて刑務所行きになった犯人が、カウンセリングと職業訓練を通して更生してくれること。


 それを祈りながら、店主は書店で見かけたあの美しい本の値段に目ン玉を飛び出させていた。






「ラヴォ。本は無傷で返すぞ」

 フラットへ帰ってきたイーゴリは、真っ先に若き友の部屋へ向かう。


 本の所有者であるラヴォは温室のミニチュアを作っていた。多彩なほこりが床に散らばっている。黒い防護服や肌にも、緑や黄の粉が付着している。


「うまくいってくれて何よりです」

 彼は振り返って呟き、布巾で手元の汚れを拭い取った。

 白皙のガラスが美しいドーム状の温室。手入れの届いた茂みに花壇──このミニチュアは植物園に飾られるという。追加の給料はあるのかと聞くと、彼は苦笑とともに肯いた。


「ガキのころからやってたのか?」

「はい。世界の解像度を上げるには良いだろうと、母がよく組み立て式のミニチュアを与えていました」

 虫は目視すら難しい部品でできた、緻密なカラクリであるという。イーゴリは本を棚に仕舞い、床掃除をしようかと尋ねた。いつもは隅まできれいな部屋であるが、今はミニチュアの残骸などで埃っぽい。


「うーん、あとで頼みましょうか」

「分かった。終わったら伝えに来てくれ。……ああ、茶や菓子は?」

「それも後にします」

 ラヴォは断ったが、部屋には水分取った形跡がない。


「そうか。茶だけは持っていくからな」

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