第四章:運命の人

第零話

 あなたは私の運命の人だから。





 初めてアデルナがイザークを見かけたのは路上。


 毎日がつまらなく鬱屈うっくつとしていたアデルナが暇潰しに馬車から外を眺めていれば、その獣は路上にいた。

 その時アデルナは七歳だった。


 茫然として立ち尽くす様がなんとも頼りなく見えて手を差し伸べてしまった。

 名前はイザーク。アデルナより三歳年上の少年だった。


 聞けば両親を病で亡くし行く当てもないという。父親の中東系の血による黒髪と黄金の瞳、その黒豹のような異国の風貌がアデルナの目を惹きつけた。

 この獣を飼いたい。自分の側におきたい。父にアデルナの従者として雇うように願い出た。


 公爵家に来たての頃は不安なのかアデルナに自ら進んでついてきた。下がっていいというとなんとも心細そうな目をする。それがアデルナの琴線きんせんに触れた。手を差し出せば、獣は震えながらその手を取った。


 つまらない日々に思いもかけず手に入った愛らしい獣。常に側にいようとするその姿がいじらしく、アデルナはイザークを好んで側に置いた。



 時がたてば公爵家に慣れ不安がる様子はもうみられない。けれどそっとアデルナに寄り添うように背後に控える姿があの頃の怯えた獣を思い起こさせた。


 だがイザークに厄介な様子が見られた。アデルナの側にいるために理由を欲しがったのだ。

 ただ側にいればいい、そんなもの必要ないのに。だが甘やかしたくて理由を与えた。


 アデルナが命令するから。

 わがままをいうから。

 だからイザークは側にいなければならない。


 そうするとイザークは不平のような言い訳を言ってついてくる。

 こんな些細な言い訳で懐いてくる。なんとも可愛らしいじゃないか。


 朝は一番に顔を見たい。だから寝坊は許さない。アデルナが何度か部屋に突撃すれば寝坊は無くなった。部屋に行けなくなって少し残念だが仕方がない。そうしてアデルナは側で少しずつ成長する獣を愛でていた。



 この獣をもっと愛でるためには公爵家の束縛が邪魔だった。

 公爵令嬢では少年を抱きしめることも、存分に撫でて甘やかすことも、枷をはめて己のものにして閉じ込めることもできない。

 ならば爵位を捨ててしまおう。それほどの執着もない。家を出ても家族には会いに来ればいい。


 八歳の時に大好きな兄者にそう言うと、好きにしろと困ったように笑って応援してくれた。

 お前も相当拗らせているな、と言われた。自覚はある。でもそれも仕方ない。



 まずは独学で磨いてきた魔導をさらに極める。そして手に職をつけるべく魔導学校に入る。

 どうせなら獣も自分好みに育てよう。強い男。優しくて強情で、でも自分には従順にかしずく騎士がいい。ならば騎士学校か。

 今までアデルナの相手をさせていたため相当に剣は強くなっている。もう少し鍛えれば騎士学校も問題ないだろう。


 自分がこの少年を強く自分好みに育てる。それはとてもたのしいことだった。




 アデルナはそれから四年の間、剣術と魔術を鍛錬し国立魔導学校の特待生試験に合格した。

 同じくイザークの騎士学校入学も決まった。魔導学校の後に騎士学校に入りイザークと同級生になる野望をアデルナは捨てていない。兄者に相談すれば、二年ずつ通えばいいと言われた。

 父に十六になったら魔術学校に行くように言われたため猶予は四年。そのため魔導学校を二年で、騎士学校を二年で卒業する。

 ああ、なるほどと思った。将来冒険者登録する時にも箔になるだろう。


 だからイザークにも二年飛び級するよう命じた。最初の二年は死ぬ気で勉強するだろう。その後に編入すれば在学生活を共に満喫できる。ちょうどいい。



 騎士学校に編入し二年ぶりにまみえた十七歳のイザークの姿にアデルナは存外ときめいていた。

 獣は少し見ない間にしなやかに美しく逞しくなっていた。それは蝶の羽化を思わせた。そして文句を言いながら騎士のようにアデルナに傅く。


 その姿を見たアデルナの愉悦が止まらなかった。

 

 アデルナは獣に近づくものを誰であろうと許さなかった。いさかいがあれば全て叩き潰した。公爵家の威厳もかざしてみせた。アデルナの執着がイザークを囲い込もうとしていた。

 そうしてイザークに嫌がらせをするものはいなくなった。




 騎士学校を卒業し、アデルナは魔術学校に通わされた。

 イザークには執事服を着させた。色々と着させたがこれが一番似合うと思ったから。異国の風貌で執事服で姫と呼ばれればゾクゾクした。


 自分もこの男にこれほどに骨抜きにされている。その事実に陶然とした笑みが溢れた。



 偽装婚約のおかげで在学中は令息達と面倒くさいことにはならなかった。だが今度は婚約自体が邪魔になってきた。

 なぜかイザークはやたらとアデルナの婚約を気にしていた。虫除けに結んだ偽装婚約だがこの獣に誤解させたくない。王太子と婚約したまま駆け落ちしては捜索隊も出てしまう。

 婚約破棄したいと思っていたところ、ルートヴィヒからも破棄したいと言ってきたので即応じた。話が早い兄弟子でよかった。


 だが宰相から邪魔が入る。どうしてもアデルナを王太子妃にしたいらしい。ならば華々しく婚約破棄をしてやろう。そうして一芝居打ってやった。ちょっと悪ノリしてしまったが。もちろん自分の愛人役はイザークだ。


 この日のために思いきりめかしこませた。黒い生地のドレススーツをしなやかに着こなした獣は黒豹のようで、輝く黄金の瞳にアデルナは魅入られてしまった。


 堪えきれず人差し指で顎を撫でてやれば、獣は目を瞠り困ったように視線を逸らした。その様子がまたアデルナの心をほの暗く逆撫でた。



 あとはこの獣と共に外に出るだけ。

 だのにこの男は共に行くことに逆らった。アデルナの命に逆らったのは初めてのことだ。


 あともう少しなのに。もう少しでこの獣を思いきり愛でることができるのに。苛立って勝手にすればいいと言ってしまった。

 一人で公爵家を出ても意味がない。あの獣と一緒でなければ全然意味がないのだ。


 あの獣を想い初めて涙が溢れた。これが心細いということなのか。ずっと側にいてくれたからこんな気持ちを感じたこともなかった。


 涙を拭い来てくれると信じ、陽動を施し身を隠す。果たして獣はアデルナを見つけた。

 イザークは昔からアデルナがどこに隠れても必ず見つけ出した。まるで見えない糸で繋がっているように。その糸がアデルナの心に希望をもたらした。


 震える手を差し出せば、獣は頬を朱に染めてアデルナの手を取った。


 ああ、やはり愛おしい。優しい獣。


 感極まって、抱き上げられた時に思わず首に手を回してしまった。誤魔化すためにすぐ首を絞めてしまったのは仕方がない。

 姫が育ててくれるのでしょう?そう言われればここまで育てた獣がいっそう愛おしくて胸が締めつけられる。その鼻に口付ければ驚くほど狼狽えてみせた。


 そうやってまだ誰にも見せたことがない顔を私だけに見せて欲しい。

 イザークの差し出された手に導かれ、アデルナはその手を強く握った。



 兄者や使用人達は気を利かせて外の探索に出るふりをしてくれた。きっとこの後公爵家は紛糾する。それを兄者に押し付けてしまい申し訳ないと思った。せめて自分はこの獣と幸せになっていつか怒られに戻ろう。

 アデルナを案じてかイザークがアデルナの肩を抱いた。そんなイザークの胸に寄りかかる。こんなことも今まで出来なかったから嬉しくて胸が熱くなる。


 多分もう、私はこの男に狂わされているんだ。



 アデルナから獣を抱きしめたい。たくさん甘やかして自分だけの檻に閉じ込めたい。


 でも一方でこうも思う。


 この無自覚な獣を追いつめてアデルナを抱きしめさせたい。ここまでアデルナを狂わせたのだ。らしてがして狂わせて、そして獣をひざまずかせ泣きながら愛を乞わせたい。


 どうすればいいだろうか。それを考えるのはとても甘露でたのしいことだろう。アデルナはうっそりと笑った。


 アデルナは傍に立ち自分を見つめる獣を恍惚こうこつと見上げた。




 一緒にいるのは優しいだけじゃなく偉大な獣

 あなたは私の運命の人

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