Halloween Night

九戸政景

Halloween Night

「はあ……」


 その日、僕は自分の部屋のベッドに横になりながら小さくため息をついていた。理由は簡単。今日がせっかくのハロウィンだというのに、前日に風邪をひいてしまったからだ。


「……今頃、クラスのみんなはハロウィンパーティを楽しんでるんだろうなぁ……」


 クラスのみんなが楽しそうにはしゃぎながらハロウィンパーティをしている。そんな光景を想像して憂鬱さからもう一度ため息をついていたその時、横になる僕の上で眠っていた黒猫のウィンが静かに頭を上げ、僕の事を不思議そうに見つめ始めた。


「あ、ごめん。起こしちゃったね」


 ウィンに対して頭を下げながら謝ると、ウィンはまるで気にしないでと言うかのように小さく鳴き声をあげる。

ウィンは去年のハロウィンの日に僕が拾ってきた雌の仔猫で、その人懐っこい性格でその日の内にお父さん達の事をメロメロにしてしまったため、それを見て安堵しながらも色々考えていた説得の言葉が無駄になってしまった事を残念に思ったのを今でも覚えている。

因みに、ウィンというのはハロウィンの日に拾ってきたからという事で僕がつけた名前だったりする。


「ウィン……なんでこんな日に限って風邪をひいちゃったんだろうね……」

「…………」

「……なんて、ウィンに訊いてもわからないよね。はあ……風邪さえ治ればハロウィンパーティに行けないまでも少し外に出る事くらいは出来るのになぁ……」


 今日何度目になるかわからないため息をついたその時だった。


「……それじゃあ、その風邪を治してあげようか?」


 そんな女の子の声が聞こえ、僕は部屋の中をキョロキョロと見回す。


「え……今のは、誰……?」

「私だよ、私」

「私って……え!?」


 声の主の正体を知って僕が驚いていると、声の主であるウィンは僕を見ながら後ろ足でゆっくりと立った。


「よいしょっと……ふう、ここ最近二本足で立ってなかったから、ちょっと難しく感じるね」

「ウィン……君、人間の言葉で話せるの?」

「うん。だって私、元々は人間だもん」

「元々は人間……?」

「そう。私、実はこう見えてもある魔女の弟子なんだよ」


 ウィンは自慢げに胸を張っていたけれど、すぐに哀しそうにシュンとする。


「……でもある日、お師匠様が作った魔法薬をこっそり飲んでみたらこの姿に変わっちゃって、飲んだ事がバレたら怒られると思って逃げちゃったんだ……」「それで、どうしたら良いかわからないまま街中を歩いていたら、ちょうど電信柱のところにあった箱を見つけて、その中に入ってたんだね?」

「そう。本当ならすぐに秋夜君に事情を話すべきだったんだけど、中々話せなくて今日になっちゃった」

「そっか……そういえば、ウィンの本当の名前って何て言うの?」

「名前? 私の本名はウェンディ・リリーっていうんだ。だから、少し似てるウィンって名前をつけてもらった時、ちょっとビックリしちゃった」

「あはは、そうだろうね──ん? って事は……僕、猫と一緒にお風呂に入っていたつもりだったけど、実は人間の女の子と一緒にお風呂に入ってたって事!?」


 その事実を知って、急に恥ずかしさを感じていると、ウィンはなんて事無い様子で僕に身体を擦り付けてくる。


「たしかにそういう事になるけど、私は特に気にしてないよ?」

「僕は気にするよ──ゴホッゴホッ!」

「ほらほら、大声を出さないの」

「誰のせいだと……」

「あはは、まあね。さて、それじゃあ早速風邪を治してあげよう」

「さっきも言ってたけど、そんな事が本当に出来るの?」


 ウィンの言葉を疑うわけじゃないけれど、正直そんなに簡単に風邪が治るとは思えないんだよね……。


 そんな事を考えていると、ウィンはまた自慢げに胸を張った。


「お師匠様から私は何かを癒す魔法ならもう一人前だって太鼓判を押されてるんだ。だから、風邪みたいな病気以外に骨折や火傷みたいな肉体的な物、トラウマのような精神的な物まで癒せるんだよ」

「それって本当にスゴいんじゃ……」

「うん、自分で言うのもあれだけど本当にスゴいよ。でも、お師匠様みたいに炎や水を出したり、魔法薬を調合したりするのは出来ないんだけどね。さて……それじゃあささっと風邪を治しちゃうね」


 そう言うと、ウィンは静かに目を瞑り、前足を僕に翳しながら呪文のような物をぶつぶつと唱え出す。すると、感じていた怠さや暑さが徐々に無くなっていき、ウィンが唱え終わって目を開ける頃には、まるで最初からそんな物が無かったかのように体がすっかり楽になっていた。


「スゴい……! もうすっかり元気だよ!」

「ふふん、これが私の実力だよ」

「うん、スゴいよ、ウィ──あ、ウェンディって呼んだ方が良いかな?」

「それはお好きにどうぞ」

「それじゃあ、人間の姿に戻れたらその時はウェンディ、猫の姿の時はウィンって呼ぶね」

「わかった。さてと……風邪も治った事だし、秋夜君もハロウィンパーティに行ってみる?」


 そのウィンからの問いかけに一瞬考えたものの、僕は静かに首を横に振る。


「止めとくよ。それよりも行かないといけない場所があるからね」

「行かないといけない場所?」

「君のお師匠様のところ。流石に遠くではないんでしょ?」

「あ、うん……それどころか結構近くだよ?」

「そうなんだ。それなら、尚更行かないと。お師匠様、絶対にウィンの事を心配してるよ?」

「そうだけど……あれから一年も経っちゃったから、今更会いづらいというか……」

「ウィン……」


 ウィンの本当に気が進まなそうな姿を見て、僕は無理に会わせなくても良いんじゃないかと思った。けれど、すぐにその考えを頭から追い払い、ウィンの肩に手を置きながら話し掛けた。


「大丈夫、ウィンが会いに行ったらお師匠様もきっと喜ぶよ。それに、ウィンだってこのまま会わないわけにはいかないと思ってるでしょ?」

「それは……」

「たしかに魔法薬を勝手に飲んだ事は怒られると思う。でも、それ以上にお師匠様はウィンの事を心配してるはず。だったら、会いに行って安心させてあげないと」

「秋夜君……うん、そうだよね。このままじゃいけないもんね」


 ウィンは覚悟を決めた様子で言うと、ベッドの上からヒラリと飛び降り、静かに床に着地した。そして、僕の事を振り返ると、ウィンはペコリと頭を下げる。


「秋夜君。私、お師匠様に会いに行くよ。だから、一緒についてきてくれる……かな?」

「うん、もちろん。僕だって風邪を治してもらったお礼がしたいからね」

「……ありがとう。よし……それじゃあ早速行こっか」

「うん。あ、でも……お父さんとお母さんには何て言おう……」

「あー……それなら、大丈夫。秋夜君、ちょっとベッドから出てくれるかな?」

「え? う、うん……」


 僕がベッドから出ると、ウィンはまた呪文を唱えだす。すると、ベッドの上に突然もやのような物が現れ、それは毛布の下に入り込みながら徐々に人の形になっていき、最後には僕そっくりの男の子がそこにいた。


「え……ぼ、僕!?」

「正確には、秋夜君の姿をした魔力の塊かな。今の魔法は自分の魔力を外に出しながらそれを頭の中に思い描いた形にする物だからね」

「な、なるほど……でも、お話は出来るの?」

「出来るよ。ね?」


 すると、魔力で出来た僕はにこりと笑いながらこくりと頷く。


「大丈夫。本物の僕が帰ってくるまではしっかりと風邪っぴきの僕を演じるから、本物の僕は安心してお出掛けしてきてよ」

「あ、うん……わかった。ありがとうね」

「どういたしまして。さあさあ、早く行って。早くしないとお母さん達が様子を見に来ちゃうよ」

「それもそうだね」


 返事をした後、僕は外に出るために暖かい服装に着替えたり、こっそり玄関から靴を取ってきたりした。そして、準備を終えた後、僕はある事を思い出し、それを訊くためにウィンに話し掛けた。


「そういえば、どうやって外に出るの?」

「ああ、そこの窓からだよ。私、空を飛ぶ魔法も使えるからね」

「何でも癒せて魔力を形にも出来る上に空まで飛べるなんて……ウィンは本当にスゴいんだね」

「ふふ、まあね♪ さてと、それじゃあ窓を開けてくれるかな?」

「うん──はい、開けたよ」

「ありがとう。それじゃあ早速お師匠様のところへ出発しようか。秋夜君、私を抱き抱えた後、窓からそのまま飛び出してくれるかな?」

「……え? 今からふわふわと浮いてそのまま外に出るんじゃないの?」


 その疑問に対してウィンは首を横に振る。


「それでも良いけど、飛び出してから飛ぶ方が物語の中の登場人物みたいな気分を味わえるでしょ?」

「そうかなぁ……」

「そうだよ。さあさあ、早く私を抱き抱えて」

「う、うん……」


 そして、ウィンを抱き抱えた後、僕はベッドに上ってから窓の桟に足を掛け、僕達を暖かい目で見守る魔力で出来た僕に声を掛けた。


「それじゃあ行ってくるね」

「行ってきまーす」

「うん、行ってらっしゃい。気をつけて行ってきてね」

「うん」


 魔力で出来た僕に対して手を振った後、僕は深呼吸をして気持ちを整えてから目を瞑りながら外に飛び出した。けれど、いくら待っても落ちていくような感覚は無く、恐る恐る目を開けてみると、まるで見えない足場でもあるかのように僕の体は宙に浮いていた。


「うわぁ……! す、すごい……!」

「ふふ、でしょ? でもまずは、手に持ってる靴を履いちゃいなよ」

「あ、うん。ところで……このまま飛んでいったら騒ぎになるんじゃない?」

「ああ、それなら大丈夫。飛行魔法を唱える前に魔力の素養が無い人には見えなくなる魔法も掛けておいたから」

「あ、なるほど」

「さて、安心したところでそろそろ行くよ」

「うんっ!」


 そして、僕はウィンの道案内に従って夜の街を飛び始めた。眼下に広がるハロウィン仕様の夜の街は、オレンジ色のイルミネーションなどがとても綺麗で、その綺麗さに僕は目を奪われていた。


「すごい……空を飛べるとこんなにも綺麗な景色が見られるんだね」

「うん、そうだ──って、あれは……!」

「ん? 何か見つけたの?」

「うん……間違いない、あれはお師匠様の使い魔だ!」

「え、どこ?」

「ほら、あそこだよ」


 ウィンが前足で指す方を見ると、そこにはカボチャで出来たランタンを手に持ちながらふらふらと街中を進むマント姿のカボチャ頭のお化けがいた。


「あれは……もしかして、ジャック・オー・ランタン?」

「うん、そうだよ。ジャックはさっき作った秋夜君みたいに魔力で出来ていて、色々なお使いをするために作られたんだ。なんで、今外をぶらついているかはわからないけどね」

「そっか」

「よし、せっかくだからジャックに声をかけてみよう」

「声をかけるって……ここからの声って聞こえるの?」

「ジャックは結構耳は良いから。という事で……おーい、ジャックー!」


 ウィンがジャックに呼び掛けると、ジャックは僕達に視線を向け、ふよふよと浮き上がりながら僕らに近づいてくる。そして、目の前で止まると、ウィンを見ながら不思議そうに首を傾げた。


「その声……まさか、ウェンディか?」

「そうだよ。久しぶりだね、ジャック」

「そうだな。それで、その人間は誰だ?」

「彼は神在じんざい秋夜あきや君。私の飼い主だよ」

「は、初めまして……!」

「……ジャックだ。さて、ようやくお前を見つけられた事だ。早速主の元へ連れていくとしよう。お前を見つける事、それが俺の仕事だからな」


 そう言うと、ジャックは僕達に背を向けてそのまま進み出し、僕達はその後に続いた。そして、しばらく進む事数分、一軒の家が見え始めると、ウィンは少し表情を強張らせながら僕に話し掛けてくる。


「……あれが私のお師匠様のお家だよ」

「へえー……一般的な魔女のお家のイメージとは違って普通の家なんだね」

「……そう見えるだろうが、あの家には地下室があり、そこには魔法薬を作るための大鍋や様々な材料がある」

「魔法薬……」


 その言葉を聞いてウィンがとても不安そうな顔をする中、僕はウィンを抱き抱えたまま優しく声を掛ける。


「大丈夫。さっき、ジャックはウィンを見つけるのが自分の仕事だって言ってたし、お師匠様だってウィンに会いたいからジャックにその仕事を頼んだんだよ。そうなんだよね、ジャック?」

「……そうだ。主は去年突然姿を消したウェンディの捜索を俺に命じ、俺はそれに従ってウェンディを捜し続けた。その結果、こうして見つかったわけだが……まさか人間の飼い猫になっていたとはな……」

「……ねえ、お師匠様は怒ってた……?」

「……いや、とても心配していた。お前が事故に遭っていないかや悪人に拐われていないかなど様々な事を考えていた」

「そう……だったんだ……」


 ジャックの言葉を聞いてウィンの顔に少しだけ笑みが浮かんだ頃、僕達は玄関の前に静かに降り立った。そして、ドアを前にしてウィンが少し緊張した顔になる中、ジャックは僕達の方を向く事無く声をかけてきた。


「さて……入るぞ」

「う、うん……」

「な、なんだか僕まで緊張してきちゃった……」

「安心しろ、主は子供には優しい。普段から仕事でお前くらいの子供と接しているようだからな」

「そ、そうなんだ」

「ああ。では、入るぞ」


 その言葉に揃って頷いた後、僕達は家のドアをコンコンとノックした。そして、ガチャリという音を立てながらドアが開いたその時、姿を見せた黒いローブ姿の金髪のポニーテールの女の人の顔を見て、僕は思わず驚いた声を上げてしまった。


 う、嘘でしょ……ウィンのお師匠様の魔女って──。


「ニ、ニーナ先生だったんですか……!?」

「ふふ……こんばんは、神在君。そして、その腕の中にいるのは、ウェンディよね?」

「は、はい……お久しぶりです、お師匠様……」

「そうね……あなたが突然姿を消してから今日でちょうど一年だもの。でも、まさかそんな可愛らしい姿になって戻ってくるとはね」

「あ、あの……お師匠様……」

「ウェンディ」

「は、はい……!」


 ニーナ先生に名前を呼ばれてウィンが少し大きな声で返事をすると、ニーナ先生はそんなウィンの事を見ながらとても安心した様子でにこりと笑う。


「おかえりなさい」

「お師匠様……! はい、ただいま戻りました……!」

「ええ。神在君もありがとう。ウェンディの事をお世話してくれていたのよね?」

「は、はい。でも……まさかニーナ先生が実は魔女で、ウィン──ウェンディのお師匠様だったなんて……」

「ふふ、私達は普段から魔女という事を隠して過ごしているからね。知らないのも無理はないわ」

「魔女という事を隠す……」

「そう。魔女である事を隠さないと、気味悪がったり私利私欲のために利用したりする人も出てくるから仕方がないのよ」


 そう言うニーナ先生の顔はどこか哀しそうで、ニーナ先生がこれまで色々な目に遭ってきたという事が、雰囲気からも伝わってきた。


 魔女である事も色々大変なんだな……。


 そんな感想を抱いた後、僕は腕の中にいるウィンを見ながらニーナ先生に話し掛ける。


「ニーナ先生。ウェンディが魔法薬を勝手に飲んでしまった件なんですけど……」

「……そうね。それに関しては、しっかりとしないといけないわね」


 ニーナ先生が真剣な顔をしながらウィンに視線を向けると、ウィンはビクビクとしながらもニーナ先生と目を合わせる。そして、ニーナ先生はそのままウィンに顔を近づけながら静かな声で話し掛けた。


「ウェンディ。魔法薬を勝手に飲んだのはどうして?」

「……飲んだらどうなるかなっていう好奇心からだったんです。でも、飲んでこの姿に変わった後、勝手に飲んだ事がバレたら怒られると思って、思わず逃げてしまったんです……」

「はあ……それなら、私に訊いてくれれば良かったのに……」

「はい……お師匠様、本当に申し訳ありませんでした……」

「ニーナ先生、僕からも謝ります。ウェンディが魔法薬を勝手に飲んでしまって本当にすみませんでした」


 ウィンと一緒に頭を下げて謝ると、頭上からニーナ先生の小さなため息が聞こえると同時に頭に手が優しく置かれた。


「ニーナ先生……」

「……どうやら、本気で反省してるみたいだし、この件はもう良い事にするわ。魔法薬をウェンディの目につくところに置いていた私にも落ち度はあるものね」

「お師匠様……ありがとうございます……!」

「ありがとうございます、ニーナ先生」

「どういたしまして。さてと、それじゃあそろそろウェンディを元の姿に戻してあげましょうか。神在君、一度ウェンディを離してあげてもらっても良いかしら?」

「あ、はい」


 僕がウィンの事を地面に下ろすと、ニーナ先生は目を瞑りながら呪文をぶつぶつと唱えだし、それと同時にウィンの身体は白い光に包まれ出した。

そして、ウィンの身体は徐々に猫の形から人の形へ変わっていき、白い光が消えると、そこには黒いワンピース姿の金髪のショートカットの女の子が立っていた。


「はい、戻ったわよ。ウェンディ、久し振りの人間の姿はどう?」

「あ、はい……一年間猫の姿でいたせいか少しだけ違和感がありますけど、なんとか大丈夫そうです」

「それならよかったわ。ところで、ウェンディ。ちょっと耳を貸してもらっても良い?」

「はい……?」


 ウィンは少し不思議そうにしながらニーナ先生の口に耳を近づけると、ニーナ先生はいたずらっ子のような笑みを浮かべながら小さな声でウィンに何事か耳打ちをした。


「──どう? やれそうかしら?」

「……わかりました、やってみます」


 そう言うと、ウィンは真剣な顔をしながら小さな声で何かを唱え出した。すると、ウィンの身体は再び白い光に包まれ出し、それと同時に人間の姿から猫の姿へと変わっていき、白い光が消えると、ウィンはまた黒猫の姿に変わっていた。


「……よし、成功ね。やっぱり、一度姿が変わっているせいかイメージはしやすかったようね」

「……ニーナ先生。もしかしてさっき耳打ちしていたのは……」

「ええ。人間の姿から動物の姿に、動物の姿から人間の姿に変わる魔法よ。ウェンディは私の弟子でもあるけど、今は神在君の家の飼い猫でもあるでしょう? だから、この魔法を教えたのよ。好きな時に猫の姿と人間の姿に変われるように」

「ニーナ先生……」

「神在君。ウェンディ──ウィンをこれからもよろしくね?」

「はい!」


 ニーナ先生の言葉に大きな声で答えると、ニーナ先生は軽く空を見上げてからにこりと笑った。


「さあ、そろそろ帰った方が良いわ。たぶん、魔法で身代わりを用意してきたんでしょうけど、身代わりもそろそろ限界でしょうから」

「わかりました。ニーナ先生、おやすみなさい」

「お師匠様、おやすみなさい」

「ええ。おやすみなさい、二人とも。それじゃあジャック、二人の事をお家まで送ってあげて」

「承知した」


 そして、ウィンの魔法でふわりと宙に浮いた後、僕達はもう一度ニーナ先生にお別れを言い、ジャックを先頭にしながら僕達の家に向かって飛び始めた。


「それにしても……まさかニーナ先生が魔女だったなんてビックリだよ」

「あはは、そうだろうね。でも、私からすればお師匠様が秋夜君の学校の先生だった事が驚きだよ。てっきり、名前だけ同じ人だと思ってたもん」

「そうだろうね……まあ、ニーナ先生に許してもらえて本当に良かったね、ウィン」

「うん。秋夜君、一緒に謝ってくれて本当にありがとう。とっても頼もしかったし、嬉しかったよ」

「どういたしまして。でも、これからはこっそり飲むとかは止めるんだよ?」

「はーい。それと……ジャックも私の事を捜してくれてありがとうね」

「……礼には及ばん。主からの命令でもあるが、お前の事は大切な仲間だと思っているからな」

「ジャック……うん、ありがとう」


 ウィンがジャックにお礼を言い、それに対してジャックが静かに頷くのを見て、クスリと笑った後、僕達は綺麗な夜空の下を色々な話をしながら飛んでいった。





「さてと、今日はこれで終わりです。みんな、気をつけて帰ってね」

『はーい』


 翌日、帰りの会のニーナ先生の言葉に全員で揃って返事をした後、みんなは近くの友達と話をしたり、帰り始めたりと思い思いの行動を取り始めた。


 さて……今日もウィンと遊びたいし、そろそろ帰ろうかな。


 ウィンの事を考えながらランドセルを背負っていたその時だった。


「神在君、ちょっと良いかしら?」


 ニーナ先生が真剣な顔で僕に話しかけてきたのに疑問を抱きながら僕はニーナ先生のところへ向かう。


「ニーナ先生、何かご用ですか?」

「用事というか……ウェンディの事でちょっと話したい事があってね」

「ウィンの事で……」

「そう。あの子を預かってもらってる神在君には話しておかないといけないもの」

「……わかりました」

「ありがとう。それじゃあちょっと屋上まで一緒に来てもらえるかしら?」

「はい」


 頷きながら答えた後、僕はニーナ先生と一緒に屋上へと向かった。そして屋上に着くと、ニーナ先生は周りを注意深く見回し始める。


「……誰もいないみたいね」

「そうですね。それで、ウィンの事で話さないといけない事ってなんですか?」

「……神在君、神在君から見たあの子ってどんな子?」

「僕から見たウィン……とても人懐っこくて明るい子だと思います。ただ、ちょっといたずら好きで、そのいたずらに困らされた時はありますけど、それと同じだけ元気付けられた時もあるので、ウィンと会えたのは本当に良かったと思っています」

「……そう」

「でも、それが一体……?」


 すると、ニーナ先生は少しだけ哀しそうな顔をしながらそれに答える。


「……実はね、私が初めてあの子と会った時、あの子はとても引っ込み思案で、自分から誰かに話し掛ける事すら全然出来ない子だったのよ」

「え、そうなんですか……?」

「ええ。私のところに来る前、あの子は両親と家を火事で失って私の故郷の孤児院にいたんだけれど、その孤児院にいた他の子から酷い目に遭わされていたみたいで、それがきっかけで自分から誰かに話し掛けたりも出来なくて、誰かが動く度にビクッと身体を震わせて怯える程だったのよ」

「そんな事が……」

「それで、その孤児院の先生と私が知り合いだった事がきっかけで、私がウェンディを引き取って、今では神在君も知っているあの子になったの。

だけど、今でもその頃の夢を見るようで恐怖から眠りながら涙を流しているところや魘されているところを何度も見た事があるわ」

「……そういえば、夏とかでもいつの間にか布団に入ってきていた時があって、暑くないのかなと思いながら不思議に感じていた時があったんですけど、そんな理由があったんですね……」


 一年しかまだ一緒にいない上、話が出来るようになったのが昨日からとはいえ、ウィンのそういうところに気付けなかったのは、やっぱり悔しいな……。


 ウィンの気持ちに気付けなかった事に悔しさを感じていると、ニーナ先生はそんな僕の様子を見てクスリと笑う。


「悔しいと思うのはわかるわ。でも、今必要なのは悔しがる事じゃなく……」

「……ウィンの事をもっと知る事、ですよね?」

「その通り。ウェンディはそんなにも君の事を信頼し、大切に想ってる。だから、神在君もあの子の事をこれからも大切にしてあげて。そしていつか、あの子の中にある悪夢を無くしてあげてほしい。それは貴方にしか出来ない事だから」

「僕にしか……」

「そうよ。君は私達が使えるような魔法は使えない。けれど、貴方の優しい性格と雰囲気は私の怒りを恐れるあの子に心からの安らぎを与え、あそこまでの信頼を勝ち取った。そして、再び私と会う事を決意させる事にも成功した。私から見たらそれこそ魔法みたいな物よ」

「ニーナ先生……」

「だから、貴方のその優しさは決して失くさないようにしてほしいの。それは様々な人の力になり、今回のように一夜にして色々な人の絆を結び直せる程の力を持つ貴方だけの魔法だから」


 ニーナ先生が優しく微笑みながら言った後、僕は静かに頷く。


「わかりました」

「うん、ありがとう。まあ、私の見立てでは神在君も魔法を使うための素質はあるみたいだから、貴方が望むならその中で眠る魔力を呼び起こした上で私の知る魔法を色々教えても良いわ。そうしたらあの子も仲間が増えたと言って喜びそうだしね」

「そうですね。それに、魔法を使いながらウィンと過ごすのも楽しそうですし、僕も使えるなら魔法を使えるようになりたいです」

「わかったわ。それじゃあ、それについてはまた今度お話しする事にして、今日のところはこれで終わりね。神在君、気をつけて帰ってね」

「はい。ニーナ先生、さようなら」

「はい、さようなら」


 手を振りながらニーナ先生と別れ、屋上を出てそのまま昇降口へ向かうと、校門のところに誰かがいるのが見えた。


「あれ……誰だろ──って、あれは……!」


 僕はその正体がわかるや否やすぐに校門へと向かう。そして、道行く人達や下校していく生徒達からチラチラと見られながらものんびりとした様子で立つその人に僕は声をかけた。


「ウェンディ!」

「……あ、お疲れ様。今日の学校はどうだった?」

「うん、いつも通り楽しかったけど……って、そうじゃなくて! どうしてその姿なの?」

「あはは……まあ、それについては歩きながら話そうかな。という事で、早く帰ろ?」

「う、うん……」


 ウィンが昨日と同じ人間の姿でここにいる事に疑問を抱きながらも頷いた後、僕達はウェンディに目を惹かれる生徒やその隣を歩く僕への冷たい視線を感じながらゆっくりと歩き始めた。


「んー……久しぶりに人間の姿で外を歩いてるから、少し新鮮な気持ちかな」

「そうかもしれないね。それで、どうしてその姿で学校まで来てたの?」

「実はね……秋夜君が帰ってくるまで少し暇だったから、久しぶりに魔法の練習をしてたんだ。それで、猫の姿から人間の姿になってるところをうっかりお母さん達に見られちゃって、私の正体について話さないといけなくなったの」

「そうだったんだ……」

「うん。秋夜君に話したみたいにいつかは話さないととは思ってたんだけど、その時が急に来たもんだからすごく緊張したし、もしかしたら気味悪がられるかもって思って、泣きそうになってた。

でも、お母さん達はそんな私を抱き締めたり頭を撫でてくれた。私の正体を受け止めてくれた上に私の事を大切な家族だって言ってくれたんだ。本来、魔法には縁が無い人達からしたら、私達みたいな魔法使いや魔女は気味悪がれてもしかたないのに、お母さん達は私の事をしっかりと認めてくれた。お師匠様や秋夜君のように」

「ウェンディ……」

「その事が嬉しくてお母さんの胸の中でしばらく泣いた後、お母さん達と相談をして、これからの過ごし方について決めた。猫と人間の姿を入れ換えるのはいつでも良いけど、魔法の練習をするのはやむを得ない場合を除いて日中のみみたいなね。因みに、学校まで来たのは、お母さんからお使いを頼まれたのとこの事を早く秋夜君に伝えたかったからだよ。

それと……近い内にお師匠様にもご挨拶がしたいから、この事はお師匠様にも伝えてほしいって」

「わかった。明日辺り伝えておくよ。あ、それと……」

「うん、なに?」


 ウィンが立ち止まりながら不思議そうに首を傾げる。その様子を見ながら僕は一度深く息を吐いてから静かに口を開いた。


「……さっき、ニーナ先生からウェンディの過去について話を聞いたんだ」

「……そっか。お師匠様、秋夜君に話したんだ」

「うん……ウェンディを預かってもらってる僕には話さないといけないからって。それを聞いて、僕はウェンディの事をまだしっかりと理解してあげられてなかったのが悔しさを感じたよ。出会いやこうして会話を出来るようになったのが最近とはいえ、ウチでウェンディと一番一緒にいたのは僕だったから」

「秋夜君……」

「だから、これからの生活の中で僕は人間のウェンディと猫のウィンという二つの君の事をしっかりと知っていきたいと思うんだ。どっちの君も僕にとってはとても大切な存在で、この先もずっと一緒に歩んでいきたいからね。

そして、いつかは君がその時の事を思い出して辛さや寂しさを感じなくてもいいようにする。本当はもう少し色々してあげられれば良いんだけど、悔しいけど僕に出来そうな事はそれくらいしかないから」

「……ううん、そんな事無いよ。そうしてくれるだけでも私にとっては嬉しいから。でも、私だって秋夜君の事はもっと知っていくつもりだからね。秋夜君が私の支えになってくれようとしているように、私も秋夜君の支えになりたいから」

「うん、わかった。それじゃあ……改めてよろしくね、ウェンディ」

「うん、こちらこそ!」


 とても嬉しそう顔をするウェンディと握手を交わし、その手から伝わってくる温かさに胸の奥がポカポカしてくるのを感じていると、ウェンディは手を繋いだままで頬を軽く染めながら上目遣いで僕の事を見た。


「それにしても……私のご主人様は大した魔法使いだよね。私に対して二つの魔法をかけちゃうんだから」

「魔法って……ニーナ先生は僕の優しさを魔法みたいな物だって言ってたけど、もう一つに関しては見当がつかないよ?」

「まあ、知らず知らずの内にかけてたからね、恋の魔法ってやつを……♪」

「こ、恋のって……! そんなのかけた覚えは無いよ!?」

「覚えはなくても私にはかかってるんだよ、昨日の夜からね。ただでさえ、いつも私が落ち着いて生活出来るようにしっかりとお世話をしてくれてるのに、私が本当は人間である事をしっかりと受け止めてくれた上に私をまたお師匠様と会えるようにしてくれたんだもん。そんなの好きにならない方がおかしいでしょ? それに、お母さん達からも秋夜君の事を末永くよろしくって言われてるしね」

「お母さん達まで……」

「まあ、秋夜君に別に好きな子が出来た時にはしっかりとそれを受け止めるし、邪魔をするつもりは無いよ。けど、私も秋夜君に対してしっかりとアタックはしていくからね。だから覚悟しておいてね、私の大魔法使い様?」


 そのいたずらっ子のような笑みを見て、僕はドキリとしながら顔が少しずつ熱くなると同時に心臓の鼓動が徐々に速くなっていくのを感じた。けれど、それらは決して嫌な物ではなく、むしろ僕に心地よさを感じさせた。


 ……ふふ、これがウェンディの言う恋の魔法って奴なのかな。でも、この魔法は解けないようにしたいし、決して解いてはいけない。何故なら、この魔法は僕にとってこれからの活力にもなってくれるのだから。


 そんな事を考えながらクスリと笑った後、僕はウェンディの頭にもう片方の手をポンと置いた。


「わっ……ど、どうしたの?」

「……ううん、僕の魔法使いとしての先輩は本当に可愛らしいなと思っただけ」

「か、可愛らしい──って、魔法使いとしての先輩? え、それってどういう……」

「それについては帰った後に教えるよ。とりあえず今は頼まれてるお使いを終わらせよう」

「……うん、そうだね。それじゃあ行こっか、秋夜君」

「うん」


 そして、僕らはどちらともなく手を繋ぎ直し、ウェンディが頼まれたというお使いを終わらせるために歩き始めた。去年のハロウィンでは可愛らしい子猫と出会い、一緒に楽しい一年を過ごせたけれど、今年改めて出会ったウェンディとはどのような一年を過ごせるのだろう。


 ……どうなるかはまだわからないけど、きっと良い一年──いや、良い毎日になるに違いない。それだけは確信を持って言える気がする。


 これからの毎日への期待に胸を膨らませながら僕は大切な人と一緒に新しい毎日へ向かって一歩ずつ歩いていった。

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