第6話 織田弾正忠家への輿入れ

 1548年 那古野城


「表情が堅いな、つまらぬのか?」

「いえ・・・、そういうわけではありませんが」


 帰蝶は珍しく困惑していた。

 信長が任されている那古野城にて、祝宴の席が設けられたのだ。だが帰蝶にとってそちらはそれほど問題ではない。

 いっても1度は経験したことであるからだ。しかし困惑しているのにはそれなりに大きな理由があった。

 夫となる信長との付き合い方が分からないのである。父である利政も、信長との接し方は帰蝶に全て任せると言った。

 だからこそ帰蝶は信長の人となりを相当に学んだはずなのだが、未だその成果が出ていないのだ。


「俺はつまらぬ。みなが挨拶に来るだけ。面白くもない、それならばお前と2人でゆっくり話したいものだ」

「私もにございます。ですがこうして私達を祝ってくださる方々がいるのですから・・・」

「・・・まるでつまらぬな」


 盃を傾けながら信長は酒を飲む。その視線はどこか帰蝶を気にしながらのようであったが、最後の帰蝶の言葉以降目を見ることもなく、ただ挨拶に来る者たちへ適当な相槌を打つだけへと変わってしまった。

 帰蝶はそのことを酷く後悔する。間違った受け答えをしたのだと。

 利政より命じられた役目は信長の側にいること。万が一の命が下されたとき、必ず仕留められることを求められるが故に。


「三郎様・・・」

「・・・」


 信長は帰蝶の言葉に返事もせず、周囲を軽く見渡すそぶりを見せた。そしてしばらく視線を動かしていたかと思うと、誰かに向けて手を挙げる。


「じぃ、あとは好きに呑ませるが良い」

「よろしいので?ですが若様はどちらへ?」

「言わせるな。ではこの場は任せるぞ」

「・・・お任せくだされ」


 じぃと呼ばれたのは信長の傅役であった平手五郎左衛門政秀であった。

 信長が帰蝶の手を引いて祝宴の場を離れる様を見た政秀は小さくため息をこぼす。それだけでこれまでの苦労が容易に想像出来た。

 だがわずかに嬉しげな表情を覗かせたのは、この婚姻を進めたのが信秀の命を受けた政秀であったがためであるのやもしれない。


「ここまで来れば誰も追ってこぬであろう。悪かったな、急に手を引いたりして」

「いえ、ですが驚きました」

「であろうな、あのような場でこのような行い。普通はせぬ」


 そう言って信長は縁側に腰をかけると、帰蝶の手を引いて隣に座らせる。

 最初こそ困惑していた帰蝶であったが、だんだんと信長のことがわかってきたようである。つまるところこれまでの常識を当てはめては、上手く行くことは無い。上手くやっていくためには細事に気をとられてはいけないのだ。


「帰蝶、本当のお前はどのような者だ。今後夫婦となるのに、取り繕うような真似はいらぬ」

「本当の私にございますか?そのようなこと考えたこともございませんでした・・・」

「なるほどな、故にであろう」

「・・・故にとは?」

「お前がつまらぬ女であると思う理由よ。ようやく答えが出たわ」


 そう言って信長は背中を縁側の床へと投げ出した。鈍い音がしたが、それを特に気にするそぶりも見せない。

 帰蝶は先ほどたどり着いた答えをまるで忘れてしまったかのように、信長の一挙手一投足に目を惹かれた。それは帰蝶にとって初めての感覚であったのであろう。

 そしてその困惑した様子すらも信長はジッとただ眺めるだけであった。


「舅殿はどのようなお人だ」

「父上様にございますか?父上様は大変優しい御方でございます。私のような不出来な娘にすら、情を与えてくださるのです」

「帰蝶は何が不出来なのだ。舅殿は不出来な娘を和睦の証として俺に嫁がせたのか?」

「・・・いえ、そのようなことは」

「織田と斎藤の同盟は大きな意味を持つ。互いが大きくなる上でな」


 困惑する帰蝶を余所に、信長は空を見上げて語り始めた。だがその目には、帰蝶がこれまでに出会ったことのない色をしている。

 その正体が何であるのか。帰蝶にはまだわからないようではあるが。


「そんな同盟の証として俺の元へと嫁いできたお前がそのような不出来な女であるはずがない。もしそれが本当であるとすれば、舅殿はまるで何もわかっておらぬ大馬鹿者であろうよ」

「大馬鹿者・・・」

「良いな、随分と面白い顔をするではないか。それが本当のお前の姿よ」


 信長は僅かに顔を上げると、帰蝶の顔をマジマジと見る。そしてそんな信長の言葉でようやく帰蝶は自身が今の発言に対して不満を持っていると知った。

 何故か、そんなことは聞くまでも無い。14年間、慕い続けて来た父親を侮辱するような発言をされたから。ただその一点に尽きる。

 斎藤家や土岐家では表立って利政を罵る者はいなかった。せいぜい頼純がうっかり漏らしていた程度であろう。だがそれすらも帰蝶には我慢出来たのだ。頼純はそういう人物であると知っていたから。

 しかし今回は何故かその感情が漏れ出た。信長を知りきれていない、それもあるのであろうが、きっとそれだけではない。


「帰蝶、本当のお前を見せよ。俺は今の状況において、本心を見せぬ者を側に置くことは出来ぬぞ」

「本当の私・・・。側に置くことが出来ない?」

「そういうことだ。とは言っても体裁もあるだろう、故に内情的な話であると思えば良い」


 帰蝶にとってこれは大きな課題となることは間違いない。今までは父の言葉に従って生きてきたのだ。ただそれだけで良かった。だがその様を見た信長は不満だと言い放った。

 この課題を達成出来ない限りは、夫婦であったとしても信長との心理的な距離を詰めることが出来ない。それは利政からの任を遂行出来ない可能性まで引き起こす。


「本当の私、時はかかろうとも探してみようと思います」

「分かれば良い」


 それだけ言うと信長は縁側から姿を消したのだった。

 ちょうど時を同じくして祝宴をしていたであろう部屋から侍女が様子を見にやって来た。


「姫様、ご無事にございますか?」

「無事も何も・・・。あの方は私の夫となる御方ですよ、何もありませんから」

「ですが姫様、随分と困惑されたお顔をされています」


 指摘された帰蝶は、自身の顔を確かめるかのように両手で頬に触れる。少し摘まみ、少し揉む。


「困惑、しているのかもしれません。三郎様はこれまでに出会ったことのない種類の御方でした。私・・・、どうすれば良いのでしょうか?」

「姫様!?」


 帰蝶の弱音に驚いた侍女は慌てて側へと駆け寄った。そして隣に座って肩を支える。

 僅かに震える肩に目をやりながら、本当に何事もなかったのかとそれとなく全身を確認するそぶりを見せた。


「姫様は立派な御方です!自信をお持ちください」

「・・・ねぇ、本当の私とは一体何なのでしょうか?あなたは分かりますか?長年私に付き従ってくれた者として」

「姫様・・・」


 たしかに侍女には僅かばかりに思い当たる節はあった。だがこれまでの環境では、それを口にすることすら許されなかったのだ。

 利政は帰蝶のそういった思考を利用していると知っていたから。帰蝶もまたそれを甘んじて受け入れていたから。

 だがその常識が崩れつつある。そんな感覚に侍女は襲われたのであろう。


「姫様が本当の姿を探されるというのであれば、私もお供いたします。一緒に探しましょう」

「・・・わかりました。あなたが一緒であれば心強いです」


 信長との輿入れは帰蝶にとって人生の転換点となる。帰蝶の自分探しはこうして始まるのだった。

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