第4話 土岐守護家滅亡

 1547年 大桑城


「また吹いておったのか」

「はい。このように景色が良い場所で笛を吹くのは気持ちようございますので」

「そうか」


 相も変わらず無愛想な頼純である。

 昨夜のことがあったというのに、特に双方変化は見られなかった。それを流石と褒めるべきなのか疑問である。

 しかし頼純、帰蝶に関心を全くといってよいほど持っていないことがわかる。

 ほとんど毎日、帰蝶はこの場所に座り同じ笛を吹いていたのだ。だが今日の笛はいつもと違う。それに気づかず、いつも通り数度の会話の後に帰蝶の背後を通り過ぎて行く。

 対して頼純よりも音がわかるものもいた。帰蝶の奏でた音に惹かれたのか、1羽の小鳥が侍女の膝元へととまる。侍女は驚くことも無くその小鳥の足を軽く掴まえた。

 誰にも見られていないことを確認した侍女は、小さく纏めた紙のような物を小鳥の足につけられた筒状の穴へと押し込む。

 そして掴んでいた鳥の足を離した。


「では戻りましょうか」

「はい、姫様」


 まるで何も無かったかのように2人は部屋へと戻っていく。

 帰蝶の手にある笛は、昨夜嫁入り道具の中からとりだした一節切であった。


「ではいつも通り、父上様に文を書くとしましょう」

「ご用意いたします」


 この緊急時、覚悟を決めた2人はやはりいつも通りなのだ。




 1547年 稲葉山城


「大納言よ、これを見よ」

「はっ。では拝見させていただきます」


 夜中のとある一室である。利政は養子である正義を部屋へと呼び、何やら相談をしている最中であった。

 正義の手には、文というわりにはあまりに皺のよった小汚い紙が握られている。しかし重要なことはそこではない。


「織田弾正忠が和睦を反故にする、と」

「うむ。儂もあまりに早い動きに驚きを隠せずにおったところよ。しかもそれに同調するように、朝倉弾正左衛門尉まで兵をおこすとは」

「笑い事ではございませぬ。義父様、今すぐに大桑城と北方城を攻めねば、西と南より大軍に押しいられますぞ」

「大桑城は後ほどでも構わぬ。それよりも先に攻めるは北方城よ。頼芸め、守護を譲ることのみで美濃への復帰と美濃守にかわる新たなる官位を用意させてやったというのに、早速裏切ってくるとは。長年共に歩んだ儂のことを全く何も分かっておらぬわ」


 だがそう言う利政の顔には、むしろ好都合と喜色が浮かんでいた。

 利政の掲げる美濃の一新には、やはり土岐という旧時代の遺物は邪魔な存在である。これを期に一掃することが出来れば、少なくとも美濃に戻ることが出来ない状況に追い込むことが出来れば、未だ利政に従わぬ者らも臣従を申し出てくるであろう。

 そう考えてのことであった。


「ではすぐに支度をさせましょう。先鋒はこの大納言正義にお任せを」

「・・・うむ、では任せる。儂はいつも通り帰蝶に文を返すとしようか」


 言葉を発するまでにじゃっかんの間が空いた。そのことを正義はとくだん気にした様子を見せなかった。

 しかし利政にとっては思うところがある。そんなところであろうか。


「・・・義父様、まさか頼純を」

「それ以上は何も言うでない。普段は表情に出さぬくせに、お前も帰蝶も肝心なことを口に出そうとする。悪い癖よ」

「うっ・・・、申し訳ございません。ですが」


 咎められてなお、まだ口にしようとする正義に嫌気がさしたらしい。利政はこれまでの喜色を浮かべた表情から一転、鬼の形相で正義を睨み付けた。


「くどい。はなからあの者には言い伝えているのだ、余計な口出しは斎藤の家を潰すこととなる」


 その迫力に気圧された正義はただ黙して従うほかない。すぐさま謝罪をして部屋をあとにした。

 しかしこれより命が下るであろう。

 斎藤家は北方城の攻略に動く。土岐の者らは越えてはならぬ一線をついに越えたのだ。

 もはや守護土岐家の居場所は美濃にない。そのことに気がつけぬ時点で、その身を滅ぼすことは確定していたのかもしれない。




 1547年 大桑城


 1枚の文を手にしていた。

 そこに書かれていることを読む帰蝶の目には、確かなる覚悟が見て取れる。

 手にはかつて侍女に渡した包みがあった。


「実行はいつにされますか?」

「父上様が北方城を攻めた時。この城にその報せが入ってきたら実行します」

「私が出来ることはこれ以上何もありません。姫様が無事に任を果たされることを祈っております」


 侍女の言葉に頷いた帰蝶は、ついにその包みの中身を取り出した。

 中から出て来たのは、娘の手に収まるほどの大きさの小刀。これもまた利政より預けられた異様な嫁入り道具なのだ。

 そして包みの底には乾燥した植物が転がっている。

 それを手にした帰蝶は侍女に手渡した。緊張した面持ちで、その植物を受け取る侍女。すぐさま用意したすり鉢で、それを粉状にしたかと思えば紙で作ったであろう袋に全て入れた。


「ではこちらをお渡しいたします。決してそのお口に入れぬようお願いいたします」

「ありがとう。ではあなたは安全なところにいてください。実行の後、私達はすぐに城を出るのです」

「かしこまりました。その用意も済ませておきます。どうかご無事で」


 そして翌日、1547年9月28日。利政は頼芸の居城としていた北方城へと攻め寄せた。総勢1万3000の兵が突如として城に攻め寄せたのだ。なんの前触れも察知出来ていなかった頼芸はまともに戦うこともせず城を捨てて逃亡。

 その報せは、すぐさま大桑城へと伝えられた。

 土岐家中ではどこから漏れたのかと大あわてである。だが今更慌ててもどうにもならない。

 帰蝶を疑った者もいたが、帰蝶が書いた文は全て中を確認していた。故にその可能性は早々に排除されたのだ。

 どちらにしても情報が漏れたことに変わりは無い。覚悟を決めた者らが頼純を中心に軍議を開き、織田弾正忠家へ急ぎ援軍を求める使者を出すこととなった。そして圧倒的な兵数差のある大桑城ですべきことは籠城である。

 奇襲で落とされた北方城と違い、攻めてくるとわかっているのだ。防備を整えれば、しばらくは耐えることが出来ると踏んだのであろう。それまでに織田・朝倉両家が美濃へと兵を進めれば。そんな期待を抱いての判断であったのだ。

 その日の夜。


「次郎様、ご一緒してもよろしいでしょうか?」

「・・・娘が男の部屋へと足を運ぶとは、はしたないことである。部屋へと戻るのだ。明日からは寝られぬぞ」

「ですが父上様は本気でこの城を攻められるおつもり。頼純様を夫とお慕いできる日ももうないかもしれぬのです。これまで幸の無かった私の願い、最後に聞いていただくことは出来ませぬでしょうか」


 帰蝶は珍しくその感情を顔に出している。

 その表情からは悲しみ、父である利政を恨む気持ち、そして何かに餓えたそんな感情があふれ出していた。

 いつ攻められても良いように、鎧をいつでも着けられる支度をした頼純はわずかに帰蝶へと目を向けた。


「俺は負けるつもりなど一切無い。だが確かにお前と夫婦でいられるのは今日が最後となるであろう。最初で最後になるであろうが、その願い聞いてやっても良い。ただし明日は戦である。1杯だけ酒をついでもらうだけで良い」

「はい。それだけで十分にございます」


 頼純は帰蝶を通した家臣に酒を用意するように言い伝えた。あまりに珍しき光景に、一瞬呆けた家臣であったが慌てて酒の用意へと走る。


「これまで感情を殺していたのか?」

「はい。次郎様は私に心を開いてくれないとすぐにわかりましたので」

「そうか、だがそれはお互い様であろう。帰蝶、お前からもそのような雰囲気は出ておった。だから俺も避けたのだ」


 2人がこうも饒舌になる日が来るなど誰も予想もしていなかったであろう。

 そして用意された酒。

 外を見張っていた家臣は、気を遣ってその場を離れた様子。


「父上様は私のことをなんとも思っていないのでしょう。だからこうして娘の嫁いだ城を攻めることが出来るのです」

「俺が悪いのだ。今更ではあるが帰蝶には悪いことをしたと思っている。俺の都合に巻き込んでしまった」


 酒に酔い潰れていく頼純。1杯だけと言っていたはずの頼純は次々と酒を飲み、普段は語らぬ事まで饒舌に口に出し始めた。しかしすぐに畳へと身体を倒す。それはあまりに不自然な入眠であった。

 倒れた頼純が確実に寝ていることを確認した帰蝶の表情はいつものものへと戻っている。

 寝入った頼純に自身の打掛をかけた。そして懐より持ち出した小刀で、頼純の心の臓をひと突きふた突きと何度も刺す。ひと突きされた時、わずかに意識を呼び覚ました頼純は抵抗しようとするのだが、藻掻くだけで最後には声も出せずに絶命した。

 相手が体格差のある男であるとはいえ、睡眠効果のある薬を大量に飲ませたのだ。腕力では遠く及ばない娘の力でも簡単に殺めることが可能であったわけである。

 頼純の亡骸を布団の中に隠し、血が染みついた打掛もその場に隠して帰蝶は部屋を出る。一応逃走路を確保していたのだが、外には誰もおらずただ静かな廊下があるだけであった。

 これまで何度も歩いた城の中。冷たい風をその身に受けながら、侍女の待つ城の抜け道へと足を進める。

 もはや会うことも無い。帰蝶にとって初めての夫は、帰蝶自身の手で殺したこととなった。

 その男はやはりというべきか、煌びやかな蝶の夫たる器では無かったようだ。

 外で待っていた斎藤家の者達に保護された2人は、翌日には稲葉山城へと戻ることとなる。

 主を知らぬ間に討ち取られた土岐守護家は斎藤家へと降伏を申し出るも、和睦を反故にし、さらには周辺国までも招き入れようとした者たちが到底許されるはずもない。斎藤家の兵は大桑城へと攻め込み、城に籠もっていた者を全て斬ったという。それは女子供も含めた全ての人間のことを言っている。

 その際、帰蝶への恨みは凄まじいことであった。そう城内に攻め入った兵らは言い伝えたのだという。

 たった数日の出来事であった。1548年11月17日、土岐頼芸が美濃国外で保護されたことを受け、土岐守護家はここに滅亡する。逃亡し保護されたと言われる土岐頼芸もその消息と断ち、二度と美濃へと足を踏み入れることは叶うことはなかった。

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