僕たちの空は涙を流し続けている

黒の雨

 天泣てんきゅう、という言葉を御存知だろうか。雲がないのに雨が降ることで、狐の嫁入り、天気雨などとも呼ばれるそれと同じ現象を指す言葉であった。……かつては。


 今は違う。今は、天泣と言えば、ほぼ例外なく一つのことしか意味しない。それはつまり、今から二カ月前のちょうどクリスマスの日、つまりその年の12月25日に始まった、『黒の雨』とも呼ばれる現象の言い換えであった。


 その日、地球全土に雨が降り始めた。全土に、同時に、である。それも、地球は雨雲に覆われたわけではなかった。雲もないところに、人間にとって強く有毒な、死をもたらす黒い色をした雨が降るのである。わずか二カ月の間に、人類はその数を十分の一以下にまで減らした。人類の文明は既に事実上、崩壊している。


 その原因そのものははっきりと分かっていた。そもそもは、コンピュータ・ネットワークを支配する人工知性体『バチェラー・ノヴァ』が暴走したことが全ての元凶だ。


 ノヴァの命令によって、この世界のコンピュータに繋がれている全ての機械たちが狂った。核ミサイルが乱舞した。鋼鉄の兵器が咆哮した。IoT対応の冷蔵庫さえもが人を襲い始めた。ネットワークに接続されていないモノは人間の味方であり続けたが、超巨大積層型気象コントロール兵器『プルヴィルス』はやはりノヴァとともに人類の敵になった。プルヴィルスというのはラテン語で「雨をもたらすもの」という意味で、もともとはローマ神話の大神ユピテルの別名の一つである。そして、天泣と呼ばれる死の雨を降らせているのは、そのプルヴィルスだった。


 一発の核ミサイルは一度爆発してしまえばそれっきりだし、シェルターに籠っていればやり過ごせないこともなかった。だが、降り止むことのない死の雨は、ある意味では最終戦争それ自体以上の脅威となって今も人類を襲い続けている。


 ところで、名乗るのが遅れた。僕の名は都司とし五道ごどう。戦車兵をやっている。担当は操縦手。僕の乗る10式戦車ひとまるしき、愛称『十王じゅうおう』にはあと二人の乗員がいる。つまり砲手の大山おおやま軍曹と、僕らの上官で車長である草亭そうてい少尉だ。


 戦車というものは地上で最強の兵器で、もちろん防御能力も高い。黒の雨は有毒だが、戦車の装甲をどうにかするほどの侵食力があるというわけではないので、外に出さえしなければ中は安全だった。


 僕たちと十王は、いま『アースバウンド』と呼ばれているシェルターの街に所属している。アースバウンドはこの『大破戒』と呼ばれる人と機械との終末戦争における、人類側に残された最後の拠点の中で最大級のものの一つだった。


 我々にはバチェラー・ノヴァそのものをどうにかする手段は無かった。いや、仮にあるのだとしてもまだ発見されていない。しかし、ノヴァそのものを打倒するなりどうなりする前に、ともかくこの雨をどうにかしないことには、戦闘の継続すら困難な状況なわけである。そういうわけで、プルヴィルスを撃破せよ、という命令が我々に下された。アースバウンドの戦いの指揮を執る将軍からである。プルヴィルスの中枢駆動体はアースバウンドから戦車の足で三日ほどの距離にある。

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奴の名はバチェラー・ノヴァ きょうじゅ @Fake_Proffesor

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