第8幕 矢澤竹之輔師匠宅の段
( 1 )
残暑が続いたが、9月に入ると早朝、夜の風にひんやりとした秋を運ぶものを感じた。
(やはり、この時代はまだ我慢出来る暑さだ)と正樹は思った。
真夏の最高気温もせいぜい33度で、それ以上上がらない。
熱中症も警戒アラートもない。
エアコンではなくて、夏だけ使える「クーラー」を設置している家は少なかった。
昭和30年代「洗濯機」「テレビ」「冷蔵庫」が三種の神器だった。
1970年代、「3C」と呼ばれる家電が人気だった。
「クーラー」「カラーテレビ」「カー(車)」である。
時代は流れて、ほぼ普及したので、次の商品を家電メーカーが定めたのだった。
正樹の下宿もクーラーはない。
昼間は国立劇場へ行ってるので、必要なかった。
公演の合間に、義太夫三味線志望者で、矢澤竹之輔宅を訪れた。
先月、竹之輔自ら自宅に来るように云っていたのだ。
自宅は、東京港区南青山にあった。
サンタキアラ教会の近くの住宅街だった。
この教会には、お洒落な中庭があった。
同じ教会でも島之内教会は、通りに面していて庭がない。
こちらは、東京都心とは思えぬ緑の館だった。
建物の壁に蔦の葉が絡まっていた。
立教大学正門前の校舎を彷彿させた。
一戸建ての自宅だった。
この時代に来てから、正樹は初めて竹之輔の妻、弓子と会った。
「若っ!きれい!」
思わず正樹は口走った。
「あら、有難う」弓子は微笑んだ。
(しかし、3年後、師匠は大阪朝日座公演中の宿屋で倒れてそのまま亡くなってしまう)
死に目に会えたのは、正樹一人だけだった。
弓子夫人は、東京にいたからだ。
(この運命を何とか変える事は出来まいか)
漠然と正樹は思った。
竹之輔は、劇場で見せる顔とは別の柔和なものだった。
「あなたこそ、若いでしょう。幾つなの」
弓子は近寄った。
「17歳です」
「若っ」
茶目っ気を出して、弓子は正樹の口調を真似た。
一同大笑いした。
「正樹くんは予言師なんだ」
「へえ占いでもやるの」
「50年先の未来から来たらしい」
「凄いじゃないの!」
決して否定しないのが、気に入った。
「一番若いけど、ここは確かだよ」
竹之輔は、自ら左手の腕を右手で軽く叩いた。
別室にいたお孫さんを介助しながら、婦人は連れて来た。
「孫娘の美奈子です」
「孫娘は、生まれついての小児麻痺でね。右半身が麻痺してて、一人では歩けないんだ」
「でも頭は普通よ!」
美奈子は笑いながら答えた。
「青山学院大学に通わせている」
「青山を選んだのは、ここから最も近いからです」
大学への送り迎え、授業受ける校舎間の移動も夫人がやっていた。
まだこの時代、「バリアフリー」なる言葉もなく、駅のエレベーターも完備されてなくて、身体障害者には、生きにくい世の中だった。
全ての建物、施設が健常者目線で作られていたのだ。
正樹は、美奈子の姿を見てピンと来た。
「師匠、ここで私が演奏してもいいですか」
正樹は、名乗り出た。
「ああ、思うところだ。実は、家内と娘に是非、正樹くんの義太夫三味線の音色を聞いて欲しいと思ってたんだ」
「お噂は、かねがね」
「はい。正樹くん、銀座ホコ天ライブしたんでしょう」
「孫娘もあなたの大ファンです」
「そうですか。光栄です」
正樹は頭をかいた。
実は、竹之輔宅を訪れる時、上条から
「きみは、義太夫三味線を持参した方がいいよ」
と云われていたのだ。
何故そう云うのか聞かずに
「わかりました」
とだけ云っていた。
上条は、この展開を予め知っていたのか。
正樹の住む2022年よりさらに未来から来たと云っていた。
創作浄瑠璃「最初(はじめの)一歩(いっぽは)輝(かがやく)未来(みらいの)物語(ものがたり)序章(のはじまり) 」
♬
初めの一歩 遅れてた
他人(ひと)は歩くが 達磨の私
足は固まり 動かぬよ
小児まひの じれったさ
叫び声出ても 足出ぬぞ
足手まといの 幼少期
絶望の壁 越えられぬ
ふと耳にした 希望歌
義太夫三味線 心地よく
いつの間にかに 前を向く
微かな信号が 目覚めたぞ
これは奇跡か 夢なのか
己(おのれ)の頬を つねるかな
先の未来の 道続く
立ちはだかるは 岩木々か
足で踏みしめ 越えて行く
美奈子の未来 始まるぞ
どうか皆様 沿道で
拍手喝采 声援を
身体受けても 手を出すな
倒れ転んで 気が付くぞ
時間かかりしも 一歩前へ
行く行く行くぞ 歩き出す
やあやあやあと 勇ましく
顔上げ前を 向いている
頬伝う風 味方つけ
肩で風切る 背中には
正義の印 三味線
手先の器用 足伝播
新たな未来 始まるぞ
正樹には一つの確信があった。
それは、美奈子の身体が、自分の義太夫三味線、創作浄瑠璃を聞いて身体がよくなる事を。
2022年の66歳の正樹は、定期的に京都洛中病院で創作浄瑠璃ライブを開いていた。
この時だけ、待合室のソファを取り払い、特設舞台を作る。
舞台の素材は、病院らしく、ベッドを二つ繋いだものだった。
意外とこれが、良いのだ。
ベッドなのでクッションがある。
長時間演奏にはうってつけだったのだ。
その演奏会で、最初車椅子に座った患者が、最後は立ち上がり手拍子を取るほどまでに回復するのを、まじかで見ていたからだ。
最前列で、椅子に座って聞いていた美奈子だった。
両足で、軽くリズムを取っていた。
その振動は大きくなる。
そしてついに自分の力だけで立ち上がったのだ。
「立った!」
竹之輔は叫んだ。
「まあ」
夫人も後に続いた。
「美奈子さん、どうしたの」
「自分でもわからない」
「正樹くんの義太夫三味線の音色のせいだ」
「そんな事ってあるの」
「奇跡ってあるんですか」
「沢市、お里だって、一度死んでも生き返って、沢一は目まで見えるようになったんだからな」
今月国立劇場で上演されている
壺(つぼ)阪(さか)観音(かんのん)霊(れい)言記(げんき) 沢一内より山の段
の文楽公演の中の登場人物の事を竹之輔は云っていた。
「義太夫三味線の音色がいいんだ」
「だったら、あなたの義太夫三味線の音、この子は毎日聴いてましたよ。でも身体は元に戻りませんでした」
「違う!正樹くんの義太夫三味線の音色だよ」
「あら。一緒じゃないの」
「全然違う!」
「私には一緒に聞こえましたけど」
「確かに。似ている。でも違う」
二年後、正樹は竹之輔に弟子入りする。
だから似ているのだ。
でもそれはすぐに終わる。
竹之輔の急死で。
それを知っているのは正樹、上条、仙仁の三人だけだった。
「とにかく、よくなったんだ」
「そうですね。美奈子ちゃん一人で歩けるの」
「さあ。ちょっと怖い」
美奈子は一歩踏み出した。
今までの美奈子は、半身麻痺しているので、身体のバランス取れずにひっくり返っていた。
しかし・・・
立ったままだった。
そしてもう一方の足を踏み出す。
正樹は、その歩調に合わせて、一の糸をつま弾く。
切れのある音だった。
尖った、そばに近寄ると切れそうな音が床を這い、留まる。
「そうその調子」
全員の目は、美奈子の足に集中して、耳は正樹の義太夫三味線
の音に傾けていた。
僅か五歩で美奈子は転げた。
しかし、生まれてから今日まで一歩も一人では歩けなかったのである。
「奇跡の五歩だ!」
竹之輔は、また叫んだ。
「そんなによくなるんだったら、毎日うちに来てもらえればいいじゃないの」
「そうは行くか」
竹之輔は正樹の顔を見た。
「上手い!でも一つだけ欠けているものがある」
「何ですか」
「正樹くん。義太夫三味線の糸は何で弾く」
「何で?バチですけど」
「違う」
「えっ」
竹之輔から想定外の答えが口をついた。
それは家族、同期生も同じで、顔にはてなマークが多数浮かんでいた。
「じゃあ何ですか」
「こころだよ」
「こころ?」
「そう。語りの文言を一度咀嚼して噛みしめて、こころで弾くんだ」
「それは知りませんでした」
今まで創作浄瑠璃で、そんなに邪険にいい加減に語っていたわけではない。
しかし、竹之輔師匠が云うように、文言についてそこまできっちりと意味を考えて語っていたかと云うと答えは、
「ノー」だ。
「わかりました」
「あんまり、偉そうに云わないでよ」
美奈子は笑った。
「すまん」
「私は、国立劇場の教室まで行きます」
青山学院大学の授業は受けて開いている時間に美奈子が国立劇場まで出向くのだ。
「えっ」
「そこで、正樹さんから義太夫三味線を習います」
「いえ、それは大変です。僕が青山学院大学まで行きます」
今なら、国立劇場最寄りの半蔵門線で「半蔵門」から乗り換えなしで「渋谷」に出られるが、この時代まだない。
JR中央線「四ツ谷」→「代々木」山手線乗り換えて「渋谷」だった。
それに今は自分は研修生の身分である。
自分の下宿ならともかく、国立劇場で教えるとなると、また様々
な問題が発生する事は、目に見えていた。
単純な話、定期的に自分が竹之輔のこの家に出向けば簡単だろうが、それも問題になる。
あくまで今は研修生の身分なのだ。
それで、竹之輔宅に出入りは、やはり問題である。
それが竹之輔師匠まで及んだら、大変である。
だから、竹之輔は、大学へ出向くと云ったのだ。
これならもし発覚しても、竹之輔は知らないと云い切れるからだ。
いきなり、竹之輔は、
「壺阪観音霊言記の稽古しようか」と云い出した。
「はあ、良いですけど」
正樹は、他の連中が気になった。
「やってもらえよ」
上条は後押しした。
「これは、事務局には内緒やで」
竹之輔は、唇に手を当てた。
稽古は、一階の和室で行われた。
太夫の語りは竹之輔自らやった。
正樹への稽古は最初から高度で細かい。
「そこの下り、早い」
「もっと太夫の息継ぎ、知っとかな」
稽古に入ると竹之輔は、関西弁となった。
純粋の上方弁ではなくて少しなまりがある。
竹之輔は、和歌山出身なのだ。
これは入門してから知った事なので、今は知らないふりを通した。
「弾き方甘い!」
「もっとキレのある、尖った弾き方や」
「緩急つけんかい!」
「(はっ)の言葉入れて!」
忘れていたテクニックが蘇る。
25歳から66歳まで文楽から歌舞伎の世界にいたので、大分忘れていた事柄があった。
義太夫三味線。文楽は、太夫に合わす。
歌舞伎は、役者に合わす。
大きな違いだった。
徐々に文楽の勘を取り戻した。
今月、太夫は椿太夫だった。
梅太夫より20歳若い60歳である。
研修生への教え方は一番下手で有名だった。
太夫専門だったが、義太夫三味線もかなり上手い。
しかし義太夫三味線の教え方は、かなり素気なかった。
まず自分が弾いて
「はい、この通り弾いて」となる。
正樹以外誰もついて来れない。
「先生、もっと詳しく教えて下さい」
当然ながら研修生から声が上がる。
「今、きみら何を見てたんや」
俄かに、怒りの炎が立つ。
「弾いているのを見ても分かりません」
「正樹くんは、わかってるがな」
出来る正樹は、椿太夫にとって、唯一の味方だった。
椿太夫は、情感たっぷりに語る所は、かなり「間」を取る。
忘れてしまったのかと思うほどの間。
ここで義太夫三味線の二抜きの音入れると怒り出す。
そんな癖も蘇った。
「しやから、よう聞いて見てやな、やる事や」
(やる事)が引っかかった。
研修生なので、舞台立てないのだ。
もちろん、竹之輔は知っていた。
知っているのに云う。
理由は聞かなかった。
「文楽三味線弾きにとって、一番大事な事は何や」
「こころで弾く」
「それ以外や」
正樹は黙った。
「わかってる奴おらんのか」
他の者を見た。
誰も云わない。
ほとんどの者が目を伏せた。
「(間)。ま」
「まですか?」
「正樹くんは、中座で藤川トンビと共演したやろ」
「はいしました」
「あの人のやってる事、喋ってる事、字面にしたらようわかる」
「字面ですか」
「そうや。それ読んだらわかる」
「何がわかるんですか」
「しやから(間)」
竹之輔の説明は続いた。
トンビは、ギャグを云うわけでも、変顔するわけでもない。
普通に喋っている。
しかし違うのは、場面事に扱う、絶妙な「間」があのメガトン級の笑いを生む。
「そうだった」
正樹は大きくうなづいた。
中座での光景だ。
観客が大きく笑う。
すぐにトンビは台詞を云わない。
笑いが収まり、さらに小さな「間」
数秒いや、もっと小さい「間」
その間を設けてから、追加爆弾の台詞を云うのだ。
「文楽も一緒やで。太夫との間。義太夫三味線の音色が収まる間。文楽の世界も(間)だらけやで」
「そうだった!」
思わず、正樹は過去形でつぶやく。
一同は、怪訝な眼差しを送る。
正樹が、美奈子の義太夫三味線を教える件は、この事は、上条通じてすぐ妹の秀美の耳に入った。
秀美は、義太夫三味線を習いたいと云い出していたのだ。
「だったら、早稲田まで来てよ」
早稲田大学の最寄りの駅は、東西線「早稲田」だった。
秀美はそうは云ったが、相手は身体が不自由なのである。
上条の説得もあり時間が合えば、青山学院大学まで出向いた。
「青学は華やか!お洒落!早稲田のイモ兄ちゃんと違う」
秀美ははしゃいでいた。
正樹にとっても大学キャンパスで演奏は初めてだった。
昼休みのキャンパスは、ギターを抱えた若者でいっぱいだったが、義太夫三味線は誰も持ってないし弾いてない。
ギターの音色があちこちで生まれる中で、一つ義太夫三味線の音が生まれた。
低い低音は、かなり目立った。
ギター若者たちが集まって来た。
「これ何」
「義太夫三味線です」
「凄い!」
「弾いてみますか」
正樹がすぐに人気者になった。
「私達を置いて何よ!」
秀美も美奈子も怒った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます