第6幕 伊予北条・鹿島の段
( 1 )
正樹は、翌日、梅太夫と一緒に大阪に戻った。
在来線で広島から岡山まで行く。
岡山で新幹線に乗り換えた。
「面倒やな。早よ広島まで新幹線来へんかな」
階段を上り下りしながら梅太夫はぼやいた。
「あと三年待って下さい。昭和50年に博多まで新幹線行きますから」
思わず正樹は答えた。
「お前は国鉄総裁か!」
じろっと睨まれた。
東海道新幹線東京~新大阪間は、僅か4年半あまりで全開通させた。
ほぼ同じ距離の新大阪~博多は11年もかかる。
如何に、東京オリンピックまでに間に合わすと云う大号令で、東京~新大阪間を開通させたか、その意気込みがわかる。
しかし如何に突貫工事だったか、工事作業者の死亡の数でわかる。
およそ250人以上が工事で亡くなっていたのだ。
8月は、大阪公演だったので、授業は森の宮青少年会館で、昼から朝日座へ行くパターンが多かった。
夏休みなので、正規の授業は休みだったが、自主練習は自由で、講師も何人かいた。
梅太夫は、中日からの出演だった。
楽屋に呼び出された。
部屋には、あの金剛杖があった。
原田頭取もいた。
正樹は、金剛杖を見てにやけた。
「何がおかしいねん」
梅太夫が睨んで来る。
「いえ」
梅太夫も正樹も大阪に戻ってからは、一言も広島での出来事をお互い云わない、公言しない。
お互い「広島事件」は封印していた。
「お前、東京新宿(くつ底)で青磁と一緒に創作浄瑠璃やったな」
「はいやりました。途中でやめましたけど」
「青磁の居場所知ってるんか」
「はあっ?」
「実は、青磁さん行方不明でして」
原田は説明してくれた。
文楽協会に一通の手紙が届いたそうだ。
「これや」
梅太夫が畳の上に広げた。
「私は文楽修行の旅に出ております。暫くそちらには帰りません。探さないで下さい。
探しているもの見つけたら、戻ります。亀澤青磁」
「探しているものて何ですか」
正樹は真顔で聞いた。
「阿保!わしは、それをお前はんに聞いてるんや」
「消印が広島になってるんだ。正樹君は広島出身だったよね。どこか心当たりないかな」
心配そうに原田は、正樹に顔を向けながら尋ねた。
「青磁さん、(くつ底)でトンビさんの義太夫三味線演奏を聴いてえらい落ち込んでました」
「あいつらしいなあ」
梅太夫は大きくため息をついた。
「(くつ底)を途中で降板するて云うたのも青磁さんでした」
「お前は、金魚のふんで、青磁の後に続いた」
「ふんて!」
「憤慨か?」
親父ギャグかまして来たが、あえて正樹は相手をしなかった。
「そう云えば、芸と云うか技量に悩んでました」
喜劇王トンビでも義太夫三味線演奏は素人である。
その素人に負けた自分を激しく追い込んでいた。
「生真面目やからなあ」
「ひょっとして、自ら追い込んで・・・」
そこまで云って頭取は、はっとして口をつぐんだ。
「生きててくれたらええけどな」
青磁の行方が分からぬまま数日過ぎた。
正樹は、喫茶サンライズで、島之内教会創作浄瑠璃ライブの打ち合わせをしていた。
正樹の前に田所牧師、八幡「富士屋」プロデューサーの二人が座っていた。
打ち合わせがひと段落した所を見計らって、章子ママが声をかけて来た。
「文楽研修生の方やねえ」
「はい、一期生の坊屋正樹です」
「正樹くん、丁度よかった!葉書預かってるんよ」
章子が葉書をテーブルの上に置いた。
「今、読んでもいいよ」
気を使って田所牧師が云った。
「はい、すんません」
「正樹君その後元気か。
あれから、君の活躍はテレビで知っている。
僕は、大阪、広島を旅して、今は伊予北条の鹿島と云う所にいる。
鹿島は小さな島だ。
その島で、僕はついに見つけた!
大発見だ!
今、この葉書で、云うのは、容易い。
けれど、是非、君の目で見て欲しい。
待っている。
伊予北条・鹿島(多田屋旅館)にて 亀澤青磁 」
朝日座や、森の宮青少年会館宛に葉書を出せば、事務局、師匠らに見つかってしまう恐れがある。
だから、あえて「喫茶サンライズ」にしたのだろう。
思い悩んだ末、正樹は、矢澤竹之輔にまず見せた。
しかし、その日の内に、梅太夫に知れ渡り呼び出された。
「お前はん、鹿島に青磁を迎えに行って来てくれ」
朝日座の楽屋に顔を出すなり、梅太夫は云った。
「僕が行くんですか」
「何や!不服か!」
「いえ、は、はい」
「くれぐれも、今月かかってる狂言(演目)のようにならんようにな」
今月、朝日座では
「生写朝顔話(しょううつしあさがおばなし)宿屋・大井川の段」が上演されていた。
夏場、文楽でよく上演されるものである。
宮城阿曽次郎と、深雪の恋物語であるが、色々な事情で中々すれ違いが生じて、合えぬ物語である。
「わかりました」
正樹は、楽屋を出ようとした。
「ああ、忘れる所やった。お前はん、自分の義太夫三味線は持って行きや」
「何でですか」
正樹は、くるっと振り向いて聞き返した。
「行ったらわかる」
梅太夫はにやりとして、大きく顔を振った。
楽屋口にある頭取部屋に行く。
頭取の原田昭は、元は国家公務員で文部省勤めだったが、ある事件で出向と云う形で文楽協会に来た。
その事件については、誰も話してくれない。
余程、秘密事項なんだろう。
原田は、旅費を渡してくれた。
「交通費、食事代、宿泊費、全て領収証貰って来て下さい」
「わかりました」
封筒の中を覗いた。
「あのう、これだったら、飛行機乗れませんけど」
「きみ、知らなかったの」
原田は、大きくため息を吐いて説明した。
文楽研修生は、原則、飛行機は乗ってはいけない事になっていた。
「長老会が決めている事なんだ」
「何でですか」
「さあ、直接聞いてみたら」
「いや、やめときます」
梅太夫の頭から噴火する様子が、瞬時に思い浮かんだ。
「まあ、岡山から瀬戸大橋線渡って行けるから」
思わず云ってしまった。
「瀬戸大橋線?きみ何を云ってるの。岡山から宇野線で宇野迄行きそこからは、宇高連絡船で高松。高松から特急で松山だよ」
この時代、まだ瀬戸大橋は出来ていなかった。
瀬戸大橋線の完成は、1988年(昭和63年)だから、この時代から、16年も後の話だ。
原田の云う通り岡山、宇野、船で高松へ。
瀬戸大橋線なら、僅か10分もかからずに瀬戸内海渡るのに、1時間近くかかった。
高松港に着くと、桟橋から一斉に皆走り出す。
特急の自由席に座るためだ。
何とか座れた。
しみじみ、瀬戸大橋線の有難さがわかった。
松山から伊予北条まで電車で30分。
駅から船の渡し場まで徒歩15分。
もう対岸から、鹿島が見える。
船で3分。
海風が、汗をすっと乾かせた。
やっと着いた。
目の前に檻に入れられた野生の鹿がいた。
松山から近いから夏場は、梅津寺(ばいしんじ)海岸と並ぶ二大海水浴場でもあった。
島内唯一の多田屋旅館に着く。
「青磁さんおられますか」
「青磁さんやったら、島内散歩しとるよ」
すれ違い!
まあ出発してなくてよかった。
島内巡り地図を貰って、散策兼ねて島内ぐるりと回る事にした。
後年、伊予北条出身のシナリオライター早坂暁の紹介で、渥美清は、ここをいたく気に入り、暇が出来ると泊りに来ていた。
あちこちに歌碑があった。
伊予松山は、俳句の盛んな街でもある。
路面電車にも、俳句投稿箱がある。
町のあちこちにも俳句投稿箱がある。
さすがは正岡子規、高浜虚子を生んだ街である。
真ん中は、森林だった。
やがて、青磁さんを見つけた。
「青磁さん!」
青磁はゆっくりと振り向く。
「よお」
その表情は、新宿「くつ底」とは比べ物にならない位明るかった。
「見つけたものって何ですか」
「来たまえ」
うしろをついて行く。
大きな黒い御影石に来た。
文字が刻まれていた。
「読んでみろよ」
「わかりました」
「近松が
教えさとせし
世々に伝へて
語り残さん 」
「これは伊予北条で金物屋を営む波頭政治さんが、近松生誕300年を記念して町中から金を集めて作った記念碑なんだ」
近松門左衛門は承応2年(1663年)生まれである。
だからこの記念碑は、昭和38年(1963年)に出来た。
説明する青磁の口調が熱い。
「市井の人々が、これほど近松、浄瑠璃を熱く支持してたんだ」
「はあ」
「何だ。きみは何も思わないのか」
反応の薄い正樹が不服だったようだ。
「すみません。ちょっと疲れているみたいです」
「すまんすまん。兎に角宿に戻ろう」
宿に戻った。
正樹が持参した義太夫三味線を目ざとく見つけた。
「よおやる気満々じゃないか」
さらに青磁は上機嫌だった。
「マスコミはよく、文楽は死んだとか云うよねえ」
「云います」
「あれは嘘。こんな大阪から離れた伊予の北条のしかも云っては悪いが小さな島だよ。しかしここにも熱い支持者がいるんだ」
「ええ。でも数は少ないです」
「きみは、若いのによく人の話の腰を折るなあ」
青磁さんの演説に近い語りはなおも続いた。
「で、波頭さんは、今は自宅で寝たきりなんだ。それで明日の昼間ここの大広間を使ってきみと二人で浄瑠璃をやろうと思う」
青磁は、正樹の返事なんか一向に気にしていなかった。
「第一部は、きみの創作浄瑠璃。この鹿島を見て回った体験でも何でもいい。まかす」
「第2部は」
「二人で古典をやる」
「何を」
「まあ当日までのお楽しみかな」
青磁は、正樹の技量を見抜いていた。
当日云われてもやれるものを持っている。
単なる17歳とは思っていなかった。
翌日、大広間には100人近くの人が集まった。
どんな手はずなのか、地元テレビ局、伊予新聞、広島新聞などのマスコミも詰めかけた。
地元のネットワークは、正樹の預かり知らぬものだった。
熱気の中に、波頭がベッドに横になったまま最前列にいた。
万が一に備えて医師、看護婦も待機。
連絡船も特別に待機していた。
さらに対岸でも救急車が待機していた。
大広間の奥に、特設舞台が拵えてあった。
金屏風も二双置いてあった。
始まりは正樹、青磁二人が出て来た。
青磁は自分の簡単な自己紹介のあと、正樹の事を話しだす。
「彼は、まだ技芸員ではありません。今年から始まった文楽協会の第一期生です。若干17歳です」
場内が静かに揺れた。
銀座ホコ天で義太夫三味線を演奏して、その腕が認められて「銀正」の吟醸酒が出来た話をも披露した。
青磁が去った。
正樹は、ふと最前列のベッドに横たわる波頭と目があった。
意識はあるが、瞳に生気がなかった。
まず、正樹は義太夫三味線の一の糸をつま弾く。
初めて大広間に、重低音がゆったりと浸食を始めた。
波頭は、目を両方ともぱっちりと開けた。
「では、創作浄瑠璃をお聞き下さい」
創作浄瑠璃「伊予(いよ)鹿島(かしまの)熱烈人(ねっきょうてきファン)近松(ちかまつ)噺伝(ものがたり) 」
♬
伊予鹿島では 知らぬ者なし
波頭金物店では 今日も人々集う
近松門左衛門 生誕三百年
記念碑作ろうと 奔走するのだ
民の力に 伊予の力
ついに完成の 時が来る
記念碑に刻む 己(おのれ)の思い
あれやこれやと 頭ひねる
やっと出来たぞ 聞いておくれ
どんな文言を 集めたか
民は興味 しんしんぞ
では皆さま方 耳をすませて
聞いて下され 見て下され
近松が 教えさとせし
言(こと)の葉を
世々に伝へて 語り残さん
時折、波頭の変化を頭に入れながら、義太夫三味線を弾き続けた。
みるみるうちに波頭に変化が起きた。
最初寝たままで、こちらに顔を向けていたのだが、次第に上半身を起こすようになった。
慌てて看護婦は、寝かすようにしたが、その手を払いのけた。
次にしっかりとベッドから起き上がると、他の客と同じように畳に正座した。
身振り手振りで、ベッドを片付けるように云う。
すぐに片隅に移動させた。
「銀正!」
まるで、大向こうのように、声高に云う。
客席から拍手と、やや遅れて波頭と同じ、言葉を叫ぶ客も出て来ていた。
演奏が佳境に入る。
ついに正樹の口から音符が出始めた。
波頭は、手づかみで音符を口に入れて食べ始めた。
ますます元気になり、顔色もよくなった。
それを見て他の客も競って食べ始めた。
大きく大広間にどよめきの大波が押し寄せた。
演奏中、正樹は背中が久し振りに熱くなるのを感じた。
光背が始まったのだ。
仏像と同じく、葉っぱの形で背中の後ろから四方八方に光が拡散し始めた。
さらに頭の上に小さな雲が生まれた。
よく見ると、その雲の上には、仏像が楽器を弾いていた。
時間と共に、雲と仏像の数が増えた。
「あれは、平等院にある(雲中供養菩薩)やな」
持っている楽器は様々で琵琶、笛など多彩だった。
演奏が終わる。
特設舞台の上を小さな雲がゆらゆらと浮かんでいる。
拍手が途切れない。
しびれを切らして、青磁が出て来た。
すぐに青磁の義太夫三味線が流れ出した。
(これは!)
今度は、正樹が驚く番だった。
プリズムのように、格天井に向かって七本の虹が生まれた。
さらに舞台からも大きな虹が二本、上手下手に生まれた。
青磁が目で合図した。
青磁は上手から、正樹は下手からそれぞれ、義太夫三味線を弾きながら登り始めた。
「なにこれ?」
「マジックなん?」
「本物の虹?」
様々な反応の波があちこちで立ち始めた。
反応なんかおかまいなく、二人は演奏と語りを始めた。
翌月の9月に、アイドル歌手天地真理が大ヒット曲「虹を渡って」を発売するが、この時誰も知らない。
知っていたのは正樹一人だけだった。
虹を歩む時、小さな声で、この歌を口ずさんでいた。
対面で青磁はけったいな顔をした。
全く打ち合わせなかったのに、息もぴったりだった。
正樹、青磁は虹を登る。
格天井付近まで達していた。
観客全員が見上げる。
突如、格天井が真っ二つに割れた。
正樹、青磁は小さな雲に乗った。
音楽仏像軍団と合流した。
観客の中には、拝む者もいた。
天高く舞い上がる。
そして、大広間の畳もふわっと浮いた。
よく見ると、建物全体が空に向かって上昇していた。
あっと云う間に海の上にいた。
鹿島全体が親指の先のように小さい。
「奇跡!もっと起こせ!」
波頭ははしゃいでいた。
太陽が眩しい夏の空だった。
青磁の弾く義太夫三味線の音色で空が急変した。
雪が降り出す。
夏から一気に冬である。
屋根のない大広間の観客の頭は、すぐに真っ白に染まる。
「暑い夏ですので、少しはひんやりとしていただきたいと思います」
いつの間にか、再び地上に戻った。
しかし、大広間の縁側にある掃き出し窓からは、雪が降り出していた。
「ほんまに雪が降っとる!」
「ほれみい、松の木が雪で綿帽子じゃ」
「雪や!雪や!」
小さな子供は縁側に駈け寄って掃き出し窓を開けた。
途端に、雪が吹雪となって、大広間に押し寄せた。
係の人がすぐに閉めた。
「やっぱり雪じゃあ」
「波頭さん、どんな仕掛けしとるのん」
「さあ、わしも知らん」
大きな声で喋り、笑った。
青磁の出し物は、近松門左衛門作
「傾城恋飛脚(新口村の段)」
これは、季節が冬で、雪深い大和の新口村の話だ。
物語の季節感を共有するために、雪を降らしにかかった。
しかし、人工的な仕込みでは決してない。
あえて云うならば、正樹、青磁の深い念じる気持ちが形になって現れたのだ。
公金横領した忠兵衛は、傾城梅川と逃げる。
一目、自分の父親孫右衛門に梅川を見せたかったのだ。
歌舞伎の場合、二人は、舞台奥の竹藪の中へ去って行く。
スロープ道を、遠近法の実写版として同じ恰好させた子役二人を歩かせる。
それを孫右衛門は立って見送る。
正面向く。後ろの松の枝から雪がばさりと降りて幕となる。
文楽の場合は、
「子を思ふ、平紗の善知鳥血の涙。長き親子の別れには・・・」
と孫右衛門は呟きながらとぼとぼ歩く。
家はゆっくりと下手に動く。
皆泣いていた。
哀切のある正樹の義太夫三味線、青磁、正樹の太夫の語り。
何の打ち合わせないのに、
青磁→孫右衛門、忠兵衛
正樹→梅川
となっていた。
正樹は、高音が出るのを青磁は知っていた。
「くつ底」ライブで確認済みだった。
終演後そのまま広間でお疲れさん会が開かれた。
波頭は、乾杯の挨拶するまでに急速に元気さを取り戻していた。
「信じられない!こりゃあ奇跡だ!」
医者は、駈けつけた記者らに興奮して喋っていた。
翌日の伊予新聞には、
「奇跡の義太夫三味線の音色!」
「寝たきりの波頭さん、聞いて起き上がる」
「文楽研修生らが、奇跡起こす!」
「伊予北条で義太夫三味線・浄瑠璃公演」
「虹を渡る、文楽若者たち!」
「何で新口村やったんですか」
一番聞きたかった事を正樹は青磁に尋ねた。
「まあ新口村と云うか、あの三人の心情をやりたかったんです」
青磁は波頭を見ながら云った。
「青磁さん、わしゃあ、もう涙が止まらんかった」
「新口村出身だったんですか」
「いいや、わしゃあ生まれてからずっと伊予北条じゃあ」
「じゃあ、何で」
波頭はぽつぽつと話し始めた。
自分には、もう20年近く、音信不通の一人娘がいた。
どこで何をしているのか、皆目わからないらしい。
「そうだったんですか」
さらに波頭は、何かを話そうとした。
「まあここら辺でいいじゃないか、正樹君」
ここで青磁は、波頭の話を遮った。
素晴らしい青磁との演奏だったが、宴席は少し謎が解けぬままお開きとなった。
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