第3幕 大阪の空気の段

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 6月は、文楽は大阪公演だった。

 11名の研修生も師匠と同じく大阪に行く事になった。

 宿泊所は、森の宮の青少年会館。

 国鉄大阪環状線森の宮駅下車。

 大阪城を斜め右手に見ながら、中央大通り、阪神高速道路に沿って西を目指す。

 高架である阪神高速もこの区間は、地べたを走る。

 それは難波の宮の遺跡が地下にあるので、高架にすると橋脚が遺跡を壊してしまう可能性がある。

 だから高架でなく地べたなのだ。

 青少年会館には会議室もあり大阪公演の時は、ここが講義室となった。

 文楽公演場所は難波道頓堀朝日座。

 堺筋に近い場所。

 昭和59年に大阪文楽劇場が出来るまで、文楽公演はここだった。

 元々、文楽は大阪発祥であり、道頓堀は、竹本義太夫が近松門左衛門と組んで文楽公演を行った場所だった。


 この日11名全員、朝日座の梅太夫の楽屋に呼ばれた。

 1階の舞台の奥に楽屋があった。

「皆も知ってると思うけど、文楽は大阪が発祥。しやから第1期生には、何が何でも大阪出身者が欲しかった」

 11名の中で一番大阪に近いのは、広島出身の正樹だった。

「もし大阪出身でも、義太夫三味線も弾けない、語りも出来ないどうしようもない人、受験してたらどうしたんですか」

 正樹は聞いた。

「それでも即、合格」

 一同は笑った。

「何でですか」

「大阪弁と、大阪の空気をそいつは絶対に持ってるはずや」

「空気て何ですか」

 上条が尋ねた。

「さあ、それやがな。大阪の空気。皆一編吸うて来てみい」

「師匠、すでに吸うてますけど」

 正樹が口を挟んだ。

「阿保!その空気と違うがな」

「どの空気ですか?」

「しやから、これからここ行って吸うて来い!」

 梅太夫は、皆の前に11枚の切符を差し出した。

「今、大阪は文楽は入らん。残念ながらな。招待券でも入らん」

「そうなんですか」

「一方、ここはよう入っとる!」

 梅太夫が差し出したのは、道頓堀中座で上演中の竹松新喜劇だった。

 当時、大阪ではテレビで毎週土曜日には、正午から吉元新喜劇、午後2時過ぎから藤川トンビ率いる竹松新喜劇の泣き笑い芝居を上演していた。

 幼い頃からこの二つの種類の違う喜劇を見て育った大阪人は、笑いのレベルも厳しく、さらにボケる、突っ込む、二大要素を幼い頃から見て育つのだ。

「今、藤川トンビがな(三業の人)云う文楽の世界の芝居で、太夫、義太夫三味線、人形遣いの一人三役の芝居やってるんや」

「そんな事、無理ですよ」

「そうやろう。けどやっとる。それを皆で見て来なさい」

 三つの班に分かれて見に行く。

 正樹、上条、仙仁、船田は同じグループだった。

 事務局は、きちんと仲間、グループを見ていたのだ。

 道頓堀中座。

 江戸時代より、芝居町として栄えて来た。

 五座の櫓と呼ばれていた。

 櫓は、幕府が認めた正式な芝居小屋だけに掲げられる印。

 だから櫓がある劇場は、格式高く、客も役者も憧れのハレの空間だった。

 浪花座、中座、角座、朝日座(後の東映映画館)、弁天座(後の朝日座)である。

 一番西側の御堂筋に近い松竹座は、これには入らない。

 その五座に入らない松竹座のみ残り、後は跡形もなくなくなった。

 中座。キャパ1100人あまり。

 改装する前の数。

 昭和61年に改装されて800余りに減った。

 竹松新喜劇は毎月、昼夜違う演目3本ずつ、合計6本の芝居。

 それを稽古1日だけで本番迎えていた。

 注目の「三業の人」始まる。

 上手の文楽回しに藤川トンビが義太夫三味線を持って座る。

 その隣りの太夫は人形である。

 トンビの語りと、人形の動きが見事にちょっとずつずれる。

 その度に場内は、笑いの爆弾が投下された。

 あまりにも可笑しくて、腹が痛くなる正樹らだった。

 笑い過ぎて、腹が痛くなる感慨はこれが初めてだった。

 絶妙な「間」だけで、場内を笑いの神様のラッシュアワーにさせていたのだ。

 笑いながら、見ず知らずの人の肩をガンガン叩いている人もいた。

 叩かれた人も決して怒らずに、一緒になって笑いをまぶしていた。

 それは正樹らも同じで、皆初めて見るトンビの喜劇王の演技に身体をのけぞらしていた。

 さらにトンビは、義太夫三味線を弾き、語り、さらに舞台中央にいた人形遣いを追い出して、それまでやり出す。

 場内は笑いから拍手に切り替わる。

 義太夫三味線一つとっても、完璧だった。

 事前に、トンビの耳に文楽の研修生が見に来てると入っていた。

 大詰、トンビは花道七三に立ち、正樹を見ながら台詞を云う。

「世間の人は文楽は古臭い、面白ないと云うけど、それに誰も対応してない。面白なかったら、よし俺が面白くしたろと気概持たなあかんのと違うんか!」

 ひと呼吸置いて、再び場内から大きな拍手が鳴り響く。

「藤川トンビ」

 大向こうもかかった。

 トンビはここで義太夫三味線の一の糸を鳴らした。

 たちまち、場内は静まり返る。

 一人で1000人と対峙して、1000人のこころを自分と自分が弾く義太夫三味線に向かわせる。

 軍隊で号令かけても、中々揃わない人たちを、芸の力だけでやっている藤川トンビは、やはり大きな役者だった。

 正樹の両手は、トンビの奏でる義太夫三味線に合わせていた。

 エンディングの音楽が被さる。

 大きな拍手を背中に受けて、トンビは花道入りした。

 ゆっくりと緞帳が降りた。

 場内は、トンビの醸し出した芝居オーラがまだ漂い、すぐに席を立てない客が大勢した。

 暫く間を置いて、正樹も席をゆっくりと立ち上がろうとした。

 トンビの付き人が、客席通路を客をかき分けて走って来た。

「文楽の研修生の方ですよね」

「はいそうです」

「トンビが楽屋でお待ちかねです」

 恐らく、梅太夫から話が行っていたのだろう。

 正樹らは、中座二階の楽屋に行った。

 鉄の扉の向こうは、事務所だった。

 トンビが座っていた。

 思っていたよりも狭い楽屋だった。

 広さは、6畳ぐらいだろうか。一室のみで控えの間はなかった。

 風呂もトイレも部屋にはついていなかった。

 風呂トイレは、同じ階にあった。

 階段を下りれば、すぐに楽屋口。

 エレベーターはなかった。

 晩年、中村歌右衛門が中座出演した時、足の不自由なため階段手摺に座ったまま昇降出来る電動椅子を設置した。

「お連れしました」

 トンビは化粧前(鏡)に向かっていたが、くるっと振り向く。

「さあさあ、未来の文楽の星の人らや、こっち入って」

 正樹ら4人は正座した。

「足崩してや」

「はい」

 と云いながら誰も崩さない。

「どうやった、芝居は」

「はい、最高に笑いました」

「君ら、どこの生まれや」

 上条は新潟生まれだが、ほとんど東京育ち。

 仙仁は埼玉。船田は群馬。正樹は広島だった。

「大阪出身は、第一期生の中にはいないんです」

 上条が代表で喋った。

「それは残念やったなあ」

「梅太夫師匠も事あるたびに云うてます」

「きみ、若いなあ。幾つや」

 正樹の顔を見て聞いた。

「坊屋正樹です。今年17歳になります」

「羨ましいなあ!」

「トンビ先生、こいつ義太夫三味線、無茶苦茶上手いんです」

「ほお若いのに。どこで習ったんや」

「母親が、広島で義太夫三味線の流しやってまして」

「広島かあ。巡業で行った時、その話聞いた事あるでえ」

「正樹、弾けよ」

 早速上条がけしかけた。

「ここでか」

「ああ、ね、先生」

「でも義太夫三味線は」

「これ使いなさい」

 壁の四隅に置いてある、舞台で使っていた義太夫三味線を差し出した。

 付き人が、正樹に渡した。

「有難うございます」

 日頃は、母親から貰い受けた義太夫三味線で弾いていた。

 こうして、他人の義太夫三味線で弾くのは、ちょっと緊張する。

 黙って、弦の調整をする。

「では、今の舞台を見ての感想を、創作浄瑠璃でやります」

 トンビは、大きな拍手をした。


 創作浄瑠璃「笑(わらいの)神様(かみさま)降臨(まいおりる) 」

 ♬

 笑いの殿堂   道頓堀中座

 笑いの神様   藤川トンビ

 太夫三味線   人形遣い

 背負う一人の  三つの世界

 役者が作る   虚構の世界

 それを求めて  行列市民

 つま弾くは   生きる三味線

 語り泣かす   太夫のこころ

 生きてる魂   人形遣い

 三業世界    一人役者

 艱難(かんなん)辛苦(しんく)の   芸の力か

 客の笑いが   糧(かて)となる

 客の涙が    おかずとなる

 客の拍手が   耳に届く

 これからも   続く芸の道

 いついつまでも 届ける笑い

 では最後まで  ごゆるりと

 観劇して下され お願い致します


 正樹が弾き出すと、トンビはおやっと表情を変えた。

 瞬く間に、正樹の義太夫三味線世界に全員が引き込まれた。

 最後の方では、色のついた音符がどんどん、正樹の口から、弦から出て来る。

 背中が光り出した。

 今までは背中だけだったのに、線状の光りは背中から頭まで広がっていた。

 さらには、膝の周りからも光り出した。

 光りは眩く幾十もの束を放っていた。

 その輝きは、楽屋の暖簾を突き抜けて、廊下にまで届いていた。

 トンビは、目を輝かせて、音符を掴んでは、口の中に入れたり、頭の上に集めてはごしごし擦っていた。

 背後で控える3人の付き人も目だけ♬音符を追いかけていた。

 演奏が終わる。

「面白いなあ」

 トンビはうなった。

「君ら、今月は大阪におるんやな」

「はい。師匠らは朝日座で文楽公演やってますから」

「僕らは研修生なので、舞台には出ません」

「惜しいなあ、ほんま惜しいなあ」

 トンビは、正樹の顔を見ながら何度も云った。

 トンビは、楽屋部屋の降り口に立つ付き人に目配せした。

「ほんまに忙しいのに、ご苦労さんやったな」

 一人づつ、「松の葉」と書かれたポチ袋を渡した。

「そして演奏、語りの坊屋正樹くんには、これも上げる」

 とこちらは、祝儀と書かれたものをくれた。


「ギョエッ!」

 宗右衛門町の近くの喫茶「サンライズ」に入った。

 カウンター6席、ボックス席3つの小さな喫茶店だった。

 店内ではジムホールの「アランフェス協奏曲」が流れていた。

 有線放送ではなくて、入り口には蓄音機、棚には大量のLPレコードジャケットが窮屈に収まっていた。

 一斉に先程貰った「松の葉」を開けた。

 一万円札が顔を出した。

 だから一同のけ反り、声を上げた。

「松の葉って何?」

 正樹が聞いた。

「祝儀でも安い値段、ちょっとしたお茶代って云う意味です」

 カウンターの向こうから女性の声が飛んで来た。

 慌てて4人は、一斉にカウンターに視線をやった。

「お宅ら、竹松新喜劇の人?」

 柔和な笑みが印象的だった。

 喫茶サンライズのママ、川崎章子だった。

「いえ、文楽です」

「ああ、朝日座やねえ」

「でも僕らまだ研修生なんで、舞台には立ってません」

「文楽研修制度は、今年から始まったんやねえ」

「よくご存じですね」

「もうこの店、文楽の朝日座、寄席の角座、芝居の中座と芸人さんで持ってるようなもんやさかい、最低限の情報は知ってないとねえ」

 章子ママはほくそ笑む。

(キャンディーズの伊藤蘭に似てる)と正樹は思った。

「松の葉が一万円て!どれだけお茶が飲めるんだよ」

 船田は叫んだ。

「うちのコーヒーは一杯300円です」

「かなり飲める!」

「どうぞ、何杯でも。出前もやってますよってに」

「出前出来るんですか」

「はい」

 ママは、各人に店のマッチをくれた。

「坊屋君、祝儀もここで開けようじゃないか」

「ここでですか」

「そうだ!僕らに隠し事はいけない」

 渋々云われて開けた。

 中から一万円札が五枚顔を出した。

「五万円!」

 正樹は、広島の実家から毎月3万円ずつ仕送りされていた。

 2か月分近くのの金額だ。

 当時封書20円、葉書10円。

 銭湯代50円。食パン一斤60円。

 大卒初任給50600円。

 国立大授業料36000円の世界である。

「ギョエー!」

 一同の叫び声が店内に響いた。

 秘密だぞと正樹は、3人に云ったが、何故か翌日には梅太夫の耳に入っていた。

 梅太夫の楽屋に呼ばれた。

「えらい、中座で営業してるみたいやなあ」

「いやその」

 口ごもる。

 大切な五万円を取り上げられると思った。

「今晩、はねたら(終演)わしとちょっとつきあってくれ」

「どこへですか」

 別件だったので、ほっとした。

「ついて来たらわかる」

「はい」

 楽屋部屋出ようとしたら、

「その金、トンビさんからのやで。しょうもない女遊びとかに使うたらバチあたるで」

 梅太夫の言葉が背中に突き刺さった。

 6月道頓堀朝日座では、

「傾城(けいせい)反魂(はんごん)香(こう) 土佐将監(とさのしょうげん)閑居(かんきょ)の段」が上演されていた。

 吃音で上手く話せない絵師、又平は、弟弟子の修理之介に出世を先越される。

 最後、師匠の前で手水鉢の石面に描く。

 気迫のこもった絵は、裏面から表へ突き抜けるのだ。


 ♬これ今生の名残の絵


 梅太夫の額には汗の粒が覆われて、顔を振ると横で義太夫三味線を弾く、竹之輔の肩に飛び散る。

 気迫では梅太夫も負けてなかった。

 舞台を終えて、梅太夫がやって来た。

 正樹がいるのを見て立ち止まり、

「石を突き抜ける絵があるんやから、義太夫三味線を奏でる演者の口から♬音符出て来るのもありやな」

 大きな声で云った。

「すんません」

「謝るなんてもったいない!」

 その後、大声で笑った。

 梅太夫、竹之輔の着替えを手伝って朝日座を出た。

 道頓堀から太左衛門橋を渡り、宗右衛門町を通り抜ける。

「サンライズ」の前を通りかかる。

 丁度、透明のドアが開いて章子ママが出て来た。

「梅太夫師匠、竹之輔師匠、それに研修生の正樹くん!」

「何や、お前章子ママ知っとるんか」

 じろっと二人が後ろを振り返る。

「はあ、まあ」

「17歳で年上好きなんか」

「15歳くらい年の差あるで」

「師匠、恋に年の差はありません」

 章子ママが答える。

「ママさん、不倫はあかんでえ」

「もうあんなぐうたら亭主いりまへん」

 少し立ち話して、すぐ横の大きな料亭「富士屋」に入る。

 大きな座敷に通される。

 能舞台がある大きな広間だった。

「えらい待たせてすんまへん」

 すでに、先客がいた。

「藤川トンビ先生!」

「おお、天才義太夫三味線弾き少年!」

 仰々しい形容詞で呼ばれた。

 普段、竹松新喜劇の夜の部の終演は午後9時頃

 しかし、今日はこの日の宴会のために、午後7時半に終わらせた。

 1時間半も縮めるとは!世間一般では凄いと云われるが、トンビにしてみればお茶の子さいさい。

 団体が7時に出ると云えば、その時間に終わらすのだ。

 幕間を詰める。だから何分と表示しない。

 館内放送も

「しばらく、休憩いたします」である。

 大道具の建て込み、照明器具の仕込みを舞台袖から見ていて

「早よ早よ」と云って、急がせる。

 時には、装置を持つ手伝いをする。

 アドリブもなし、自分の台詞も最小限にして早く終わらすのだ。

 トンビの姿を見て、一挙に正樹の緊張は増した。

 喜劇王藤川トンビ、文楽界の長老梅太夫に、後年師匠となる義太夫三味線の矢澤竹之輔の巨頭3人に囲まれたからだ。

 いっぺんに喉が渇く。

「えらい若い男の子に三人の爺さん、中年男が狙うて、おお怖い」

 声の主、富士屋の女将富士恵美が座敷に入って来た。

 手には、義太夫三味線を持っていた。

「坊屋正樹くん、君は明日から今月いっぱい森の宮の青少年会館での授業は来んでもええ」

 いきなり梅太夫は宣言した。

「ええええっ、師匠、僕何か悪い事しましたか」

「わしの喋りは、まだ終わってないで。続きがある」

「まあ、焦らんでもじっくり聞きや」

 竹之輔が笑って云った。

「君は明日から中座の(三業の人)の舞台に出る」

「ええええええええええ!」

「えが多い男やな」

「ええ」

 思わず正樹は、口に両手を持って行った。

「詳細はトンビ先生から。長老からは以上。ほんなら飲みまひょか」

 宴が始まった。

「トンビ先生、その明日からの僕が出る芝居の台本下さい」

「台本?そんなもんないがな」

「じゃあどこで出るんですか」

「口伝えで云うから」

「正樹くん、先に云うとくけど、毎回、出る個所変わるからな」

 竹之輔は云った。

「それで、今からちょっとした試験やる」

 と云ってトンビは軽く柏手を打つ。

 大広間に芸妓舞妓総勢30人が出て来た。

「この富士屋の名物が(南地富士屋ペラペラ踊り)なんや。今夜は坊屋正樹・義太夫三味線版でやって欲しい」

「けど、僕歌詞知りませんけど」

「歌詞も音調も自由に変えたらええんや」

「そしたらお願います」

 正樹のこころの戸惑いを無視して舞妓が能舞台に整列した。

「お兄さん、おたの申します」

 もうここまで云われたならやるしかなかった。

 義太夫三味線の調子をすぐに合わせた。

「それでは、坊屋正樹版やります」

「題名は何や」

「そうですねえ」

 居並ぶ芸舞妓を見て閃く。

「今風ペラペラ舞踊噺です」

 拍手が鳴り響く。


 創作浄瑠璃「今風(げんだいばん)平良(ぺら)平良(ぺら)舞踊(おどり)噺(ばなし) 」

 

 ♬

 大阪南地の     名物は

 ご存知の方     おられようが

 今宵は別の     味を召し上がれ

 宙に舞う      舞妓芸妓

 あれあれと     口を開けて

 見物あれと     申します

 くるくる回り    目も回る

 踊り子足上げ    倒立す

 ぐるりと回り    始めたぞ

 どの子あの子も   びっくりだあ

 びっくりするのは  まだ早い

 さらに色めき    立つ観客

 今風トーテムポール 完成ぞ

 歓声拍手ざわめき  全てが手のひら

 それらの現象    みなもとは

 義太夫三味線    音色の誕生

 音符食べて     満腹満腹じゃあ

 さあさあ皆さん   手を取り足取り

 騒ぎましょう    踊りましょう

 今風にアレンジ   南地ぺらぺら踊り  


 いよいよ最高潮の時だった。

 突然、義太夫三味線の糸がたわむ。

 いきなりのアクシデントだった。

 まるでトンビがわざと、そうなるように仕込んだかのようだった。

 正樹は、語りながら器用に、糸を直した。

 ペラペラ踊りの最高潮は、踊り子が一列に並んで、顔を客席に向けたまま、両足を高々と挙げる。

「金のしゃちほこ」である。

 それが来た。

 突然、踊り子がふわっと浮いた。

 義太夫三味線から、白い煙が出て来た。 

「さあ始まりましたな」

 梅太夫もトンビも竹之輔も喜び始めた。

 一番驚いたのは、当事者の踊り手と女将の恵美だった。

「何だんねん、これは!」

 すでに恵美女将は腰を抜かしていた。

 一列に並んでいた踊り子は、大きな円を描いてゆっくりと回り出した。

 さらに早くなる。

 そして、四つのグループに分かれて、それぞれの塔を作った。

 人間トーテムポールである。

 一つの塔が五人で縦に段々作られた。

 天井から上手から下手から桜が舞い散り出した。

 桜の花びらが義太夫三味線に降りかかる。

 正樹の頭上にもかかり始めた。

「誰だんねん、桜の仕込みなんかしたんは」

 女将が絶叫した。

「いやあ、あれは坊屋くんが弾いてる義太夫三味線の魔力ですよ」

 竹之輔が云う。

「これ、ほんまに凄い」

 何度もトンビは唸った。


     ( 2 )


 翌日、青少年会館を出て、大阪環状線外回りで森の宮から鶴橋へ。

 鶴橋から近鉄難波線で難波へ行く。

 近鉄難波から、道頓堀へ歩いて五分くらいだ。

 楽屋入りする前に、竹之輔に云われて、法善寺横丁の、水かけ不動産にお参りした。

 苔で覆われたお不動さんは、芸能人、水商売の人のお参りが多かった。

 中座の楽屋に入る。

 楽屋番のおかまの山ちゃんこと、山田進が声掛ける。

「まあ、若い、若い!興奮する」

 と云いながら、ぺろっとお尻を撫でて来た。

 びくっと姿勢を正す。

「うふっ、もう感じやすいんやねえ」

「坊屋正樹さん、お待ちしてました」

 弟子が慌てて二階から階段を降りて来た。

 正樹は、舞台上手袖の階段から3階へ行こうとした。

「正樹さん、こっちです」

 弟子が連れて行ったのは、昨日までトンビが使っていた、最高の楽屋だった。

「えっトンビ先生は」

「僕らと相部屋です」

 花屋が多くのランの楽屋見舞花を持って来た。

 初日並みの混雑だった。

 その混雑は、場内にも及んでいた。

 トンビから中座宣伝部通じて、急遽御社日、つまりマスコミ記者の観劇日となった。

 さらに在阪民放テレビ4局(毎日、朝日、関西、読売)とNHKも来ていた。

 一階場内後方にずらりとテレビカメラが並ぶ。

 開演すると、緞帳前に、マイク持った新喜劇の役者が出て来た。

 そして芝居「三業の人」に文楽研修生の正樹が出る事が紹介された。

 番付(筋書)も急遽、配役欄変更、チラシ、ポスターも全面刷り直した。

 中座の前、場内に告知看板も掲出された。


「天才文楽研修生・坊屋正樹特別出演!」


 立て看板の黒地に白の手書きの文字がでかでかと浮かんだ。

 どうも落ち着かない。

「天才」の文字のせいだ。

 正樹に一人のトンビの付き人があてがわれた。

 春葉陽子19歳。東京赤坂料亭「春葉」のひとり娘だった。

 正樹が義太夫三味線の調律を始めた。

「失礼します」

 暖簾をかき分けて、陽子が入って来た。

「お茶です」

「有難う」

「それが、噂の義太夫三味線なんですね」

「何の噂ですか」

「宗右衛門町の富士屋で手品三味線したんでしょう」

「あれは、僕の義太夫三味線じゃなくて、富士屋さんが用意したものなんだ」

「何でも来いって事ね」

「陽子さんは東京なんですか」

「はい。実家は赤坂料亭(春葉)です。私も義太夫三味線を習っているんです」

 その時、来客が顔を見せた。

「よお、元気か」

 上条と、妹の秀美だった。

「秀美さん!」

「じゃあ私はこれで」

 出て行く陽子を目で追う秀美。

「あの子誰?」

「僕のお世話係」

「おいおい、もう付き人ついているのか」

「トンビ先生の計らい。この楽屋も本来はトンビ先生なんだ」

「だろうなあ。楽屋出て鉄の扉空けたら、すぐ事務所。階段降りたらすぐ楽屋口だもんな」

「私、今朝の新幹線で来ました」

「有難うございます」

「正樹くん、今月ずっと中座でしょう」

「はい」

「来月7月はどうするの」

「研修生は夏休みなんで、前半はアルバイトでもして後半は広島に帰ろうかと」

「どこでバイトするの」

「まだ決めてない。所でヒロコはどうしたの」

 大阪への一か月の遠征が決まっていたので、ネコ、ヒロコを秀美に預かって貰っていたのだ。

「大丈夫、バスケットに入れて持って来てるから」


 舞台袖には、予備の義太夫三味線も用意された。

 それを陽子は持っていた。

「それ誰のもの」

「これ、私のものなんです」

「いつも持っているの」

「はい。舞台では使わないんですけど、そばにあるだけで妙に落ち着くんです」

「あっその感覚一緒」

「正樹さん、来月東京なんでしょう。東京で義太夫三味線教えて下さい」

「陽子さんも東京なんですか」

 毎年7月は、竹松新喜劇は、東京新橋演舞場で一か月公演を行っていたのだ。

「これ連絡先です。電話下さい」

 紙片をくれた。


 本番が始まる。

 トンビの太夫に正樹の義太夫三味線だった。

 開演前、トンビは

「創作浄瑠璃は、きみに任すからな」

「先生は」

「わしは太夫と人形遣いやるから」

 簡単な打ち合わせだった。

 しかし、本番・・・

 全く別の場面で、花道七三でトンビが、

「ああ、義太夫三味線の音色が聞こえて来た」

 アドリブを早速ぶちかまされた。

 もちろん、音響係も、そんな音源は用意してなかった。

 正樹は、義太夫三味線を携えて上手から出た。

「あんさんでしたか。若いのにええ義太夫三味線の音色出しますなあ」

「いやあ、それほどでも」

「もっと聞きたいなあ、続きお願いします」

 正樹は弾き出す。

 トンビは、一旦下手にはけて、すぐに出て来た。

 トンビも義太夫三味線を持っていた。

 二人の合奏が始まる。

 

 創作浄瑠璃「猫(ねこと)共演(ともに)歩行(あゆむ)音符(おんぷ)世界(ワールド) 」

 ♬

 猫のヒロコが   やって来た

 はるばる東京から やって来た

 会いたかった   にやん!

 抱いて欲しかった にやん!

 中座の舞台    威風堂々横切り

 役者顔負けの   貫禄風情に

 さすがのトンビも 驚いた。

 ネコが肩に乗り  頭で踊っても

 決して乱れぬ   義太夫三味線

 決して騒がぬ   観客たち

 観客魅了の    ネコとの共演

 道頓堀に     新たな歴史を

 刻む足跡爪痕   人でなくネコ

 ネコ出ちゃった  舞台に

 ネコ出ちゃった  中座に

 それを見て客   驚き笑う

 何でもありの   芝居町

 おおらかな    人々よ

 笑いとネコと   義太夫三味線

 さあさあさあ   身に来てにゃん

 さあさあさあ   笑いに来てにゃん


 途中で客席がざわつき始めた。

 正樹は義太夫三味線に夢中だったが、トンビは、演奏をやめて舞台後ろを見ていた。

 白い猫が出て来た。

 ゆっくりと下手から出て上手に引っ込んだ。

 今度は上手舞台前から出て来て、ひょいと正樹の肩に乗った。

「あんさん、猫の調教師だっか」

 トンビのアドリブに、客席に爆笑がさく裂した。

「ヒロコ!」

「その猫、ヒロコと云うんですか」

「はい」

「あんさんの、恋人ですか」

「いえ、猫です」

「それはわかってるがな。誰も犬とは思わないワン!」

 中座は、爆笑の海と化した。

 正樹は義太夫三味線を激しく弾き出した。

 ヒロコは踊りながら、正樹の左右の肩、頭の上で踊り出した。

 拍手が巻き起こる。

 さらに調子に乗ったヒロコは、正樹の肩を、交互に猫足で叩き出した。

 正樹、トンビの口から音符が出て来た。

 音符はゆっくりと漂い、客席に流れた。

 多くの観客が音符を取り合った。

 鞄の中に入れる者、食べる者、一口舐めて、手に持つ者、色々な音符の取り扱い光景だった。

 正樹の額、頬、首筋から玉の汗も飛び出す。

 汗はシャボン玉のように大きくなり、これもふわふわと漂い始めた。

 騒ぎを聞きつけて、上手下手には多くの裏方が顔を縦に5つぐらい並べて見ていた。

 大道具の中には、スノコ(舞台天井)まで上がって、下を見る者もいた。

 当然の事ながら、マスコミに知れ渡る。

 このアクシデントがさらに正樹人気を押し上げた。

 大手一般紙、スポーツ紙も一面で取り上げた。


「文楽の新星現る!」

「奇跡の義太夫三味線演奏!」

「ネコも共演する!」

「これはマジックか?奇跡か?」

「トンビは真相語らず!」

「義太夫三味線から音符飛び出す?」

「文楽協会、沈黙する」

「若干17歳で異次元ワールド作り上げる!」


 広島の照子から葉書が届いた。


「はーい、ネコの調教師正樹ちゃん、元気かね。

 広島ではあんたとヒロコの共演がえらい話題になっとるよ

(三玄)のお客さん、ヒロコの事知っとるから

 でもお客さん皆が云うとる。

(正樹くんはいつから文楽やめて、竹松新喜劇に入ったの?)

 初心忘れたらあかんよ」


 正樹は、ヒロコに一か月公演で大阪に行くから留守番出来るかと聞いた。

「大丈夫」とヒロコが云った。

 しかし、秀美に頼んだ。

 秀美が、バスケットに入れて新幹線で運んだ。

 秀美がバスケットに入れて客席に置いて、楽屋に行ってる間に抜け出したのだ。

 その後、舞台袖で正樹は捕獲した。

 すぐにトンビの楽屋に謝りに行った。

「何や、仕込みかと思うた」

 トンビは笑っていた。

 アクシデントがあろうと、お客様が笑い、満足して貰ったら、それでいいのだ。

 どこまでも笑いに貪欲なトンビだった。


 授業は、森の宮の青少年会館会議室で行われた。

 中央大通りを隔てて、大阪城公園があり、すぐの所に、日生球場(現在はない)があった。

 関西6大学野球も行われていた。

 正樹は劇場入りは10時入りだった。

「昼の部」二つ目の「三業の人」だけの出番。

 公演の中日を過ぎると、昼の部、夜の部の演目を入れ替えた。

 当時新喜劇も、南座歌舞伎顔見世興行も中日を挟んで、昼夜の演目を入れ替えていた。

 だから、今度は夜の部の二つ目、時間は夜の部4時開演で、二つ目が始まるのが、5時半だった。

 中日以降は、ほぼ全部受講出来るようになった。

 今日の義太夫三味線の授業講師は、亀澤青磁だった。

 竹之輔も弟子の千之輔も朝日座出演中なので、代打である。

「文楽は基本、古典が大事です。創作浄瑠璃なんてもっての外」

 じろっと正樹を人睨みしながら喋った。

(嫌な奴)

 でも正論だなと思った。

 技量なら、17歳の身体で50年キャリアを持つ不思議な人間に仕上がっていたので、嫌味云われても何ともなかった。

「でも坊屋正樹君は、師匠の許可貰って、中座の新喜劇の舞台出てます」

 手も上げず、その席に座ったまま上条が云った。

(云わなくてもええのに)

 火の粉が、収まりかけてるのに、ガソリン投入した。

「それは邪道の極みです」

「じゃあ何故文楽協会は許可してるんですか」

「私は反対です」

「反対理由は」

「そんな暇があるなら、基本を勉強しなさい」

「でも正樹くんは、その基本が出来てるから新喜劇に呼ばれたんじゃないでしょうか」

「もういいよ、上条くん」

 辛抱たまらずに、正樹は立ち上がった。

 自分の事で、大切な授業時間を無駄にしたくなかった。

「では、授業続けます」

 亀澤青磁もその事に気づいたようだ。

 青磁は、顔色が青く、声も小さい。

 義太夫三味線弾きなので、公演中も太夫と違い声を出さない。

 じっと耳を澄まさないと聞こえない。

 正樹は聞こえなくても、指の動きで何を伝えたいかすぐにわかる。

 青磁は正樹を指名しない。

 一度も当てない。


 昼からの「歌舞伎」の授業は、上方歌舞伎の一人者である中林雁太郎だった。

「残念ながら、関西の歌舞伎も文楽と同じく、絶滅危惧種です」

 自虐に説明した。

「関西で歌舞伎公演があるのは、年に一回、南座の顔見世だけです」

 云われて見ればそうだ。

「東京歌舞伎座も、年中歌舞伎やってません。三波春夫ショーとか歌手芝居もやってます」

 そうだった!

 この時代は、まだ一年12か月歌舞伎公演は出来てなかったのだ。

「今日は、早口言葉をやります」

 初めての試みだった。

「早口言葉、実は歌舞伎にあるんです」

 雁太郎が説明した。

 歌舞伎十八番の中の「外郎売(ういろううり)」

 この中に出て来る。

「梅雨の中での貴重な晴れ間です。今日は、向かいの大阪城公園で、早口言葉をやりましょう」

 平日の公園なので、人も少ない。

 日頃、青少年会館と朝日座の劇場通いで、あまり外の空気を吸っていない。

 太陽がまぶしかった。

 研修生はテキストなし。

 雁太郎だけ持っていた。

「外郎売」の中で出て来る早口言葉を披露。

 研修生は後に続いた。


「天目百ぱい棒八百本」

「武具馬具、武具馬具、三武具馬具、合わせて武具馬具六武具馬具」

「がらぴいがらぴい風車」


 外で大きく声を発するのは気持ちよかった。

 ふと後ろ振り返ると青磁がいた。

「おい、青磁いるぞ」

「何でいるんだよ」

「わかんねえ」

 早口言葉が終わる。

「やあ青磁さんも参加ですか」

「はい」

 一挙に暗雲が立ち込める。

 青磁は空気を変えて、雨まで呼ぶらしい。

「雨が降って来ました。帰りましょうか」

「中林屋さん、大丈夫です。私が雨雲を追い払います」

 青磁は云った。

「何が始まるの」

「青磁のひとり舞台」

「それを研修生に見せるために来たのか」

 青磁が義太夫三味線を持って立つ。

 二丁持っていた。

 一つは自分、もう一つは正樹のだった。

「坊屋君、前へ」

 云われて前へ正樹は出た。

「ここで私と君とで、雨雲追い払い対決しようじゃないか」

 つまり、義太夫三味線を弾いて雨を追い払うのである。

「これって、京都の神泉苑での東寺の空海、西寺の守敏の雨ごい対決の逆バージョンだよな」

 上条が云った。

 先行の西寺の守敏は、祈祷しても雨は降らなかったが、空海が祈ると大雨になった。

 今は、雨から晴れの逆祈祷だった。

「まず坊屋君から」

 先程から雨が降り出した。

 先行は不利だった。

 雨は本格的に降り出した。

 雁太郎、研修生は木陰に避難した。

「時間は」

「気のすむまで」

 ニヤリとした。

「義太夫三味線弾くだけで、雨がやむなんて信じられません」

「義太夫三味線弾くだけで、音符繰り出す人もいるんだよ」

 青磁の正樹に対する最大の皮肉だった。

 気が進まないまま弾き出す。

 やはり、弾いている本人に気がないのは、義太夫三味線にまで伝わる。

 五分弾いても雨はやまない。

「もういいです」

 投げ出した。

 次に青磁が弾き出す。

 一分もしないうちに、雨はやみ、また強烈な太陽が照り出した。

「と云う事です」

 それ以上何も云わずに、青磁は立ち去った。


「気にする事ないよ」

「そうだよ。たまたまだよ」

「先行不利に決まってるだろう」

「あいつ、気象台に問い合わせて、わかってたんだ」

 この時代、まだ三時間ごとの予報出来る技術はまだなかった。

 意気消沈のまま朝日座に向かった。

 その暗い影は、舞台にまで出た。

 終演後、トンビは正樹を呼び出した。

「今日の義太夫三味線は死んでましたな」

「わかりましたか」

「何かあったんやろ」

「はい。実は・・・」

 正樹は話そうとするとトンビは、手で制止した。

「わけまで聞こうとは思わんから」

「すみませんでした」

「舞台に私情を持ち込んだらあきまへん」

 舞台、芝居は、虚構の世界。

 それを現実の自分の身の回りの事を持ち出すのは間違いだと説教した。

 トンビは、わけを聞かなかった。

 正樹は、トンビに聞いて欲しかった。

 楽屋を出ようとすると、陽子が声を掛けて来た。

「トンビ師匠から預かり物あります」

 サンライズへ行く。

 今日はママと珍しくマスターがいた。

 これがぐうたらな亭主かあ。

 めがね掛けて、気ぜわしく働いていた。

 とてもぐうたらに見えない。

「預かり物って何」

「これです」

 陽子は、袋から取り出してテーブルに置いた。

 それは、ホイッスルだった。

 全体的に古びていて、茶色い錆が所々浮き出ていた。

「これは?」

「トンビ先生が戦時中、満州への笑いの慰問団で行った時のものです」

 終戦末期の昭和20年3月、親が止めるのを無視して満州へ向かう。

 日本に帰って来られたのは、戦後3年経過してからである。

「満州でがけ崩れにおうたとき、たまたまこのホイッスル持ってはって、吹いて知らせて助かったそうです」

「そんな大切なもんを僕が預かっていいんですか」

「えらい落ち込んでた正樹さん見て、トンビ先生が気いつこうて、持たせてくれたんだと思います」

「遠慮なく預かっておきます」

「もしピンチの時は、これ吹いて下さい」

「吹いたらどうなるんですか」

「きっとトンビ先生が駈け付けてくれます!マグマ大使みたいに!」

 陽子は、正樹を笑わそうと云った。

 しかし、正樹はすぐに反応出来なかった。

 当時、手塚治虫原作の漫画「マグマ大使」がドラマ化されていた。

 フォーリーブスの一員の江木敏夫扮する少年がピンチの時に、服のだ。

 するとマグマ大使が駈け付ける物語だった。

「えっ正樹さん、マグマ大使知らないの?」

「し、知ってるとも、手塚治虫の漫画でしょう」

「何だか、正樹さん、かなり変わってる」

「どう変わってるの」

「この世の人じゃないみたい」

「幽霊かよ」

「じゃなくて、浮世離れしてるみたい」

「そうかなあ」

 カウンターに目を移す。

 マスターは気ぜわしく洗い物を済ませると、すぐに店を出て行った。

「お出かけですか」

 ママさんに聞いた。

「いつもの麻雀です」

 ママは苦笑いした。

「それと正樹君の東京の住所、電話番号教えて」

 書き込む。

「あれ、堀川小町師匠のご自宅よね」

「知ってるんですか」

「私、小唄を小町師匠から習っているんです」

 それは初耳だった。

 6月23日文楽千秋楽。

 再び、正樹ら研修生は東京に戻った。

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