4-8 これがあなたのためだから
「だから、ファミレスでもいいんじゃないか、って言ったんだよなぁ……」
コモリの取り付けた約束どおり、サクラはダイチを合わせた三人での夕食に参加していた。
サクラが言った「京都らしいものが食べたいです!」のリクエストで、家族向けの気軽に入れる料亭風の店に入り、湯葉を頼んだのだが――
「湯葉にそんな醤油つけたら味わかんなくない?」
「え、味あるの? でもコレ、醤油やポン酢で食べるんじゃないの?」
「ダシの旨味があるでしょうが。あーあー、そんなにしたらそれもう湯葉じゃなくて醤油のおひたしよ」
「そ、そんなことはないと思うけど……うん、美味しいよ?」
「へぇー、それはよかった。醤油がサクラちゃんの舌に合ってたんだねぇ」
ダイチは溜息を吐きながら、疲れたような顔でコモリを制した。
「それくらいにしとけ。料理の味付けで揉めるのはロクなことにならん」
「でも、パパ!」
「あと声。ボリューム下げような」
「……はぁい」
叱られてしゅんとするコモリに、サクラはそわそわと気遣いながら話しかける。
「ごめん、次はそのまま食べてみるよ」
「……サクラの湯葉もうないじゃない。わたしの一つあげる」
「えっ、いいの? ありがとう!」
ダイチは頬杖をつきながら、穏やかな目つきで二人のやりとりを微笑ましそうに見ていた。
もぐもぐと口を動かしながら、サクラが視線に気付いて目を合わせると、ダイチは顔を綻ばせた。
「コモリが同世代相手に砕けて話してるところ初めて見たよ」
「同世代じゃありません!」
「あ、悪い。オレからすると、どっちも娘みたいな年だから」
「パパの娘はわたしだけ!」
「おお……今日は忙しいな」
苦笑いしながら温いお茶を口に運ぶダイチに、コモリが頬を膨らませながら言い返す。
「娘の成長見逃してるんじゃなーい? もっと近くで見てもいいんだよ?」
「うーん……コモリはオレと話すとき軽くぶりっこ入るから、わかんないんだよなぁ」
「ひっどい! そんなこと思ってたのぉ!?」
楽しげに会話する親子の光景に、サクラはほっこりとした気持ちで顔が緩む。
平和な日常のひとときに食も進み、次は何を食べようかと食卓の上を品定めする。
「あ、この揚げ出し豆腐美味しそう……うーん、外はカリッと、中はとろっと」
「食レポがありきたりねぇ」
「えへへ……かかってる柚子あんかけも美味しいよ」
サクラがそう言った途端、コモリの表情が少し曇った。
何か失言したかと不安になるが、思い当たるようなことはない。
ダイチの顔色をうかがうと、頭の後ろを押さえながら軽く目を伏せた。
「あー、柚子がね、好物なんだ……ユズハの」
「え、ご――」
ごめんなさい、というのは違う気がした。サクラが謝るようなことではない。
そのはずなのだが、その場を包んでいたほのぼのとした雰囲気が元に戻ることはない。
声の大きさを注意されることもなく食事を終え、そのままお開きとなった。
帰りに駅で別れるとき、サクラはダイチから声をかけられた。
「サクラちゃんは悪くないんだから、気にすることじゃないよ」
その慰めが偽薬にしかならないことはお互いわかっていた。
それでもダイチは優しさでその言葉を送り、サクラも優しさでその言葉を受け取った。
帰りの電車は席が空いていたがコモリは座らなかったので、なんとなくサクラも隣に立っていた。
サクラは揺られるコモリの横顔を直視できず前を向いたが、暗い窓に映る顔に慌てて目をそむけた。
コモリと反対側を向いていることに、サクラは居心地の悪さを感じていた。
+ + +
布団の上で、サクラは眠れずにごろごろと天井を見つめていた。
(わたしは今も、コモリちゃんからお母さんと一緒に過ごす時間を奪ってるのかな……)
そう考えると罪深い行動をサクラは取っているのかもしれない。
理想的な正義を遂行したいがために、人質を早期に解放するという大義を見失っているのではないか。
そんな思いが頭の中をぐるぐると巡り、ダイチの言葉が脳裏をよぎる。
(ううん、認めたら絶対に後悔する。約束を守らない相手かもしれない。二度目、三度目が起こるかもしれない……)
仮定の想像ばかりが思い浮かぶが、メリー自身が条件はフェアにすると宣言している。
サクラも都合のいい妄想だとわかっているので、たいした気休めにもならなかった。
そのとき、サクラのスマホが鳴り出した。
(……あ、電話。ダイチさんから?)
話す内容は大方、予想がつく。サクラはすぐに電話に出られず、十秒経とうかというところでようやく決心がついた。
「もしもし?」
『おぉ、夜中に悪いね。まずは部屋の外でコモリが聞き耳立ててないか確認してくれ』
「……そんな気配はないですね」
『そっか、さすがに今日はな……』
冗談めかしたダイチの言葉に素っ気無い返事をするサクラ。
やってしまった、と後ろめたく思いつつ、気分が晴れないのは事実だから仕方ないとも思う。
サクラが何も言えずにいると、聞き馴染みのあるダイチの溜息が聞こえた。
『あんまり頭をネガティブ寄りにすると、簡単には直せないぞ?』
「……ダイチさんのほうが大変なはずなのに、どうしてそんな風でいられるんですか?」
『うーん、歳をとるとさ。色んなことがわかると同時に、鈍くなっていくものなんだ』
「それっていいことなんですか?」
『生きやすくはなるなぁ……っと、そんな人生の哲学なんてものをサクラちゃんと論じたいわけじゃないんだぞ?』
「あっ、そうですよねっ」
なるべく明るい雰囲気で話そうとしてくれるダイチに、今度はサクラも乗っかることができた。
「とりあえず、今晩どうします?」
『なんだか飲みに行くみたいなノリだけど、メリーに会いに行くかどうかってことだよな?』
「はいっ」
『やめておこう。有利な材料もないのに話したところで世間話にもならん』
むしろ不利を再確認するだけかもしれない。サクラはメリーに言われたことを思い出していた。
「……ダイチさん。実はわたし、今日メリーに会ったんです」
『それは……言われたことを詳しく話せるか?』
始まりは、どうして時間を引き延ばすような提案をしたのか、というサクラの質問。あとは、数的不利を話題にしておきながら、数で勝るこちらを不利だと言っていた。
メモしていたわけでもない数時間前の内容ではあるが、サクラ自身も話してみて違和感があった。
「メリーはどういうつもりなんでしょう?」
『それはわからんが、気に病む必要はない。あいつの言うことでオレたちに得があると思うほうが危ない』
「罠、ってことですか?」
『意味のないことを考えさせることも、相手の利になるからな』
(……意味、ないかぁ)
助言だと理解しているのに傷ついてしまうのは、サクラのネガティブが抜けきってないせいだろうか。
『一週間、っていうのも正直に受け取ることはない。人間、時間があると余計なことを考えちまうもんだ』
「時間もそうですけど、人数が多ければ有利とも限りませんね。戦闘に発展するならともかく、今の段階でイズミやヒナタさんたちを呼んでも……」
『船頭多くして船山登るってやつだな』
「わたしとダイチさんですら意見が違うのに、五人になったらどうしようもないですもん」
『おお、はっきり言うじゃんか』
「五人をまとめる大変さは、よーく知ってますから……!」
はああ、と思わず盛大な溜息をこぼすサクラ。
これが戦闘ならば役に立てる場面もあっただろうに、人質を取られてろくに動くこともできず、解決方法で揉める始末。
(魔法少女のときは考えもしなかった。人質も助けて、敵も倒すのが当然だと思ってた……)
実際、その考えは基本的には変わってはいない。しかし、サクラがその考えを貫けたのは、敵がパラノイアであり――
(――ノワールがいたから)
彼女が人質を取るようなことはなかったが、敵方として決着は実力でつけるものだという信頼感はあった。
サクラが戦隊を始めてからというもの、協力してくれる機会もあり、その想いは強くなっている。
それに比べると、数回の邂逅だけでヒシヒシと肌から伝わるメリーの毒性は、サクラに不穏な警戒心を抱かせるのに充分だった。
「わたしたちより、向こうの町は大丈夫なんでしょうか?」
『そうだな……そのつもりならとっくにやってそうな気もするが、心配ならあの猫ちゃんに聞いてみたらどうだ?』
「あっ、シシリィ……あれ?」
そういえば、昨日の晩にコモリの家に来てから姿を見かけない。ホテルのフロントで問答していた頃にはいたような気がする。
「……どこ行ったんでしょう?」
『おいおい、大丈夫なのか?』
「まぁ、猫じゃなくて星霊ですし、大丈夫ですよ」
パートナー生物との付き合い方ではサクラに一日の長があったので、自信を持って大丈夫だと断言した。
ダイチは気になるようだったが、普段から居眠りに明け暮れているシシリィならば、既に京都の地域猫として立場を確立していても不思議ではない。
「そういえば、ダイチさんは今朝、どこへ行ってたんです?」
『ん? ああ、ちょっと調べものをな……』
「何を……」
『もちろん、わかったら教えるとも』
さらりと言われたが、今は教えないと言っているようなものである。それを指摘できるほどの勇気はサクラにはまだない。
「……メリーがうろついているんですから、気をつけてくださいね?」
『ああ、そうだな……うん、そういや、駅で会ったんだよな』
「そうですけど、それが何か?」
『いや、ちょっとな……』
淀みない語り口だったダイチに一瞬の動揺が見られた。
実際、メリーと遭遇したときの危険度はサクラよりダイチのほうが高いのかもしれない。
戦闘になった場合はサクラのほうが対応力があるし、心理的なプレッシャーも直接人質を取られているダイチのほうが大きいはずだ。
サクラは言葉を詰まらせたダイチを案じて声をかける。
「大丈夫ですか?」
『ああ、ちょっと悪い予感がしただけだ』
再び会話が途切れてしまい、気まずい沈黙が流れる。
お互いの状況報告と確認は済ませたのだから、これで終わりにすることも構わないのだが、スパッと別れの挨拶をするというのもきまりが悪い。
『今日は、こんなところだな』
「あ、はい……」
空気を察したダイチが終わりを切り出した。
このままずるずると煮え切らない会話を続けるよりは建設的な提案だろう。
(……でも、これじゃ何も進まない)
メリーへの対抗手段もなく、人質の救出手段もなく、拘束場所すらも見つかっていない。はっきりと口にはしないが、サクラとダイチの意見もすれ違ったままである。
焦燥感に駆られたサクラは、抱えていた心配事を思わずこぼした。
「あの、コモリちゃんは……大丈夫でしょうか?」
『あぁ……うん。オレを追い回しているあいだは大丈夫だと思うよ』
サクラもそう思っていたが、ふとした拍子に今日みたいなことが起こりかねない。
解決するまで何も知らずに過ごすのは、見えない不安を抱えながらの生活になってしまう。
それならいっそのこと――
「本当のことを話してあげるのは、駄目なんですか? ダイチさんが一緒にいてあげれば――」
『……それじゃあ駄目なんだ。そうするとコモリが事件に関わって、向き合わなくちゃいけないだろ?』
「向き合えば――」
『駄目だ』
向き合えばいい――そう言おうとしたサクラの言葉を遮って、強い口調で否定するダイチ。
有無を言わせない高圧的なトーンに驚き、声を詰まらせるサクラ。
「あの、でも……っ」
『もしもコモリに今回のことを伝えたら、あの子には何ができる?』
「それは……調べたり、考えたりできますよ。戦えなくたってできることはあります。危険があるって言うなら守りますし、何も知らずに不安を抱えて過ごすよりマシです!」
『そうか? 今サクラちゃんが言ったことはオレたちだけでもできるし、危険から守るリスクが格段に増える。それに知ったところで不安があることは変わらないし、不安の種類が別のものになるだけだ』
淡々と反論を述べるダイチの言い分に、サクラはカチンと来るものがあった。
「あまり子ども扱いしないでくださいっ! コモリちゃんだって一人前に自分の頭で考えることができるんですから!」
『扱いというか、オレの子だけど』
「そういうことじゃなくって!」
『オレはあの子には今回のことについて、あまり思い詰めてほしくないんだ』
ダイチの言うことがすぐに理解できず、サクラの勢いが止まる。それがわかっていたかのように、諭すようなダイチの優しい解説が始まった。
『あの子には、何も知らないまま平和な日常を過ごしてもらいたいんだよ。力になれないことでも、信じて待たせるような思いはさせたくない』
「それは……ダイチさんの勝手ですよ……」
『勝手だよ。オレはね、サクラちゃん。日常を守りたいんだ。仕事も家族もひっくるめて、オレにとっては大事な日常だ。だから、人質を取られていても食事や睡眠を欠かさないし、仕事もしている。ユズハを取り返したときに戻るべき日常が壊れてるようじゃ困るんだ。そのためなら戦隊の力だって、最低限利用させてもらう。だから、オレはサクラちゃんと決定的に対立しようと思わない』
サクラのことを利用している、とも取れる発言にはショックを受けざるを得ない。ただ、主張する内容が理解も納得もできる範疇であることに、サクラは安堵を覚えた。
(だけど、ダイチさんの言葉は……強い)
サクラには崩せない。そもそも、崩す必要がない。しかし、意見が対立したままでは、革命的な解決策がない限りジリ貧である。
ダイチが真面目に取り合ってくれる機会に、もっと本音をぶつけ合わなければならない。
「日常を守りたいなら、どうして、戦隊になってくれたんですか?」
『ならないことより、なることのほうが穏やかに過ごせると思ったからだ。拒否し続けるより許容したほうが楽なこともある。オレは戦隊を日常の一部にすることをよしとしたんだ』
「……わたしが、頼んだせいですか?」
『サクラちゃんのせいじゃない。正直なところ、オレのちっぽけな正義感を埋めてくれると思ったんだ。男の憧れってやつだ』
この期に及んでサクラだけに責任を負わせないダイチの論調は優しい。だからこそ、その正しさを否定できない。
『だけど、オレのせいで家族に危害が加わるなら、オレの正義感なんて幾らでも我慢するさ。大人は優先順位をつけることに慣れてるからな』
「正義より……家族ですか」
『それがオレの正義だ』
正義も正論も一つじゃない。それなら何が正しさを決めるのか。勝ったほうだ。この場において、論争の勝者は明らかだった。
サクラはそれ以上の反論も質問も挙げられず、黙って無力感に苛まれていた。
『すまんな、説教臭かったかな』
気遣われたことが余計に腹立たしくなるが、それをぶつけるのはますます子どもっぽい癇癪でしかない。
サクラは純粋な思いだけをダイチに伝えたくて、絞り出すように言葉にした。
「わたしもコモリちゃんも、ダイチさんの力になりたいだけなんです……」
『ああ、わかってる。だけど、サクラちゃんたちのためを思ってのことだ』
あなたのため、と言われることがこんなに息苦しく感じるものだとは――サクラはコモリにしていた態度を後悔し、未熟さを痛感していた。
ダイチは既に覚悟を決めている。己の理論武装を完璧に築き上げ、生半可な異論では覆されないように気を張っている。
冗談めかして軽い雰囲気を醸し出す姿からは想像できないほどに、当初からブレることなく戦い続けていたのだ。
『嫌なことに向き合うのはオレだけでいいよ』
軽々しく吐いたその台詞にどれほどの思いが込められているのだろう。
『そういうのは大人に任せておけばいいんだ。また、明日話そう……じゃ、おやすみ』
「…………はい、おやすみなさい」
ダイチはサクラが返答するのを待ってから通話を切った。
そういうところが憎らしく、抗いがたく、ダイチが間違っていると糾弾できない。
「……だって間違ってないんだもんなぁ」
通話の切れたスマホを腕を伸ばして見つめながら、サクラは溜息をついた。
そのとき、再度スマホが鳴り出した。
「えっ、ダイチさん……じゃないっ、だれっ!?」
サクラは布団から跳ね起きてスマホをチェックする。
知らない番号だったが、なんとなく覚えがあるような気がした。
しかし、出るかどうか迷っているうちに着信が途切れる。
――ピンポーン
「ふえっ!?」
あまりに抜群のタイミングに鳴り出したインターホンにビビり、身体を強張らせるサクラ。
反応ができないあいだにもピンポンの回数は二回、三回と刻まれていく。
(え、なに、オバケっ!? コモリちゃんが危ないっ!?)
どんどんと膨れ上がる恐怖感にサクラが想像の怪物を作り上げる頃、痺れを切らしたドア前の何者かが怒声を上げた。
「出てきなさいっ! ピンキーハート!!」
一瞬、サクラの頭が真っ白になり――爆発した。
「バッドノワール!?」
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